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イエテ◯ソラへ (17) ☆ 二匹のカエル ☆

 雨になってくれたらいいのに、空にはその気配がまるで感じられない。テレビもラジオもなしで、予報もわからない。今ごろ台風情報とか、梅雨情報とか、やってるといいな、などと願いながら、ベッドの上に広げた荷物の整理を始めた。
 黒バッグの中身を見ると、ずいぶん減っていて、火や水があれば食べられるものが目立つ。手に触れたカップラーメンを、カサカサ揺すってみた。ああ、お湯さえあればなあ。汁物が食べたい! パンはコッペパンやバターロール、クロワッサンが残ってるくらい。シリアルとクッキー、ポテトチップスもまだあるけど、なんだかなあ · · ·。
 スープとか、サラダとか、お肉とか食べたいなあ。お刺身もいいなあ。
 そうだ! 食べたいものを、絵に並べてみるのもいいよね、お話とは別にして! デッサンの練習にもなるし。
 わたしは少し元気づいて、ロビンソンンクルーソーのスケッチブックを取り上げた。ぱっと開けた一番裏側のページに、おにいちゃんの字で、またびっしりと、書きこみがしてあって、またまたびっくりした。今まで気づかなかったページだった。

《今日のアキノ先生の話が頭に残って、考えずにはいられない。アガサ・クリスティの、自伝の最後の方に、短く載っていたそうだ。こんど図書館で探してみよう。
 それはアメリカの民話で、農夫たちの間で語りつがれた話なのだという。
「ある日、二匹のカエルが野原をとびはねていて、運悪く、農夫が置き去りにした、大きなミルク缶の中に、落ちてしまった。あわてて這い上がろうとしたが、かべはつるつるしてのぼれない。
 一匹のカエルは、もうだめだと、早ばやとあきらめてしまった。するともう一匹がいった。「ぼくはあきらめないぞ。ぼくにできることは、泳ぐことだ。泳いで、泳いで、泳ぎ続けてみせる」
 そういって、ぐるぐるぐるぐる、ミルクの海の中を泳ぎ続けた。
 長い長い夜が明けて、太陽の光がさしこんできた頃、あきらめたカエルは、ミルクの海に死んで浮かんでいた。泳ぎ続けたカエルは、足の下にできた、小さなバターの小島の上に、ちょこんと座って、明るい空を見上げていたとさ」

 これだけの話だ。でも、〈バターの小島〉と聞いた時、クラス中がどっと沸いた。だれもが思いがけない結末にびっくりして、同時になるほど! と感心したのだ。
 オレもうなった。まるで天から降ったみたいな、思いがけない救いにみえるけど、ミルクをかきまわせば、バターができることは、牛を飼う農夫なら、だれだって知っている当然の話で、納得せずにはいられない。こんな形で〈何ごともあきらめるな〉という代わりに、伝えているのは、すごい!

 でも、それ以上に心に残ったのは、アキノ先生の言葉だった。伝記文では〈バターのかたまり〉と訳されていたけど、先生は〈バターの小島〉のほうが、〈ミ ルクの海〉の縁語になると思って、変えて話したのだと、言い訳をしてから、こう言った。
「カエルにとっては、泳ぐことが、命をつなぐ唯一の方法だったけど、私たち人間にとってはどうなるかしら。自分にできることを、とにかくやり続けて得られる、自分にとっての〈バターの小島〉は何なのかを、考えてみるといいよね。
 それは、生きることの意味とか、生き方の問題までも、いっしょに含んでいるような気がするの。私もこのお話を読んでから、ずっと考えているの」
 それだ。オレにとって〈自分にできることとは何か〉〈その結果として得られるものは、何なのか〉それをとことん考えなくては!

