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イエテ◯ソラへ (5)☆ 予想外 ☆

 無事に屋上に戻ると、わたしはわくわくして、はねまわりたくてたまらなかった。ばんざい、ほんとに自由だ! 麻美に送られて、学校から戻った時の、あのぐったりしていた自分が、よその世界の人みたいだ。
 じっとしていられなくて、ひとしきり屋上のはしからはしまで、物置の中までぐるりと、駆けてまわった。もうこれで3日間はぜったい屋上ぐらしだ、自由だ! わあい!
 1.2メートル高さのコンクリートべいと、その上に青色の丸くて太い鉄パイプの柵が一本、がっちりとはめこまれていて、それが屋上の周囲をぐるりとかこっている。
 コンクリべいとその上のパイプの柵の間は、10 センチほどあいているので、用心しないと、ほぼおなじ高さの向かいの飛鳥ビルから、見られてしまいそうだ。
 ときどき、ちらちらと、隣の庭園の垣根のすきまを、警戒した。びっしりと混みあった垣根は、ところどころに隙間がある。一箇所2メートルほど開いていて、 芝生の一部が見え、エレベーターらしい戸口と、西向きの家の、引き戸も見えていた。そこを出入りする人に、見られてしまうのだけは、気をつけなくては · · ·。

 少し落ち着くと、へやに戻って、荷物の整理にとりかかった。この暑さでは、 冷蔵庫に入れるべきものが、いくつもあった。
 ところが、なんと台所に冷蔵庫がなかった! 床に冷蔵庫の跡は見えているのに · · ·。たぶん、管理人さんが一階の部屋で、今使っているのだ。どうしよう、果物 や牛乳などは、もちそうもない。
 なんとかしなくては! 家の外まわりをしらべてみた。西側の物置に、金物のバケツが3つ重ねたのが目についた。このバケツに水をためて、ボトルや果物を浮かせてみようか。

 ところが、台所の水道の、蛇口をひねっても、水が出ない! ショック!
 ガス台の火は、元栓を力をこめてひねれば、つくのかもしれないが、それをためす気にもなれない。水がなければ、湯をわかすことはできず、レトルトのごはんもみそ汁も、カップラーメンだって食べられない。
 ジュースと麦茶は別にしても、水はボトルで持ってきた、たった一本の、ミネラル水しかないってことだ。それがどういうことなのか、その時はまだ、実感としてわかっていなかった。
 雨でも降れば、バケツに水をためられるのだが、雲ひとつない空には、バケツの用はなさそうだった。
 バケツを西側の棚に戻し、北側の物置にまわってみた。中は右と左に棚が3段ずつある。長柄のほうき、ぐるぐる巻きのホース、からの植木鉢、土や肥料の袋 · · ·。ありとあらゆる雑物が、ならべてある。
 出入り口は西と東の両側にあって、通りぬけられる。両方の扉が半開きになっていて、風通しよくしているらしい。
 ここは北側のせいで、日が当たらず、すずしい。食べ物入りの黒いバッグは、ここに置くといいかも · · ·。                       へやに戻ってみると、パンのいい匂いが充満していた。これでは姿はかくせても、匂いですぐにばれてしまう。すぐに黒バッグを物置に運んだ。

 二段ベッドは、縁側のそばの、壁ぎわに寄せてあって、反対側の柵にそって、古いが背の高い洋服だんすと、整理だんすが、押しつけられていた。だから、上の段でたんすの陰にかくれて、腹ばいになって、息を殺していたら、だれかが入ってきても、たぶん見つからないだろう。
 下のベッドには、冬のざぶとんが数枚と、こたつカバーや毛布が、重ねてつまっている。手すりを使って、上のベッドによじのぼってみると、手前には、古いまくらが二つ、重ねて置いてあって、その向こうには、ふとんが雑につみ重ねてある。さめたピンク色のバラもようだから、きっと園田さんの二人のむすめさんたちが、学校を卒業して家を出る前に、使っていたベッドだったんだ。
 衣類の入ったリュックは、このベッドの上段の、陰になっているところにかくした。

