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かよとお水神さま

明治20年代頃、禁令の間引き(捨て子)が、あちこちで続いていて、かよの妹は危うく救われ、その後、姉妹がどんな運命を辿ったか、近い時代物として、記してみた。私が6歳の頃、実際に川に流され、生き残ったという婆様もいた。

1章-(1) 明治23年3月末

ぼちゃり。つるべが井戸の水面に達して音をたてると、かよはあわてて紐をたぐりよせる。桶一杯に水を張っては、とうていかよの力では、引き上げられない。この正月を迎えて、ようやく数えの10歳になったばかりだ。 家を出るとき、かあちゃんは臨月のお腹をさすりながら、何度も言った。 「井戸に引きこまれたら、おえんど。村じゅうで、たったひとつのでえじな井戸じゃけん、汚したらおえん。・・本家のてごう(手伝い)に行かせる前に、あんちゃんに、やらせるんじゃったのう」 井戸からの水くみは、男の

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1章-(2) 吠えるかあちゃん

かあちゃんが吠えとる、ととめ吉が、ハアハア 息といっしょに叫んだ。かよは両手をにぎりしめて、目を輝かせた。 「生まれるんじゃが。ほんなら、兄ちゃんを呼びに、行ってきたん?」 とめ吉は、強くかぶりをふった。      母が産気づいたと察して、かよはとめ吉に、本家の手伝いに出ているあん ちゃんを、呼んで来るよう言いつけた。 「すぐ行きねえ。本家のしげ伯母ちゃんも来てくれるけん」 とめ吉は、あんちゃんそっくりの丸い目をくるっと動かすと、うなずいて今来た方へ駆け戻って行った

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 1章-(3) 誕生と死

ひいいっ、あああああっ。かあちゃんの声が前より高くもれてくる。 かよは追い立てられるように、大鍋のふたを開け、湯かげんを見、それからバタバタと、裏の石段を駆け下りた。手桶に川水を満たすと、7段駆け上って、台所のかたすみにある風呂桶にざざあと移す。これを40回やらなくてはならない。 飲み水をどうしよう!水がめは空なのだ。休みなく石段をかけおり、駆け上りしながら、その心配が頭からはなれない。 「とめ、ちょっと!」 とうとう思い切って、かよは鉄びんを手に、とめ吉を本家へやる

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 1章-(4) つるは どこへ

とむらいの客がみな去って、静まった家に、線香のにおいが立ちこめて      いる。仏壇のろうそくのあかりの前で、とうちゃんは本家のばあちゃんや、しげ伯母に、何やら迫られている。とめ吉とすえは眠ってしまったが、かよには、おむつ洗いが残っていた。 かよは口を真一文字に結んで、川から水をくみあげては、ランプに照らされたほの暗い土間を走り、庭先のたらいへ空けていく。葬式でごたごたと人が出入りしている間も、赤ん坊は乳を欲しがり、おしめを汚す。 かよはしげ伯母が、なぜか赤ん坊を、よそ

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地から天へ

祖父と煙管に続き、大学時代から結婚後まで

一章(1)上京列車内で(19歳)

東海道新幹線も山陽新幹線も開通以前の上京だったので、倉敷で列車に  乗り、東京駅までおよそ13時間かかった。 途中、神戸で山陽本線から東海道本線へ、乗り換えの必要もあった。 私は、弁当や小物や、英語のエッセイの本も入れた手提げ袋を手に、高校の制服の背中に、リュックサックを背負って、倉敷から列車に乗った。長兄にもらった腕時計を見ると、宵の7時半だった。運良く座席に座れた。岡山駅までは、駅ごとに部活帰りの高校生の群れが乗ったり降りたりで、列車内は賑やかで混み合っていた。 神

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一章(2)4人の紳士たち

人混みをかき分けて、2人の席まで行った。前を行くリュックを持ってくれたのが、佐藤と名乗った。私の後ろを守るように来る背の高い人は、上田ですと言い、私の手荷物を持ってくれている。 私のいた座席には、近くにいたらしい老女が座っていた。ちらと見ると、 アイツは新聞をかぶった格好で、窓ぎわにもたれるようにして、眠ってる ふりをしてるんだ。 佐藤君は4人の席に着くと、小声で事情を話し、私を窓辺のアイツから見えない席へ座らせてくれた。上田君が私のリュックと手提げを、網棚へ載せてくれた

