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イエテ◯ソラへ (12) ☆ おくりもの ☆

 ベッドの上のスタンドの下で、わたしは胸がほっかりあったかい気分。目の前に、もぎたての赤いトマトと、とげとげのついたきゅうりが一個ずつ、宝物みたいに光ってる!
 あのおじいさんが、あの後、待ってろ、みたいなしぐさをして、カイヅカイブキの陰に、よたよたと行ってしまった。
 何をするのかと思ったら、ずいぶんわたしを待たせたあげく、垣根の向こうにあるらしい畑から、採ってきてくれたのだ。

 わたしの手に渡るまでが、それはたいへんだった。両側で手を伸ばしっこしても、届かない。おじいさんが投げようとしても、力が入らないらしくて、とうとう、トンボ取りのアミの中に、入れてはみたけれど、それでも長さが足りない。
 おじいさんは軒下から、みどり色の物干しざおを、時間をかけておろすと、トンボ網の棒を、深くさしこんで長くして、さし出してくれた。
 それがどんなにたいへんなことか、わたしはハラハラしどうしだった。片腕しか使えないのに、あごと首も使って、網を先へ先へとくり出すのだ。途中で網がカクンと落ちかけたり、中身が放り出されそうになったり · · ·。
 おじいさんはあごで柄をおさえて、片手片腕で、少しずつ送り出して、やっとわたしまで届かせた。きっと汗びっしょりだったと思う。

 うす暗くなりかけていたから、見えなかったと思うけれど、もしも下の通りで、空を見上げている人がいたら、頭の上の方で黒っぽいものが、ブラブラ揺れてるのが見えて、くぎづけになったはず · · ·。
 真っ赤なトマトと、とりたてのきゅうりを、ずっしりと受けとめた時、わたしは胸がいっぱいになって、ほんとに涙がぽろぽろ、あふれてしまった。
 おじいさんは名前も知らない、なんのつながりもない、わたしのために、あんなに時間をかけ苦労して、届けようとしてくれた。3メートル離れていても、口がきけなくても、心はちゃんと届くんだ。
 今、わたしは、ひとりじゃない、ってしみじみそう思えた。
 ありがとう、ありがとうと深ーく頭を下げると、おじいさんは何度もうなずいて、汗をぬぐっていた。

 そのあと、昨日の男の人の声がして、わたしはあわててしゃがんだ。身動きしないでいても、胸のドキドキが大きくなった。だって昨日のように、おじいさんがわたしのことを、何か言うかもしれなかったから。
「じいちゃん、何やってんだ、アミをさおにつないじまって、重くなるだろが · · ·。ま、リハビリには重い方がいいけどよ。汗びっちょりじゃん」
 アミを引きぬく音がして、さおの方も、軒下に戻す音が続いた。
「ほれ、首んとこ、汗ふいてやるよ。え? 隣のビルに、だれがいるって?」
 わたしはドキンとした。何か言ったんだ、わたしのこと · · ·。
「女の子? よーく見たけど、いるわけねえよ。それよかじいちゃん、行こうぜ。夕めしはウナギだぞ、ウナギ。すげえろ。たまには食わせろて、かあちゃんに奮発させたんさ。梅谷のスペシャルのやつ。ほら、つかまんな」
 おじいさんの、ふくみ笑いが聞こえただけで、話は途絶えた。
 わたしはそうっと、柵のすきまに目を当ててみた。茶髪のおにいさんが、おじいさんを背負って、よいしょと立ち上がる、うしろ姿が見えた。その後、エレベーターが開いて、閉じる音だけが聞こえた。

 ああ、ウナギ! わたしも食べたい。こってりと脂のある、甘辛いしょうゆ味が、のどを通る時のあの旨みが思い出されて、目がくらみそうだった。
 ウナギの代わりとしては、ちょっとなさけないけど、もぎたてのきゅうりを、かじってみた。水気たっぷりで、青い匂いが広がって、なんともおいしい。塩気がほしくて、チーズもいっしょにかじると、こんなにおいしかったんだ、とますます感激!
 やめられなくて、がつがつと一本、まるまる食べ終えると、こんどはトマトをかじった。まだぬくもりが残っていて、なまあったかいけど、こちらは甘くてジューシーで、体に足りないものが、満たされる感じがあった。
 こんなにおいしいものが、ビルの屋上のこんなところで、わたしの口に入ってる。そしてわたしを支えてくれている。また涙があふれて、そんな自分がおかしくて、泣き笑いしながらたいらげた。

