寺地はるな『水を縫う』(集英社)
一時、新聞や雑誌の書評でよく見かけ、広告も結構打たれていた寺地はるな『水を縫う』(集英社)をやっと読んだ。初出は「小説すばる」の連載。
簡単に言ってしまうと生きにくさを抱えて生きている家族の物語。
それも、ひとりひとり、生きにくさの理由が全然違う。でも、その中で強く訴えらえているのはジェンダー。性的な役割に囚われている人、あらがっている人。
6章構成で、1章ずつ語り手が移り変わっていく中で、それぞれの語り手が、主観と客観をもって描かれる。
どの人も肩に力が入りすぎのように見える。自分の中の思い込みのせいで肩が凝りすぎている。最初の章の語り手だったことで、読者として一番感情移入しやすかった清澄は、本人的には肩に力が入っていないのに、周囲の人が彼の姿を見て身構えてしまっていて、本人もそれを意識している。
子どものときから友達がいたことがない清澄。本人は困っていないのに、母親や祖母がそれを気にしている。
裁縫や刺繍が好きで、世界の刺繍文化を解説した本を読んでいて、周囲の級友などに引かれたりしているが、それの何がいけない、と読者は思う。思っているけれど、リアルでそういう人を見た時に茶化さないで話が出来るか。
清澄の姉水青(みお)の、かわいらしさへの抵抗。結婚が決まっていて、清澄が作る、と言っているウェディングドレスへの抵抗。本人の主張に従っていると、ドレスではなく割烹着になってしまう、そのドレスをどう転換するのか、そこへ、離婚して顔を合わせる機会の少ない父全が絡んでくる。
生活能力がなく、妻に引導を渡され、友人が経営している衣料品の縫製会社でデザインの仕事をしている全。複雑な家族関係をひとくちでまとめるのは難しいが、読者はそれぞれに少しずつ感情移入する。同化するほど共感は出来なくても。
結婚式が目前となり、手詰まりとなった清澄は父の元にドレスの原案を持ち込み、水青が着ることに抵抗のないドレスを作るべく全が尽力する。そして、最後に清澄がそのドレスに刺繍を施す。そこに縫い込まれた水のイメージ。
どの登場人物も突っ込みどころ満載で、それはこう返せばいいんちゃう、と思わずにいられないが、そう思える読者はつまり当事者でないからそんなことが言えるのだろう。
自分自身も友達が出来なくて苦しんだこともあれば、友達なんていないから気楽、と割り切れた時期もあった。
そうした、人間関係を重視しない生き方をしてきた結果、自分の子どももまた、別に友達なんていなくても困らないし、という感じに育っていて、それでいいの、と思ったり、逆にそれは何か悩むべきポイントがあるの、と思ったり。
ジェンダーについて悩んだことはあまりないけれど、役割論的なものへの違和感はあるし、そこへの気づきはまさに2021年のトレンドでもある、と思う。
登場人物たちは強靭でもないし、柔軟でもない。自分の在り方を変えようと思ってもいないが、その中で気づくべき点があることを少しずつ見出したりもしている。どの登場人物も少しずつ愛おしい。それは、共感できる登場人物が誰一人いないイヤミスを読んでいるよりはずっと心地よいことである。
そっと、清澄の肩に手を置こう。
『水を縫う』を待っている間に読んだ、『ミナトホテルの裏庭には』『ビオレタ』の感想
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