 それにしても〈伝わっていく話の力〉とは、ほんとうにすごいと思う。 〈1〉この話を思いついて話した、農夫がいて、
〈2〉それを聞いておもしろいと思った、別の人がいて、
〈3〉それが人から人へ伝わって、
〈4〉クリスティの乳母となった、アメリカ人に伝わり、
〈5〉それをクリスティが忘れられず、自伝に書きこみ、
〈6〉それを翻訳して、伝える人がいて、
〈7〉アキノ先生が見つけて感動し、
〈8〉オレたちに話してくれたのだ!》

 そして今、妹のわたしに伝わった! ふうん、そうなんだ!
 わたしは感心して、思わず知らずおにいちゃんの文の下に、右から順に人物画を描いては、矢印をつけていた。
 九番目はわたしだ。わたしの次の矢印は、だれに向かうのだろう。わたしは、この話を伝えるように、バトンを渡された、おしまいの人であり、これから渡す〈先頭の人〉でもあるのだ!

 わたしはおにいちゃんが、何を見つけたのか知りたくて、どこかに書いていないか、残らずページをめくって調べてみた。でも、その他には、もう何も記されてはいなかった。
 わたしは宿題をもらった気がした。わたしにとっての〈自分にできること〉と〈何を目指すのか〉ということ。考えにふけって、自分がどこにいるのかも、ほとんど忘れかけていた。

 その時、外の方でガタンと扉の開く音がして、男の人の声と、何人かの足音が聞こえた。

★ 麻美 ★
 内藤先生はナイトだと思ってたのに、ひどいよ。小峰さんとあたしが、〈朝の会〉の司会の当番をやってて、先生と交代する時に、あたしのこと、バラしちゃうなんて! 横川さんは今学期かぎりで、転校することになってるよね、って。
 みんな男子まで、エエッ! ほんとかよ! なんて、クラス中大さわぎになって、 なんで? どこへ? 理髪店やめるの? って、集中攻撃よ。幼稚園や小学校から、ずっとの仲間が多いもんね、むりないけど。
 そのさわぎの中で、先生はあたしの横にいた小峰さんに、こう言ったの。お別れ会するだろ。そのこと、みんなに〈帰りの会〉の時にでも、相談した方がいいよ。もうあまり日がないからって。
 サンセーイって、みんなは叫んでたけど、あたしは何も言えなかった。ユカのことが知れたら、それどころじゃないのに、と思ってたから。

 座席に戻ったら、朝子とクミは怒っちゃって、両側から肩をこづかれちゃった。いつもは聞いてる側で、かんじんな時だけ口出しするクミまで、口とんがらせて迫ったんだよ。
「なんでだまってたのよ。教えてくれたっていいじゃん!」
「だまって行っちゃうつもり!」
「今日は帰りにつきあってよね」ってさ。

 内藤先生は、夏休み中のプールとか図書室とかの、利用の話を伝えたあと、教室を出がけに手まねきしてあたしを呼んで、小声でこう言ったんだ。
「葉山さんのこと、教えてくれないかな。何度も電話してみたんだが、だれも出 なくて、連絡なしで心配なんだ」
 それじゃ、ユカのママは、まだ先生には伝えてないんだ! あたしからは言わないで。自分で伝えますから、よけいなことは言わないでって、びしっとくぎをさされてさ。あたしはもう朝子とクミには、言っちゃってた後だったから、ドキッだったんだ。
 自分ちの恥だと思って、ユカのママは、先生に言えないんだね。よく小学校の先生たちを攻撃してたの、有名だったし、わかるけど。
 それにしても、うしろはすごいさわぎだし、なんて返事しようか迷っちゃった。でも、やっぱ重大事件だもんね。ユカがいなくなってる、ってことは。だから、「あとで、職員室でお話します」って、言ったんだ。
 ママは警察に行くって言ってたから、それなら外に知れてることだし、いいや、言っちゃおと思って。

 それで、一時間目と二時間目の間に、内藤先生に何もかも話したんだ。先生は青くなってあわてて、すぐ校長室の方へ飛んでったよ。何かいい方法を考えてくれたらいいけど。

 朝子とクミの方は、いったんうちへ帰って、かばんを置いて、4時半に〈シャガール〉で待ち合わせだって。うちから一番近いからね。ケーキセットを、二人であたしに、おごってくれるんだって!
 ユカのいないこんな時に、ケーキ屋に集まるなんて、ちょっと気がとがめちゃうな。でも、ユカのこと忘れてるわけじゃないからね。
 なんかちょっとうれしい気分もあって、今、3時間目の社会科だけど、ノートの下にかくして、こっそりこれ書いてるんだ。おっと、ヤバ!

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