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6章-(3) 旅の仲間たち

● 私と3日間同室が続いたSさんは、そのあと、Yさんと同室になった。   へやに落着くと間もなく、Yさんに「ベッドはジャンケン、棚もジャンケンで決めるのっ!荷物はぜんぶ棚に出してっ!バッグを開け閉めするのはうるさいから」としかめ顔で指図され、恐れをなしてハイハイと従ったが、ただ彼女の大きなバッグの中は、きちんと整理されていて(Sさんのそれはもう見事なもので、H先生は後学のために拝見させてもらい、まねすることにしたのだとか)Sさんはそれを崩すのがいやだったので、Yさんの命令に反して、そのままを押し通した。

ところが、3日目の今夜になって、Yさんが「どうしよう、何もかも広げに広げた荷物を、元に戻せそうもない」と嘆いていたって。その話を聞いて、私は吹き出しながら、「どうしよう、今度は私がYさんと同室なのよ」と、片付け苦手の私は、警戒気分になった。

●Sさんのハイテンションは道中の最初の日から、今もまだ続いていて、「私をモデルにして一番きれいに写してくれた人に賞品を出します」と言い出した。
「何をくれるの?」とIさんがきく。
「その写真を伸ばしてあげる」
「じゃ、いらない」
すると、Tさんが口を出して「写真ははずして、額縁だけもらうわ」    ですって。

● この日、バス酔いした人達は、夕食の時宿に残って、日本から持参の食料品ですませることになった。H先生と私が「だんろの会」からはずれて宿に残り、残りの6人は私と同室だったHさんを先頭に、元気に肉料理を食べに出かけて行った。

宿に残った10人が集まって「味噌汁、おかゆ、たきこみごはん・・」など、まあいろいろ持って来ていたらしい。「おはなしかご」「おはなしの花束」の方たちは、控えめでおしとやかで分別があって、気配りもして、そして  とても気が利いている。

いつも賑やかでエネルギッシュで、はめをはずしがちの「だんろの会」から、そこへ加えて貰うのは、なかなかのカルチャーショックだった。でも、居心地良くて、ご親切が身にしみた。私はおかゆなど、ほんの少しごちそうになったが、バス酔いが残っていて気持ち悪く、お先に休ませてもらった。ポーランド以来の疲れや、寝不足が頂点に達していたようだ。

● Sさんは町の画廊でハガキ大のハリエニシダの絵を見つけ、約5万円で 買おうとしたら、Tさんに「やめとき!絵に深みがない。似たような絵葉書でもかざっときゃいいの!」とびしっと言われ、水をかけられた感じで目がさめたそう。だれか止めてー、と言いたくなるほど舞い上がっていたのが、やっと落ち着いたって。

聞いていて、Tさんらしい、と面白かった。彼女には打てばひびくような 即決の判断力がある。そして竹を割ったようなさっぱりした思い切りの良さと、笑い飛ばす精神の強さがある。言うべきことはきちっと言うし、言うと揉めそうなことやプライバシーで言ってはならないことは、きちっと見分けて口が堅い。それを瞬時に判断するのだから、その天性の精神力の高さ、潔さに頭が下がる思いがする。おとなと言うべきか。私などそれらが欠けているからこそ、後悔するようなことを言ったり書いたりして、心悩ませてしまうことが多いもの。見習うべし。

● ポターの家で、戸棚の板がかじられているのを見て、SさんがIさんに
「あなたがかじったのね、だめでしょ」とからんだら、
「あなたがかじったんでしょ。入れ歯の私がかじるわけない!」    と、即、切り返され、
「はい、私がやりました。申し訳ありません」と言うほかなかった。
なんとかやっつけてやりたいけど、年の功かしら、いつもやり返されちゃうそうな。私は笑い転げて、おかげで気分がさっぱりした。

●Sさんは勉強のことはすっかり忘れて、楽しんでばかりで反省していると言ったら、Yさんが「あんたはそれでいいのよ」と言ってくれて、ほっと
したんだって。

● Oさんは今回の旅のグループに後から加わったひとりだが、どこへ加わってもすんなり混じっていて、やりたいことはすべてやって、得な性分ね、とだれかれなく言われていた。
すぐ染まりやすくて、という彼女に、だんろの会に加わってるけど「お話かご」などに加わっていたら、もっと品よくいられたのに、などとまわりで茶々をいれる。
「どこかで人形にくぎを刺されて、恨まれてるかも」と彼女は言う、そんなはずないわ。

● 夕方、日本人の団体がバスで着き、隣室の5号室に若い2人の女性が入ったよう。私が浴室にいると、隣の2人が話している言葉までも、くっきりと聞こえ、こちらの話も漏れているのだ、とどっきりする。何かを流して見つからないらしく、どうしよう、どうしようとしばらく騒いでいた。夜中にも騒いだらしい。

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