見出し画像

毎日読書メモ(93)村上春樹的二題:『意味がなければスイングはない』『あのひとと語った素敵な日本語』

2006年5月の日記より、村上春樹二題。村上春樹『意味がなければスイングはない』(文藝春秋、現在は文春文庫)と、「あのひと」+ユビキタ・スタジオ『あのひとと語った素敵な日本語』(ユビキタ・スタジオ刊)を、通勤時に何日かかけてだらだら読んでいる記録。

もう何ヶ月も前に買ったのに、図書館の本に押されて読み始められずにいた村上春樹『意味がなければスイングはない』(文藝春秋)をようやく読み始める。雑誌「ステレオサウンド」に掲載した、音楽エッセイと評論のあいのこみたいな文章、ジャズ、クラシック、ロックなどが入り混じって扱われていて、聴いたことない音楽についても、ちょっと聴いてみたくなるような魅力的な文章。

今日も村上春樹『意味がなければスイングはない』を眠気と戦いつつ読む。しかし、「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ」(p.77)なんて書かれちゃうと、ちょっと片山恭一の小説みたいに感傷的でクサい、とか思う部分もあるけれど、やっぱりくらっときちゃう...。

今日も村上春樹『意味がなければスイングはない』を眠気と戦いつつ読む。ブルース・スプリングスティーンと、レイモンド・カーヴァーを並列で論じたり、ゼルキンとルービンシュタインの差異を語ったり。この人の音楽の引き出しの深さを一章毎に認識。わたしは割りと音楽を聴かない人間なので、膨大な音楽情報の中から、自分のイメージを切り取ることの出来る聴き方、というのもよくわからず、耳にしたものをこれだけ言語化出来る蓄積とは一体どんなものだろう、と、イメージも湧かぬまま、考えてしまう。

ようやく村上春樹『意味がなければスイングはない』(文藝春秋)読了。音楽と文学にとにかく浸り、まず音楽を仕事にし、それから文学を仕事にした村上春樹はとても幸せな人なんだよねぇ、きっと。そのための努力が出来ることも含めて才能だ。わたしの知らないことがいっぱい出てきて、そうねぇ、音楽のガイドブックというにはあまりに偏っているが、何かを愛好する、ということを教えてくれる1冊だった。

今日の読書は「あのひと」+ユビキタ・スタジオ『あのひとと語った素敵な日本語』(ユビキタ・スタジオ刊)。これは、出版社を主宰するユビキタ・スタジオ(堀切和雅氏)が、「あのひと」と語り合った雑談の様子を収めた、ちょっとしまりのない不思議な本なのだが、この「あのひと」というのが、村上春樹の妻にして、写真家でもある村上陽子さんである、という情報があったので買ってみた、いわゆる村上春樹関連本の一種。全然覆面雑談じゃないじゃん(いや、本の中では正体には触れられていないんだけどね)。正体知っていて読むと腑に落ちることばかり。しかし、対談のきっかけが「虫養い」という、関西系のちょっと不思議な、残しておきたいような日本語だったので、もっと、文語的で、使えるとかっこよさげな表現がもっと出てくるのかと思ったらそうでもなく、ライフスタイルをいかに打ちたてるか、みたいなテーマを中心に話題は推移。「あのひと」の筋の通し方とか、ユビキタ・スタジオの三里塚闘争の経験談とか、それなりに興味深いが、本の価格1575円分の価値はあるのか? まだ最後まで読んでいないので判断は出来ないけど。

「あのひと」+ユビキタ・スタジオ『あのひとと語った素敵な日本語』読了。うーん、やっぱり、素敵な日本語について論じた本ではなかったなぁ。自分に誠実に生きようとするとはどういうことかを、「あのひと」なりに考察している本、って感じ。ユビキタ・スタジオさんについては予備知識全然なしだが、この人も自分について整理して書いたり語ったりするとそれなりに面白いものになりそうだが...。


#読書 #読書感想文 #村上春樹 #意味がなければスイングはない #文藝春秋 #村上陽子 #あのひとと語った素敵な日本語 #ユビキタスタジオ #堀切和雅

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?