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池澤夏樹『真昼のプリニウス』(毎日読書メモ(438))

池澤夏樹のデビュー作、『スティル・ライフ』を読んだ後(感想ここ)、一緒に本棚の奥に埋もれていた『真昼のプリニウス』(中央公論社、現在は中公文庫)を再読してみた。記憶からすっぽり抜け落ちていたので、初めて読むような新鮮な気持ちで読む。1989年前半に「中央公論」に連載され、7月に単行本刊行。三十数年の間に、色んなことが変わったのだな、と思う。

主人公頼子は火山の研究者。魅力的で、周囲の人に愛される人物として描かれているが、自然科学分野の女性研究者がこんなに天真爛漫な立場で研究を続けられるのだろうか、それっておとぎ話的な世界ではないだろうか、と、研究環境のジェンダー問題がしばしば提起される2020年代の読者は思ってしまう。実際に、本人の人柄とか、恵まれた環境とかの結果、このように幸せな環境に置かれたとしても、女性研究者のパイオニアとして、所属する研究機関でも、学会でも、女性研究者クオータを埋めるため、必ず役員に任じられ、そのうち学術会議の会員に推挙され、研究に割ける時間がかなり減ってしまうだろう、と勝手に危惧する。

多くの読者にとって馴染みのない火山研究について色々開陳してくれて、この国に住む限り、意識しないではいられないが、でも、よほど近くに暮らさない限り、自分の生活に直接影響を及ぼすことはあまり考えられない火山という存在について、頼子のフィールドワークを通じて触れることになる。

そして、小説的な骨格として、火山に関するエピソードを、物語として収集し、それを電話サービスで人に聞かせようとするビジネスの主宰者との交流が描かれ、並行して、交際する男性からの手紙(遥かメキシコで、返信は局留めの手紙でしか送れない)が挿入される。スマホどころか、殆どの人が電子メールの存在すら知らなかった時代、その瞬間にその人がどうしているか、キャッチすることは出来ない状況の中で、綴られる長文の手紙。
電話をかける行為の中にビジネスチャンスがある、という状況は意外と現在と変わらない気もするが。それ以外のコミュニケーション手段は三十数年の間にドラスティックに変わったな、ということを、改めて読んでみて強く感じた。浅間山へのアプローチが長野新幹線(いや北陸新幹線か)でなく、信越本線であることも、一種の郷愁。軽井沢は横川で釜飯を買ってからでもそれを食べるまで辿り着けない、そんな遠い場所だったよな、とか。

色々な要素が繰り出され、結局この小説は結末のないまま終わる。
古代ローマの博物学者プリニウスは、ヴェスヴィオ火山の噴火に巻き込まれ帰らぬ人となったが、現代のプリニウス、頼子は、浅間山で何を見つけるのか。


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