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今村夏子『こちらあみ子』(毎日読書メモ(474))

今村夏子『こちらあみ子』(筑摩書房)は2011年に読んでいる。そのときの感想はこちら
昨年来、今村夏子作品(そんなにたくさんはないけれど)をまとめて読んでいて、久々にデビュー作も読み直しておこう、と、『こちらあみ子』(ちくま文庫)を読んでみた。表紙は、単行本時とかわらず、土屋仁応の「麒麟」。単行本には収録されていない短編「チズさん」(15ページ)が収録されていて、町田康の解説と穂村弘のエッセイも収録されている。

初読の時は、発達障害的な少女の生きにくさ、みたいなものが身に迫ったのだが、あらためて読んでみて、空気の読めない少女と、それを取り囲む家族や、少女がずっとずっと片思いする「のり君」、そして、名前さえ与えられていない、あみ子のことを好きだった坊主頭の少年、それぞれの絡みが、遠く離れた場所で、月日が過ぎた後で、ふっと浮かび上がってくる、そんな物語だったのだな、と思えてきた。
冒頭の、祖母の家からすみれを取りに行くあみ子の姿のいとしさが、物語の最後でまた現れる。あみ子の元へ、竹馬に乗って遊びに来るさきちゃんが、あみ子を包み込む母性を象徴しているようで、あみ子の過去を全部なぞったあとで、あみ子が持っていなかった大事な何かをさきちゃんが与えてくれるのだろうか、と思えてならなかった。

「ピクニック」はすっかり忘れていたが、その後の今村作品にもよく出てくるような、人の心のささくれに引っかかって離れないような不思議な人の物語。ローラーシューズを履いた女の子たちがビキニを着て接客する『ローラーガーデン』に働きに来た、場違いな七瀬さんの、わたしたちには見えない献身と、それを信じるわたしたちの物語。物語のキーワードは、「信じる」かな。
初読の「チズさん」は、一人暮らしをしていてヘルパーさんに助けてもらって暮らしているチズさんと、「わたし」の物語。行く先は見えないけれど、チズさんを連れて行ってあげたい場所がある。そんな一途さが物語をけん引する。

落としどころとか、謎解きとか、そういうことを求めている人は今村夏子は読めないと思う。
いびつでも、なにかに突き進む、そんな力を信じたいときに、今村夏子の小説の登場人物たちがわたしの隣にやってくる。

#読書 #読書感想文 #今村夏子 #こちらあみ子 #ちくま文庫 #土屋仁応


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