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一章(3)別れと礼拝堂

目が覚めてみると、私は窓辺にもたれて、いつの間にか脚をスカートの中に入れて、靴は脱いで寝てたのだと気づいた。列車は停まっていて、学生たちは皆起きていて、佐藤君と上田君の姿が見えない。私は靴をはき、急いで顔を洗いに洗面所へ向かった。 「同じ幕の内にしたぞ。文句なしにしてくれ」             と、佐藤君が言いながら、駅弁を5個重ねてもっている。上田君はお茶を 5個抱えていた。 私のまで買ってくれたのだ。弁当を持ってます、と言いそびれてしまった。私はお金を払おうと、財

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一章(4)キャンパスめぐり

正面に堂々とした建物があり、横文字が刻まれているが、ラテン語らしく、意味はわからない。芝生を敷きつめた中に、背の低い松の木がよいバランスに間を空けて、植わっている。中央の通りの中ほどに、小さな丸池があり、ここで記念写真を撮るとよさそう、と思われるベンチもある。 右手と左手に細長い建物があり、その中の一室で受験をしたのだが、そこが普段は教室だったのだ。正面の建物につながる、渡り廊下を越え、サクラ並木の間の道に沿って進んでいくと、左手奥の方に、こんもりした木々とゆるいカーブの斜

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祖父と煙管

6歳で北朝鮮から引揚げ後、高三までの物語です。

一章(1)祖父宅へ向かう私(18歳)

青陵高校の校門を出ると、私は自転車をいつもの反対方向に向けた。 北風がまともに吹きつけてきた。まるで私がこれからしようとしている  事を察知して、押しとどめようとでもするように。その日、私は親に内緒で大それた事をしようとしていた。 「どしたん。ミコは家に帰らんと、寄り道するん?」 後ろから自転車で来た6組の知代が、私のすぐ側で片脚を地面につけて  止まった。 ふり向けば、決心が崩れて、知代といっしょに町の我が家の方へ行って  しまいそうで、私は前方を見たまま頷いた。

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一章(2)友人たち

6組から5組に入れられて、クラスが変わっても、私は知代とは変わらず 廊下や、 運動場の片隅などで、話しこんだり、弁当を共にしたりしていた。5組の人たちは、1年の時から〈進学クラス〉として、勉強漬けで鍛えられていて、グループがしっかりとでき上がっていた。成績によりまとまっていたり、気の合う人同士の集まりにも見えたが、落ちこぼれ組は、地元の岡山大学狙い組らしかった。 3年になって加わった私などは、どのグループにも入れて貰えないどころか、最初の試験で、私がクラスで4番となり、他の

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一章(3)私の進学問題

私は始業式のこの日、美智子様の新聞記事で浮かれてはいられなかった。 大学の受験まであと50日ほどなのに、まだ志望校を決めていなかった。 担任にはどうあっても、明日までに志望校を伝えよ、と厳命されていた。 最後の〈個人面談〉をする、というのだ。 知代の方は早々と進学は諦めて、水島にある大企業に就職を決めていた。  彼女は4人きょうだいの長女で、弟や妹を進学させるためにも、自分が働くことにしたという。そして、高校で勉強をお終いにしてしまわないように、授業の講義を〈教養ノート〉と

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一章(4)母と私の長い軋轢

私が母に反発しだしたのは、中学生の頃だった。それまでに大人物の本を たくさん読み続けていて、母への批判がふくらんでいったのも原因ではあった。でも、よくよく考えて見れば、朝鮮での5歳までの母との関係が、1番根っこにあるのだ。母は私を身ごもった初期に、赤痢にかかって隔離病院へ2ヶ月以上入院させられ、その間、戦時中ではあり、毎日、重湯だけしか与えてもらえなかった。 そのため栄養不足のせいで、あちこち正常ではない未熟児の私を産むことになった。上3人は健康で優秀な子たちだったし、2人

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イギリス時の旅 ー物語の舞台を訪ねてー

「おはなし」を覚えて語る仲間たち16名で、イギリス児童文学の作品を勉強した上で、作品の舞台を訪ねる旅をしてきました。伝統とイギリスらしさを味わえて楽しい旅でした。

6章-(4) 6/23 イギリスの駅事情

◆旅程:ホテル →→ オクスンホウム駅 →→ バーミンガム駅 →→チェルテナム駅 →→バスで「バイブリーコート・ホテル」へ →→ アーリントン村を散策 →→ 夜「おはなし会」 ● 9 :30 荷物をすべてバスに乗せ、ベルズフィールドを出発。初めて列車を乗り継いで、イギリス中央部のコッツウォルズ地方へ向かう日だ。曇っていて、少し肌寒い。 昼の弁当は軽めのものをホテルに頼んで、朝受け取った。(パン・ジュース・クッキー・チーズ・ジャム・リンゴ) 町の方で事故があって、道が混みそ