 やるべきことを終えて、やっと安心して外に出てみた。
 いつのまにか、日は西の山に、沈みかけていた。広告板の脇の、手すりの隙間から見ると、一面の青だった空が、あわいピンクに始まって、パステル色の黄色、 オレンジ、グレー、ムラサキ色まで、微妙な色に染まっている。
 その輝きが、座敷の西側にただひとつある、窓に反射していた。お風呂場の窓だ。おじいさんはきっと、その窓から夕日をながめながら、入浴を楽しんだのだろう。
 わたしは頭が出ないように気にしながら、暮れていく西空に見とれた。
 近くを中央線の電車が、走りぬける音がしている。近くの通りを、車が通る低い音が、ひっきりなしに聞こえる。たまに警笛もひびく。夕方の混みあう時間なのだ。
 飛鳥ビルとの間の、3メートルあまりのせまい道は、一方通行のぬけ道になっていた。自転車のベルの音。何やらどなりあう、男の人の声もきこえる。伸びあがってのぞいて見たいけれど、見られては台なしだから、音だけでがまんする。

 今ごろ塾では、数学の文章題に、頭を悩ましているはずだった。わたしはどういうわけか、〈追いかけ問題〉が苦手だ。時速何キロで走る電車を、時速何キロで追いかけたら、何分で追いつくか。歩いたり走ったりして、追いかける問題もおなじ。
 読んだとたんに、頭の中に、ものすごいいきおいで、走る電車が現れ、それをもっと速い電車が、追いかけたとしても、先のはもっと先に進んでいるじゃない、動いているものどうしを、どうやってくらべるの、とこんがらがってくる。
 先生は二つの電車が止まっているものとして · · ·、と言いながら、図を描いて、 計算方法を教えてくれるけど、わたしの頭の中では、どうしても走る電車が、追いかけっこをしてしまう。
 そんなことに頭を悩ますことなく、こんなふうに、のんびり景色をながめていられるなんて、さっきまで夢にも思わなかった。
 この自由な時間で、マンガのお話をひとつ、描けるといいな。いつもは麻美がお話を作って、わたしが絵にしてたけれど、自分でお話も作ってみたいな。そうだ、それが仕上がるまで、ここにいることにしたら · · ·。
 わたしは胸もふくらむ思いで、大きく吐息をついた。

 その時、奇妙な物音が聞こえた。何かを引きずるような、ズズッ、ズズッ、という音。カタン、コツ、カタッ、と不規則な固い音 · · ·。首をのばしてあたりを見 まわしても、うすやみの中に何も見当たらない。
 わたしの背筋に冷たいものが走った。
 屋上にユウレイが出る、という噂はほんとうなのか!
 だから、扉が封鎖されたのだって、ロビーで若いおばさんが話しているのを聞いたことがある。
 部屋に戻りかけて、ふっと、右手の方を見た時、息が止まりそうになった。向かいの飛鳥ビルの垣根の隙間のところに、こっちをじっと見つめている人が! 頭の白い、細身のジンベ姿の人 !手に長いつえをもっていた。

★ (麻美) ★
 メールのこれ、なんのまじない、ユカ? いたずらクイズかなあ。ずっと考えてるけど、さっぱりわかんない。
《 イダエテノ○ソラソヘ 》
 なんで、これだけ?4ヶ月ぶりのメールが、ありがとうと、これだけ、なんてひどいよ。どうひねったって、わかりゃしない。もっとヒントおくれと、こっちからもメールしようとしたのに、切ってあるのはなんで?
 ユカのママが出たらヤバイと思ったんだけど、勇気出して電話してみたのに、だれも出ないし · · ·。
 塾には、やっぱ行ったんだね。 ユカは頭よすぎて、ついてけないよ。
 クミと朝子に相談してみようかな。3人よれば、なんとか、だもんね。

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