毎日読書メモ(10)『レ・ミゼラブル』(ヴィクトル・ユーゴー)
帝国劇場で、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を見てきた。昨年の朝ドラ「エール」で話題になった吉原光夫のジャン・バルジャンが見てみたい、と思ってチケットを取ったのだが、考えてみたら、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を見るの自体が初めてだった。
ユーゴーの原作は大昔読んだ。たぶん30年位前。岩波文庫で4分冊だった。訳者は当時から豊島与志雄だったと思う。
4冊あっても、息つかせぬ展開で結構あっという間に読んだと思う。読書の体力が今と全然違うんだろうな(パソコンもスマホも使っていなかったのも大きいと思う)(前後して、7分冊のデュマ『モンテ・クリスト伯』も呼んだもんな)。細かいところは何も覚えていないけれど、今日ミュージカルを見ていて、うんうんこういう物語、と思った。いや、しかし、あれだけ長い小説を休憩込み3時間の舞台に押し込めるのは相当無理があるよね、と初めて見たので初めて気づいた。
牢を出て、人々に虐げられたジャン・バルジャンが教会で銀の食器を盗んで、司教様から銀の燭台まで渡されるどん底状態から、次に現れたら市長になってるんだよ。その過程だけでもミュージカルがもう1本書けそうではないか。
ジャベールに見つかって、遁走して(市長が市政を投げちゃうのか)、コゼットを引き取って、そこからまた何をしていたの? ミュージカルを見ている人は歌唱力のある俳優が名曲を歌い上げれば、間の部分は気にならないのか? 気づいたらまたお金持ちになっているんだけど、一体何をしたらそうなるの? ミュージカルって、どうも、その辺の飛躍とご都合主義が気になって気になって仕方ない。結構大きくなってからジャン・バルジャンに引き取られているコゼットが、ジャン・バルジャンのことを実の父親だと思い込んで成長していることとか、幼児期に引き取られていたテナルディエの家でエポニーヌと暮らしていた筈なのにお互いのことを全然覚えていないとか。
原作では、もう少し説得力がある何かがあったと思うが、何しろ30年前のことで思い出せない。
笑っちゃうくらい、テナルディエ夫妻が物語の色んな部分でひょっこり出てきたのは記憶に残っていて、それは今日の舞台でも同じだったけど。
くるくると変わるセットで見事な場面転換するのに感嘆し、二重唱、三重唱の溶けあう響きや、アンサンブルも含めた大合唱にうっとりしつつも、原作の物語構築の巧みさに戻っていきたいと思ってしまうのであった。
#読書 #読書感想文 #ユーゴー #レミゼラブル #ジャンバルジャン #ジャベール #ミュージカル #テナルディエ #帝国劇場 #豊島与志雄
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?