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●A君の「青汁の考案者」の話

今回もA君は面白い話をしてくれた。倉敷の中央病院の遠藤仁郎先生が、「青汁の考案者」だと教えてくれたのだ。
遠藤医師は戦争の頃、軍医として派遣されたが、兵隊に与える薬がなく、考えたのだという。当時同盟国のドイツが強いのは、もともと医学が発達していて〈温泉治療〉と〈食事〉の効能を知っていて、兵隊に提供していたので、早いローテーションで回復して、すぐに軍に戻ることができたのだが、日本軍はそうはいかず、足りない物だらけだった。

そこで遠藤医師は、近くにある野草を取ってきては、鉄兜と棒を使って、
すりおろし、その汁を病兵に呑ませた。すると、体調がよくなり、傷の治りも早かった、

この体験を元に、戦後、倉敷病院に復帰してからは、野草ではなく、何の 野菜を使うか考え、ポルトガル原産の「ケール」を栽培した。成長が早く、大きな緑の葉をつける。これを刻んで汁を搾り、結核病棟である「第8病棟」の患者達に飲ませ続けると、不治の病と言われた結核患者にも、効果が見られたという。

A君は少年の頃、倉敷病院へ行くと、大人達に必ず「第8病棟」へは近づくな。病気がうつると、言われてふしぎでならなかった。
大人になって小さな新聞社に勤めていた頃、調べてみたら、ケールはポルトガルから江戸時代に日本へもたらされたこと。遠いポルトガルから日本へ来る船の中で、野菜不足のため壊血病に悩まされた船員達に、ケールの葉を船に乗せて航海するようになると、壊血病の心配がなくなった、などを知ったという。

そして、日本にもポルトガル人たちによって、ケールはもたらされたが、 最初はウサギのえさにしていたそうだ。
戦前戦中は、どの家庭でもウサギが飼われ、肉を食べ、毛皮は上着にして満州の兵隊たちに着せたという。

遠藤先生はもう亡くなられたが、今でも倉敷病院に入院した患者は、青汁を飲ませられるそうだ。

そう言えば、私がよく泊めてもらった、倉敷天文台の本田先生は、庭に広いケール畑を持っていて、毎朝、濃いケールの汁を飲んでおられた。私も勧められたが、コップをひっくり返しても、こぼれないほどに濃いペースト状のケールで、苦手だったのを思い出した。本田先生も若い頃に倉敷病院でお世話になり、ケールの良さを知らされて、畑の全てにケールを植えておられた。幹は頑丈なほど太く、ニョキニョキと生え、ケールの林のように見えてキャベツやブロッコリーの仲間とは、とても思えない力強さだった。
先生はずっと飲み続けておられたせいか、101歳まで長生きされた。

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