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イエテ◯ソラへ (21) ☆ 三日目って? ☆

 工事の二人があと片づけを終えて、去って行き、屋上の扉の閉まる音がひびいた。わたしは反射的に時計を見た。4時10分過ぎだった。
 ああ、やっと自由になれる! わたしはふとんの山をこえて、ベッドから跳び下りた。障子をもとに戻して、風を通す。

 それから台所の水道で、思いきり手と顔を洗った。ついでに汗だらけの、頭も首も脚もごしごし洗った。シャンプーを持ってくるのを、忘れるなんてドジ! でも、水で洗うだけでも、気持ちがいい! ぬれたままの肌に、風がふれると、鳥肌 立つほどすずしい!
 ついでに汗まみれになった、Tシャツ二枚と、青いショートパンツも、ザブザブ水洗いして、外のコンクリの床の上に、広げておくことにした。なるべく屋上への入口から、遠いところへ。
 それから、水の出ている間に、予備をくんでおこうと、バケツをとりに走ったり、ペットボトルの空いたの2本にも、いっぱいに詰めこんだ。
 この水で、カップラーメンが作れないかなと、思いついた。お湯をわかす物を探してみたけど、お鍋も何も見つからなかった。
 外のコンクリの上で、お湯が作れるかも、と思いついた。
 ペットボトルをひとつ、外の日の当たる、コンクリートの上に、置いてみた。夕方近かったけど、一日じゅう日差しを受けていた床は、はだしでは歩けないほど熱かった。ボトルを横向きにして、熱を受ける面を広くした。

 ハトが群れになって、パタパタと駅の方へ、飛んでいくのが見えた。日が西の山に近づく頃には、空にはさまざまの鳥が、ビルのあいまの空を飛んでいる。大きいのはカラス、小さいのはスズメ、それからツバメも。わかるのはそれくらいだけれど、もっと別な鳥もたしかにいる。絵を描きたいなら、いつかちゃんと、それも調べなくちゃ。
 管理人さんがいつ気まぐれを起こして、水道の元栓を、止めにやってくるかもしれなかった。それを意識して、すぐにベッドに上がれるように、縁側に座る位置も考えた。
 5時を知らせるチャイムが、大きく鳴りひびくのを聞きながら、わたしは『裕香の家出物語』の続きを、描きこんでいった。あの二人の工事人の会話に、耳をすましていたおかげで、吹き出しの言葉が、かれららしくなって、うれしくなった。
 うっす! だって。ふーい! も。あんな言葉は使ったことがないもの。

 二人が帰っていき、ボトルを日なたに出すところまで描き終えると、わたしは筆入れからカッターナイフを取り出した。『ロビンソン・クルーソー』の、厚いきれいな白紙に描きこんだ部分を、一枚づつ切りはなして、ページ番号をつけ、スケッチブックのうしろに重ねた。
『裕香の家出物語』が、ほんとうに独立した、一冊の形になった! どう見ても、中身はお粗末なできばえだけど、とにかく続けることができて、うれしくて抱きしめてしまった。
 自分のへやに戻ったら、全部をきちんとそろえて、ホッチキスでとめて、表紙も作って、ブックテープをていねいに貼って、一冊の形をもっとかんぺきにしよう!
 うれしくて、また最初から読み直してみた。描いたものを読み直すことは、裕香自身をよその人の目から見るのと、おなじ感じがする。
 それで、自分でも思ってもいなかった、自分の姿が見える気がした。

 わたしって、なんてまぬけ! 麻美はわたしが頭いい、ってよく言うけれど、ウソ! 家出の前には、ママみたいに、いっぱいリストを作ったはずなのに、足りないものだらけだった。
 でも、ちょっとは頭いいかな。いろいろ気をつかって、とにかく見つからないですんだもの。
 それに、わたしって、運がいいんだ! カギを拾って、かくれる場所が見つかって、困ってる時に水が降ってきて、気にかけてくれたおじいさんがいて、おまけに工事のせいで、水の心配がなくなって、ラッキー続きだ!
 それに、ぐうぜん、おにいちゃんの残したものを見つけて、いろんなことを考えることができた。コペル君みたいに、りっぱなことじゃないけれど、わたしなりに、いっしょけんめい考えた。

 わたしって、ほんとは弱虫じゃないかも! だって、だれもいない、ユウレイが出るって噂のこの家に、たったひとりで、ふた晩も泊まったじゃない!
 それに、ほんとにやっちゃってる! ママへの反抗! おにいちゃんみたいに、口げんかとか暴力とかじゃなく 。ひょっとして、ママも考え直してくれてるかも · · ·。
 それから、わたしひとりで、ひとつのお話を描いちゃった! 初めての描き下ろし! とってもたいせつな、わたしだけのお話!
 この絵の中の〈裕香〉が好き! 絶体絶命の場面で、ふとんの上に足を乗っけて、息を殺してる裕香が、抱きしめたいくらい、おかしくて大好き!
 麻美にこれを見せたいな。わたしを避けないでいてくれたら · · ·だけど。そうだ、パパが帰ってきたら、パパにも見せよう!

 そう思いついたとたんに、もっといいことがひらめいた。パパにメールをすればいいんだ!
 わたしはケイタイを取り出すと、おそるおそる電源に指をかけた。たぶんママからメールが来てるはず · · ·。思い切ってボタンを押した。やっぱりメールが三つ入っていた。ママからふたつ、麻美からひとつ。でも、クリックはしないで、パパへの発信を始めた。

「パパ、お元気ですか? 裕香はただいま〈ひとりで考え中〉です。コペル君みたいに · · ·。元気で、ドキドキしています。パパが帰ったら、見せたいものができたから、楽しみにしててください」
 できるだけぼかして書いたつもり、それでも〈コペル君みたいに〉は消すことにした。その連想で、わたしが屋上にいると、パパが察するかもしれないもの。
 夏のドイツは、時差7時間だから、今は真夜中だ。朝には読んでくれるはず、と思いながら送信した。

 これでよし。わたしは弱虫じゃないよ! ちゃんとやれてる! 3日って決めたら、3日やったもの。
 その時、ふっと〈3日目〉というのは、ほんとはいつになるんだっけ、と疑問がわいた。これは、言いたくないけど、わたしの弱点のひとつなんだ。
 算数の〈追いかけ算〉とおなじように、日にち計算や時間計算になると、わたしは迷路にはまりこんだみたいになる。
 たとえば、朝の7時から午後の3時までとか、13日から22日までとなると、指を使ってたしかめないと、あやしくなる。始まりの日を入れるのか入れないのか、迷ってしまうのだ。ちょっとお利口さんが、まぬけさんに一変する問題だった。
 麻美に送られて家に帰ってきて、そのあと屋上に出たあの日を、1日目と数えるなら、今日がその3日目になる。そして、きっちり24時間を1日と考えるなら、あすの夕方になるはず。そのどっちかなあ。

 いいや、今日が3日目ってことにしよう、マンガは思いきり描いたし、そうしよう、と立ち上がった。その時、外に置いた、ペットボトルが目に入った。あれだけは実験してみなくては。
 ベッドの上の黒バッグから、カップラーメンを取り出した。ペットボトルの中の水は、水道水よりは、かなりなまぬるくなっていた。
 夕暮れにはまだ間があるが、時計を見ると、5時半だった。
 縁側でカップになまぬるい水をそそいで、ふたをし、時計の秒針で3分をはかり始めた。
 するとケイタイの着メロが鳴った。しまった、電源を切らないままだった。だれからだろう? わたしはおそるおそる開けてみた。

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