 コペル君の言葉が、今は実感としてわかる気がした。
 この屋上にいるわたしに届くまでに、たしかに数えきれないほどの人が、関わっているのが想像できる。飛鳥ビルの、おじいさんの畑に持ちこまれた土、種、水、 肥料を、それぞれ作ったり、運んだり、畑にする手助けをした人たち · · ·。そして おじいさんを支えている、あの若い人や家族の人たち。
 そう、わたしはひとりじゃない。わたしの家族のほかにも、見えないたくさんの人に、支えられて生きてるんだってことを、コペル君は教えてくれていたのだ。
 そういえば、亡くなったあの人たち! おじいさんが、わたしに目を留めてくれたのも、あの人たちのことがあったからだ。すべてがつながり合っているのだ。

 わたしは厳粛な思いで、夕暮れ色の町を見下ろしていた。通りを走る車のライトが、二連のビーズのネックレスのように、きらめきながら流れ続けていた。
 それは生きている人たちの、流れがずっとずっと続いている証 (あかし) のように思えた。 

★ 麻美 ★                                   すっごい抵抗あったけど、ユカのママに電話してみたんだ。夜11時にやっとつながったのは、たいへんな仕事の方が、まだ終わってないんだね。
 この電話で、ユカは少なくとも、食料をたくさんと、お金をかなり持ってるってことはわかった。
 ママの言うには、寒い時期ではないから、2、3日はなんとかなると思うけれど、都会は危険がいっぱいだから、それが心配でって、しまいにはグチみたいに、泣き声になってた。
 ユカのひと月のおこづかいは、3000 円なんだって? いいよなあ。あたしなんか、1000 円だよ。すぐなくなっちゃうから、あたしなんか年中金欠病だけど、ユカはあんまり使わないんだって?
 だいたい、遊ぶひまなんかないよね。
 引きだしにたまってた、こづかいも持ち出してるから、5万くらい持ってるかも、だって。うわっ、スゴ!
 それだけあれば、ホテルだって泊まれるけど、ユカはチビだから、どう見たって、小学生か、中学一年そのものにしか見えないよね。

 昨日から考えてるんだ。ユカが行くとしたら、どんなところかなって。

1. 映画館でアニメをみる‥ひとつを何度も見て、時間つぶしす・・・これ、ユカならやるかも。マンガを描くの大好きだし · · ·。それともマンガ喫茶に行 くかなあ。でも、中学生が夜通しは、行けないよなあ。

2. 公園のホームレスの人たちの小屋に、仲間に入れてもらう···。これはユカ にはぜんぜん向いてない。あたしはこれ、一度やってみたくて、憧れだけ ど、いざってなると、やっぱりムリ、あの臭いががまんできないもの。

3. 空家を見つけて、こっそり入りこむ···。アパートとか一戸だてとか、この 頃空き部屋は、あちこちにあるから、可能性はあるかも。ユカは静かな方が好きだから、これいいかも。でも、カギは? ぐうぜん、カギが開いて る部屋が見つかれば、別だけど。そんなぐうぜんなんて、めったにない よね。

4.学校にもぐりこめたら、空いてる教室や、物置のすみや、かくれる場所は いくらでもある気がする‥でも、うちの学校は、戸じまりげんじゅうで有
名だし、ムリだ。

5.テントを買って、大きな橋の下でくらす···。これも2と似ていて、あたし の憧れだけど、夜ひとりでねるのは、ユカにはこわいかも。(実は、あたし だって···)

6. ひとりぐらしの、お年寄りの友だちがいたりして、そこへ泊めてもらう。 そんな人がいたら、すっごく安心だけど、ユカにそんなヒマは、なかったはず。塾でくたくただったし、これもムリだね。

7. お寺とか教会とか、ひょっとしたら相談にのってくれるかもしれないところへ行って、しばらくおせわになる · · ·。でも、大人はぜったい、家の人に知らせてくるよね。しばらく預かってくれるにしても、そうするよね。

 ああ、もうこれ以上、思いつかないよ。頭がすかすかのカラッポになった感じ。もう寝るね、今12時だから。ユカが安らかに眠っていますように。

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