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6章-(3) 旅の仲間たち

● 私と3日間同室が続いたSさんは、そのあと、Yさんと同室になった。   へやに落着くと間もなく、Yさんに「ベッドはジャンケン、棚もジャンケンで決めるのっ!荷物はぜんぶ棚に出してっ!バッグを開け閉めするのはうるさいから」としかめ顔で指図され、恐れをなしてハイハイと従ったが、ただ彼女の大きなバッグの中は、きちんと整理されていて(Sさんのそれはもう見事なもので、H先生は後学のために拝見させてもらい、まねすることにしたのだとか)Sさんはそれを崩すのがいやだったので、Yさんの命令に反

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《予告》明日から『イギリス〈時〉の旅』を開始します。

2年数ヶ月、ほぼ1日も休まず載せてきましたのに、このたび、もう1ヶ月近くもお休みしてしまいました。その間ずっと、『イギリス〈時〉の旅』の準備にかかり、写真入力に四苦八苦しながら、続けておりました。その間に、面白いことが2件起こったのですが、これを打ち明けるのは、9月半ば過ぎ、ということに致します。それまでは、とりあえず、この旅行記に集中するつもりです。 読んで頂ければ、有り難いですが、ちょっと個人的興味に走り過ぎて、面白いかどうは、読んでくださる皆様次第です。 私が休んで

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 1章-(1) 準備期間は楽しい勉強

1998年 6月17~27日までの11日間、東京のくにたち図書館で『イギリス児童文学を勉強する会』を中心とした16人で、憧れのイギリスへの旅を実行した。北部の湖水地方、中部はコッツウォルド地方、南部はサセックス地方と、短い日にちで、いわばイギリスを縦断する欲張った旅だった。 この旅のために、2年半をかけて、準備のための勉強会を持ち、当時のイギリスを代表する作家13人、作品23作を取り上げ、作品に登場する場面を実際に見て来ようと、憧れを募らせた末の旅であったので、知的な実りの

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合閒のひと休み

短編や長編の小説の合閒に、ちょっと目についた面白い場面を拾ってみました。楽しんで下さったら嬉しいです。

●サンショウの実採集会

毎年、5月半ば頃になると、姪の夫婦とその友人たちと姪の母親、つまり 義妹が我が家にやってくる。庭に40本を越えるほどある〈サンショウ〉の実を採るためだ。サンショウは実の生る木とならない木があるので、義姉は目印に赤いビニール袋を枝に結んでいて、その木から採ることになる。 姪の夫は、知る人ぞ知る〈カレー店〉を経営していて、本を出したり、他の人の本に掲載されたりもしている。このサンショウの実を使って、店に出すカレーを作り、評判が良いらしい。レトルトカレーも作っていて、売りに出して

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●A君の「青汁の考案者」の話

今回もA君は面白い話をしてくれた。倉敷の中央病院の遠藤仁郎先生が、「青汁の考案者」だと教えてくれたのだ。 遠藤医師は戦争の頃、軍医として派遣されたが、兵隊に与える薬がなく、考えたのだという。当時同盟国のドイツが強いのは、もともと医学が発達していて〈温泉治療〉と〈食事〉の効能を知っていて、兵隊に提供していたので、早いローテーションで回復して、すぐに軍に戻ることができたのだが、日本軍はそうはいかず、足りない物だらけだった。 そこで遠藤医師は、近くにある野草を取ってきては、鉄兜と

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●アンソニー・バビントンの陰謀のこと

ここ数日胃も痛むし、休筆するつもりだが、気になる現象の謎が知りたく  なった。7ヶ月前に載せた私の『アンソニー・バビントンの陰謀』の記事を、ぶん bun_zuka さんが X に呟いてくれたせいなのか、このところ日ごとにスキが増え続けているのだ。 彼女の X でのつぶやきはこうだった:「みちる&あみちゃんの姉妹があんなに闇落ち復讐マンになるのもわかる。メアリー・スチュワート時代のご先祖さまのお話であった」とだけあり、その下に私の『イギリス〈時の旅〉ー物語の舞台を訪ねて』3章

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●着物のことなど

このところ着物にこり出した孫娘に、男物の羽織か何かない?と聞かれて、桐箱に収めている夫の着物を取り出してみた。羽織はなく、半纏みたいだった。着物を着るのはお正月頃で、夏は浴衣だから、ゆかたに羽織は不要なのだ。 数着しかないのを取り出しているうちに、これは手放したくない、とふいに思った男物長襦袢が見つかった。裏付きの絹?らしいチャコールグレイというか、紺色に近い、微妙な色合いに、縦筋が入り、一部が欠けた円形の中にウメの花が5~7個、連なっている。亡き姑が縫ったもので、袖口の始

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