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毎日読書メモ(196)『つまらない住宅地のすべての家』(津村記久子)

春先に書評欄などで好意的な評をいくつも見かけた津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』(双葉社)をようやく読めた。期待通りの面白さだった。「小説推理」に連載されていた小説の単行本化。
地方都市の更に郊外みたいな地域の、一戸建てが並ぶ地域の一角、路地になっている場所に10戸の家があり、様々な家族構成の家族が居住している。それぞれに問題や悩み苦しみを抱え、中にはかなり不穏な人もいる。家族構成の多彩さが今日的か。自分自身が一斉に分譲された住宅地に住んでいたことがあり、当時は都心に通勤する父親、専業主婦の母親、1~3人くらいの子ども、という構成の家庭がずらーっと並んでいた印象だったが、そんな実家近辺も、老いた両親だけ、片方が亡くなって一人暮らしの老人の家、そこに子どもが戻ってきて住んでいたりずっと同居していたり、二世帯住宅に建て替えていたり、最初に家を建てた家族がいなくなって別の人が買った宅地に新しい家族が住んでいたり、と、居住者はわたしの知っている範囲でも多彩化しているので、日本全国どこに行っても、こうした、バックグラウンドの違う人たちが軒を接して生きている状況が繰り広げられているのだろうな、と思う。
本のはじめに路地の見取り図が描かれていて、その後、各家庭の人、更にその知り合いたちのモノローグが展開され、新しい人が出てくるたび、見取り図に戻って、その人と既出の登場人物の絡みについて、確認しながら読み進める。この地域出身の脱獄犯が逃走中で、この地域に来るかもしれない、というイベント(?)を軸に、沢山の登場人物それぞれの思惑が描かれる。最初はあまりに断片的でもやもやしていたのが、自治会長になった丸川さんが自警団的な組織を結成したのをきっかけに、年齢も家族構成もばらばらな路地の住人たちが、否応なく結束せざるを得なくなり、それによって、それぞれの家庭が内包していた問題が、それぞれに言語化され、この路地に住んでいないにもかかわらず、大きく関与することになる2人の登場人物及び脱獄犯を触媒として、みんなが変わっていく。その経緯が実に小説的で、現実だと思うとやや不自然ではあるが、小説として読むと実に面白い。幸福そうに見える人は殆どいなかったのに(トルストイじゃないけど、不幸な家庭はそれぞれに違う)、ドラマティックと言える事件と、そこへの共感をきっかけに、どこの家も、よい方向に転換する。ハッピーエンドではないのに、なんだか心温まる気持ちになり、このつまらない住宅地が、良い方向に転換したように見えてくる。
じゃあ事件が起こり、それに能動的に関与しないと幸福は来ないのかい?、と言われてしまうと、ちょっと口ごもってしまうけれど。
わたしの隣人は何を考えて生きているのだろう? いや、家の中ですら、家族が考えていることなんてわかってないかもしれないし、外に向けて発信することもないので、誰もが孤独な核を持って生きていて、それは、よいきっかけ(この小説であればきっかけは善良ですらないね)があれば上手く人とつながるかもしれないし、逆に断絶したまま終わるのかもしれない(その方が多そうだ)などと考えつつ読み進めた。

津村記久子はわたしの中で会社員小説の名手、という印象だったが(『アレグリアとは仕事はできない』とか、大好きだ)、夏に読んだ『サキの忘れ物』(感想はここ)に続き、『つまらない住宅地のすべての家』で印象を新たにした。読もうと思ってから9ヶ月位待ってしまったが、待った甲斐のある幸せな読書だった。

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