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『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ/斎藤真理子)(毎日読書メモ(481))

チョ・ナムジュ作、斎藤真理子訳『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房、現在はちくま文庫)をようやく読んだ。ずっとずっと書店で平積みされていて(翻訳書がこんなに長く目につくかたちで販売され続けているのはかなり珍しい)気になっていたのだが、個人的には、顔のない女性像の表紙(榎本マリコ)がちょっと怖く、読む前から不安をかきたてられる感じだったのだが、いやいや、作品そのものはもっともっと恐ろしかった。

わたしが生きてきたこの50年余、日本では、様々な形で男女の差別が具現されてきていて、今もなお社会問題として存在し続けてはいるが、同時代の韓国、それどころではない状態だったと、この小説が、実際のデータを引用しつつ(巻末の原注に、小説に書かれた状況のデータ根拠が付されている)女性の生きにくさをこれでもかこれでもかと提示していて、戦慄する。

女の子を産むと、次こそ男の子、と言われ、なのにまた女の子が生まれ(それがキム・ジヨン氏)、次に妊娠したらまた女の子だったので、母は子どもを堕胎する。そしてもう一度妊娠してやっと男の子を産むと、その子だけえこひいきされた育て方をされる。
いつの時代?、と思う。日本でもそういう家もあるかもしれないが、この小説を読むと、韓国では多くの家庭がそういう価値観で暮らしているらしいと
読める。キム・ジヨン、わたしより半世代位若いんだよ。
そして、弟をえこひいきして育てている母は、女に教育は不要、という時代に育ち、高等教育も受けられなかったが、公務員の夫よりずっと甲斐性があり、自分の才覚で蓄財し、事業を成功させて、リストラされた父親のかわりに家計を担う。ある意味、キム・ジヨン氏の母、オ・ミスク氏の一代記の方がずっと、男尊女卑社会をたくましく生き延びた女性のロールモデルとして、多くの人に勇気を与えたのではないかとすら思う。

男尊女卑社会ではあるが、学歴社会として、女子も高等教育を受けるのが当然、という時代にはなっていた、2000年頃の韓国。父のリストラで家計が不安定な時代ではあったが、姉のキム・ウニョン氏もキム・ジヨン氏も大学に進む。その大学時代の情景を見ていて、日本人が驚くのは、男子が在学中に2年間の軍役に行くこと。なので、卒業年は男子の方が遅めになる。そして軍役に行くことがエクスキューズとなっているかのように、就職活動の時には圧倒的に男子が有利。軍役による別離は大学生たちの恋愛模様にも影を落とす。
あまり考えたことなかった、隣の国の事情を色々見せつけられる。

やっとの思いで広告会社に就職し、やはり男尊女卑の影響を受けつつも、それなりに仕事を任され、充実した生活を送るキム・ジヨン氏。しかし、結婚して、妊娠出産すると、赤ん坊は夫の実家(ソウルではなく釜山)に預けるか、高い高いベビーシッター料を払う以外、産前の仕事を続けられる手段がない、という現実の前に、退職を余儀なくされ、専業主婦に。
そして、子どもが短時間保育に行くようになって、カフェでお茶を飲んでいたら、近くにいた見ず知らずの若い会社員たちに、ママ虫なんていいご身分、みたいな陰口を叩かれる。

崩壊するキム・ジヨン氏の自我。この小説は、異常な言動が見られるようになったキム・ジヨン氏から、精神科医が聞き取った彼女の事情をカルテにしたもの、という体裁をとったメタ小説で、最後に、医師の現実をはさむことで、なかなか変わらない現実を暗示して終わる。

色々な視点から読み解くことのできる小説。
多くの問題提起があり、多くの読者を掴んできたこと、そして映画化されることも当然だろう、と思う。
一方で、この小説を手にする人は、ある意味限られているのではないか、現実を当然のものとして享受している層には響かないのではないだろうか、という不安も感じさせる。
世界を変えるには、この作品が古典となり、様々なシーンで(例えば入試の設問への引用とか、教科書への掲載とか)読まれる機会が持たれ、誰もが知っている文章となっていく、そんな未来になることが必要かな、と思う。それは勿論『82年生まれ、キム・ジヨン』に限らず、多くの社会問題を指摘する、様々なアプローチの文章すべてがそうなんだけど。

未来への、大切な第一歩として、この小説を支持する。

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