8章-(2) 海とお城と
「カオリはどこへ行きたい?」
吉祥寺駅へ向かって、手をつないでゆっくり歩きながら、結城君が訊いた。
「海の見えるところなら、どこでも。横浜は何度も行ってるから、他のところ・・」
「地図でみると、千葉の九十九里浜なら太平洋が見えるけど、電車の日帰りはきついな。車で行けば行けるけど、電車で景色見たり、おしゃべりする方がいいよな」
香織はすぐにうなずいた。
「太平洋でなくてもいい。もっと近くでいい」
「じゃあ、真鶴岬へ行ってみよう。見えるのは相模湾だけど。時間に余裕があったら、帰りに小田原城へ寄ってもいいし」
「え? お城にも行けるの? そこはまだ行った事ない」
「じゃあ、決まりだ。地図と時刻表で、大体のことは調べといたんだ。カオリもきっと気に入ると思ってね。吉祥駅からだと、電車の都合がいいんだ」
結城君は車が来ると、香織の肩を抱いて、道の端に寄り、通り過ぎると、 また手をにぎり直して、先に立って足を速めた。香織はドキドキとワクワクで、どうしていいかわからないけど、寄り添うようにして、いっしょに足を速めた。
「ね、これって、いちゃいちゃしてることなの?」
「えっ? フフハハハハ、いちゃいちゃって・・知りたかったのか」
結城君は笑いながら、ふいに香織を抱き寄せると、帽子をさけて、強くキスをした。
「これくらいじゃ足りないな・・。暗くて2人だけでもっと・・ハハハ、 おかしなやつ! いちゃいちゃかぁ」
香織は真っ赤になって、周囲を見た。こっちを見てる人が何人かいた。。
「いやだ。見られて・・はずかしい・・」
「そうだね、フフ、まじめに行こう。その帽子、広すぎてじゃまっけだね」
そうなの? 香織は歩きながら帽子を脱いでリボンをはずすと、幅広にしたリボンを、頭の上から、帽子の両脇の縁を抑えるようにして、脇に回しあごの下で結んだ。
「どう? うんとせまくなったでしょ?」
「それいい!鳥追い女の帽子みたいだ」
また結城君が香織の肩を抱き寄せて、吉祥寺駅まで歩いた。
新宿で乗り換えて横浜へ出て、横浜から東海道本線の熱海行きに乗った。 新幹線ではないので、ゆっくりと進む。藤沢を過ぎ、茅ヶ崎あたりは、窓辺から海がよく見えた。
「日本は山がたくさんあって、海に囲まれていて、恵まれてるよね」
結城君がしみじみとそう言った。
「サンフランシスコも、海は近いし、丘も多いけど、日本みたいな四季が はっきりないんだ。夏は涼しいくらい乾燥していて、20度前後でね、24度なんてめったにないね。冬の方が雨が降って,温かいくらいなんだ」
香織は姉の志織の話をした。
「サンフランシスコのおじさんちから、昨日、大阪に帰ってて、明後日会えるの。サンフランシスコは坂の町、って姉が言ってたけど、冬にスキーなんてできないのね」
「雪なんてあそこでは見たことないよ。霧は多いけどね。あの町のどの当たりだ? お姉さんのいるのは」
「日本人街だって。他の国の人もいっぱいいるらしいけど」
「オレんちがいたのは、北東部の金融街なんだ。中心街だね。1989の大地震ですごい被害があったけど、それから9年経ってたから、中心街はかなり 復興してた・・日本人街あたりは、回復は遅かったんじゃないかな」
「地震は日本と同じほどあるのね」
「そうだよ、小さいのなんか、よく起こってた」
そんな話をしながら、窓外の景色を眺めたりしているうちに、真鶴駅に着いていた。
「11時半だ。真鶴岬のパンフを見てみようか」
結城君は何枚かパンフを見つけてきた。最初にあったのは〈真鶴岬ハイキングコース〉だった。パンフを読んでみて、ガッカリした声を上げた。
「これは崖の上の森の中を、歩くだけみたいだ。水泳はできそうもない」
「砂浜のある海岸がいいな」と香織。
結城君はパンフをめくって他のを見た。
「岩海岸、真鶴で唯一の砂浜のある、海水浴場だって。こっちにしよう。 歩いて15分だ。レストランもあるしさ」
「それいい、そっちにして!」
2人はパンフの地図に従って歩き出した。潮の香りのする風が、香織の帽子を揺さぶる。スカート風パンツが、風にはためく。
それほど広くない海水浴場だった。結城君は、大きなリュックからシートを取り出して、砂の上に広げ、浜辺用の大小のサンダル2足を取り出した。
「私、水着持って来てないの。海は見るだけで、泳ぐつもりなかったの、 泳ぐの好きじゃないし」
「なんだ、その下に、水着着てるんだと思ってたのに」 と、がっかり声の結城君。さっさと上着とジーンズを脱いで、準備運動を 始めた。
「じゃあ、そこに座って見てな。そうだ、オレのリュックの中にあるもの、何を出してもいいから・・。飲んでも食べててもいいよ」
そう言うと、日頃の運動で日焼けした背中を見せて、ゆっくりと水に入り、全身をぬらしてから、平泳ぎで泳ぎ始めた。それから次はクロール、背泳ぎ、バタフライとつぎつぎやってみせる。見事な泳ぎっぷりだった。ほんとにスポーツ万能なんだ。
香織は見とれながら、手はリュックの中を探ってみた。湯揚げタオルにフェイスタオル、ブリーフもくるまってる。2本ずつのレモンジュース、オレンジジュース、ペットボトル、袋入りのバウムクーヘン、地図、手帳、財布、カメラ、靴下、水中メガネ・・ほんとに準備万端だわ。私が持ってこなかった物がほとんどだ。
岸からかなり離れたところで、逆さになってもぐり浮き上がって来た結城君に、香織は思わず盛大な拍手を送った。
彼が浜に上がってきた。香織はすぐに湯揚げタオルと、フェイスタオルと ブリーフのひと包みを,差し出した。
「気持ちよかったぞ! 泳げばいいのに」
「私、お医者に止められたことがあるの。貧血と低血圧で。人にぶつから ないこと、泳ぐのもダメって。夏にひどくて、学校のプールもやれたり、 止めたりなの」
「ふむ、そうだったのか。じゃあ、レストランで海を見ながら、たっぷり ランチしよう。それから小田原城へ行こう」
香織は、ありがと、と言いながら、彼が水泳パンツの着がえをためらって いるのを見て、立ち上がると、シートをたたんで、彼のまわりに丸く立つ ようにして、この中でどうぞ、としゃがんで支えた。
「ありがとな。名案だ! 機転がきくって、こういうのだな」と、嬉しい褒め言葉だった。
そんな訳で、ビュッフェスタイルで、好きなものを好きなだけ選んで, たっぷり食べた。最後はソフトクリームで仕上げをして、真鶴から小田原へ向かったのだった。
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