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元気な老人の小説を読んだ:京極夏彦『オジいサン』と三浦しをん『政と源』

今、全体として、新型コロナウィルスへの不安が増大して、現実問題として、多くの人が亡くなっている。感染力とか、致死率とか、感染の様相がはっきりしていないので、若い人も含め注意が必要で、現実問題としては若い人よりずっと高い比率で、年配の人が亡くなっている。合併症との関連もまだはっきりしていないので、新型コロナウィルスが流行していなかったら、亡くなっていなかった人がこのうちどれだけいるのか、というのもよくわからないのだが、現状、不要不急の外出は控えることが望ましく、家から出られなくなっている人も沢山いるようだ。

と、老年を他人事のように語るが、50代後半の自分はお年寄りではないのか? 100年前の基準なら老人? 200年前なら絶対老人だよね。この先さらに感染が拡大し、医療現場でトリアージが行われるようになったなら、線引きはどこだ? 自分は救ってもらえない側にカテゴライズされる可能性のある年齢になってきているということに、普段は目を向けようとしていないけれど、そうなのかもしれないのだ。

とか思っていると、年をとることに悲観的になってしまうが、たまたま、元気な老人が主人公の小説を続けて読んだ。京極夏彦『オジいサン』(中公文庫、から角川文庫に移っているようだ)と、三浦しをん『政と源』(集英社→集英社オレンジ文庫)。奇しくも、『オジいサン』の益子徳一と『政と源』の源二郎と国政は3人とも72歳である。作者はどちらも72歳よりはかなり若いが、丁寧に、老人の肉体的な衰えとそれに対する苛立ちを描く。京極夏彦は、身寄りなく単身で生活を送る徳一の情報弱者ぶりを、彼の脳内でとらえられている現実を丁寧に再現しながらあるある感を醸し出す。彼の日常の中に踏み込んでくる人も含め、誰もすごく幸せそう、という感じはなく、そこはかとない危うさを感じさせているが、でも、小説に後ろ向きな感じはない。京極夏彦特有のおどろおどろしさとかイヤ感とかは全くなく、でも、これもまた京極夏彦の境地なんだな、と感じさせてくれる不思議な作品だった。そして、何もかも物足りないような感じで進んでいたのに、最後が不思議なくらい明るい。読後感の明るさで老境を救うのか?

一方、『政と源』では、三浦しをんらしく、つまみ簪職人の源二郎と弟子徹平の仕事ぶりが描かれ、仕事小説としても魅力的。いい大学を出て、定年まで銀行で勤めあげた国政は、ぱっと見いい人生を送っていたようだが、実際には自分にないものを何もかも持っているような源二郎が羨ましい。源二郎は東京空襲に遭い、何も持たない状態から職人に弟子入りして生きてきて、背景に壮絶なものがあるのに、それを引きずらず、豊かな生を生きているように見える。『オジいサン』の徳一は、本人のこれまでの人生については最低限しか書かれていなくて、ただ、目の前にある生活だけがひたすら緻密に描かれていたが、『政と源』では、幼馴染の二人の来し方行く末を、周囲の人々とのかかわりも含め、劇的に描いている。3人とも、幸せばかりではないけれど不幸ばかりでもない。そうやって生きてきて、これからも生きていく、そう思わせて小説は終わる。

新型コロナウィルスが流行しても、3人ともたくましく生きていくんじゃないかな、そう思わせてくれる、という意味では、2作ともオプティミスティックな小説で、それはそれでありだけれど、10年後、82歳の徳一と源二郎と国政は元気でいてくれるかな?

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