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松家仁之『泡』(毎日読書メモ(424))

松家仁之『泡』(集英社)を読んだ。デビュー作『火山のふもとで』(新潮社)があまりに好きすぎて(わたしにとって、2010年代ベスト小説、と言い切ってもいいくらい)、その後の小説は、その余韻で読んでいる気持ちがどうしてもぬぐえない。どの小説も、何かをあきらめているような、静かな人たちの物語、と読んでしまう。どの登場人物も、嫌いにはならないけれど、自分の友達になるかな、というとちょっと違う、そんな感じの人が多い印象。
今回読んだ『泡』も、その延長線上。意識的に時代を明示しないで始まるので、現在の物語かと思ったら、もっと昔の物語のようだが、それは読み進めている間に少しずつ分かっていく。
主人公の薫は、高2になってすぐ、高校に通えなくなり、夏休みに、東京から700キロくらい離れた砂里浜という海沿いの町に住む大叔父のもとに預けられる。第2次世界大戦に従軍し、戦後ソビエト軍の捕虜となり、何年もかけてようやく復員しても、実家で白眼視され、家にいにくくなった兼定は、全く縁のなかった砂里浜に移り住み、老後、その地でジャズ喫茶を開業する。兼定と、流れ着くようにそのジャズ喫茶「オーブフ」で働くようになった岡田、そして薫の3人を中心として物語は過去と現在を行ったり来たりしながらゆっくり進む。
タイトル「泡」が意味するものは、多感な高校生には辛すぎるある現象に基づいたものであり、殊更に人間関係に苦しみがあった訳でもない薫の苦悩を表現している。その薫を受け入れ、何も問わず、普段の生活の中に取り込んでいる兼定と岡田、それぞれの言動は、直截に薫の癒しとはなっていないが、少しずつ薫の生きる力を強めていっている。
最初に「東京から列車を乗り継いで七百キロ以上も離れた」と書かれた温泉と海水浴の町砂里浜を、わたしは最初北東北、というイメージで読み始めたが、兼定が親族の前で意識的に関西弁を使う、という描写が出てきて、西方か、と気づき、城崎のような山陰側の海べりの町だと思ったら、実際は大阪から「くろしお」に乗って行くような場所だった。イメージ力弱すぎ。
しかし、子どもが過ごすのとは違う夏休みの描写は、やはり夏の光に満ち合溢れていて、爆発的な幸福感はなくても、やはりそこに夏ならではの明るさが満ち溢れている。静かに流れるジャズ。勘のいい料理人の岡田による、調理指南。知り合った年上の女性と花火をして、まだ知らぬ恋について夢想する瞬間。
物語に結論はない。薫は成長したのかしてないのか、今後どうなるのか、答えは何も提示されない。薫がやってきたことで、兼定も岡田も少しずつ変わっていったが、それも落としどころではない。ただ、夏がやってきて去っていった、その様子が落ち着いた文体で繰り広げられるだけ。
人がつながりすぎていない、こんな時代があったよね、と思い出す。こういう時代を知らない人が圧倒的多数になってきていることが寂しかったりすることに自分の年を感じたりもする、そんな読書でもあった。

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