見出し画像

1章-(2) 吠えるかあちゃん

かあちゃんが吠えとる、ととめ吉が、ハアハア 息といっしょに叫んだ。かよは両手をにぎりしめて、目を輝かせた。

「生まれるんじゃが。ほんなら、あんちゃんを呼びに、行ってきたん?」

とめ吉は、強くかぶりをふった。     

母が産気づいたと察して、かよはとめ吉に、本家の手伝いに出ているあん ちゃんを、呼んで来るよう言いつけた。

「すぐ行きねえ。本家のしげ伯母ちゃんも来てくれるけん」

とめ吉は、あんちゃんそっくりの丸い目をくるっと動かすと、うなずいて今来た方へ駆け戻って行った。

すえは大好きな姉ちゃんに、飛びついてきた。かあちゃんのただならぬ様子に、こわくて逃げ出してきたのだ。

「ええか、すえもお姉ちゃんになるんじゃ。泣いたらおえんど」

左手ですえの手をにぎり、右手に手桶をさげて、急ぎに急いだ。不安だった。今度は、かあちゃん 大丈夫だろうか。細い体に、お腹ばかり大きくて、たいぎそうだった。すえの時は、産後5ヶ月も寝こんだのだ。

あと2軒というところで、すえがかくっとひざを折って、前のめりに転んだ。片手を強く引っ張られたはずみに、かよのわらじの緒がブツと切れた。

うわーん、と泣くすえ。かよも手桶もろとも投げ出された。ザザア、水はみるまに土の上に広がる。どげんしよう。かよはあわてて、あたりを見まわした。大事な飲み水を手桶一杯分も土に吸わせてしまった。本家のばあちゃんなら、手伝いをしても、一度にさかずき一杯しか水を飲ませてはくれない。

あたりには誰も見えない。遠くに牛を使って田を起こしてる人、水車をふんでいる人影が見えるだけだ。

かよはほっとすると、すえといっしょにべそをかいた。もう一度井戸へなんて戻れんが、かあちゃん、ごめんよ。

からの手桶とわらじを手に、片足はだしのまま、かよはとぼとぼと家に戻った。すえはかよの前掛けをしっかりにぎって、姉ちゃんを心配そうに見上げる。

道の上には、こぼれた水あとと、かよが装っていたツバキがふたつ、どろにぬれて転がっていた。

かよたちが家に帰りつくと、すでにお産は始っていた。

ハアハア、あああああっ!

「ほれ、もうひと息じゃ、ふんばれ!」

ぴったり閉ざした納戸から、本家のしげ伯母の太い声がする。かあちゃんの一番上の姉さんで、18歳年上だ。顔つきも体つきも、ばあちゃんそっくりの、大型だ。

かよは、すぐさま言いつけられたとおり、川から水をくみ上げて、湯を大釜一杯にわかし始めた。すえは、かよの後を追いかけて、なんとかしてかよの前掛けにすがろうとする。

「姉ちゃんは、晩ごはん作るけん、ちいあんちゃんのそばに、おんねぇ」

あぅぅぅぅ、ああああっ、ひいっ!かあちゃんのおらび声さけびごえに、すえはビクッとからだを縮めて、こんどはとめ吉にすり寄った。とめ吉はすえの手をとって、火ふき竹をその手ににぎらせた。

中島からとうちゃんと、迎えに行ったあんちゃんが戻ってくるまで、なんとしてもかよたちで、切り抜けなくてはならない。

かあちゃんの枕元で、しげ伯母が毒づいている声がつつぬけに聞こえる。

「おめえが、5人も子どもを持つからして、まちごうとんじゃ。うちら3人姉妹の中で、おめえが一番がらやせじゃが。尻は小そうて、万たび難産ばあしとんのに・・。今、こげんこと言うても、始まらんけぇど、ほんまに、歯痒はがいいのう」

とめ吉のときも、もうこれ以上、苦しい思いをさせるなと本家に言われて、「留吉」と名づけたのだ。その4年後に「末」が生まれた。かよが7つの時だ。あまりの難産に、かあちゃんはすっかり弱って、寝こんでしまった。

貧しい2反百姓にとって、赤ん坊とかあちゃんの2人に手をとられるほど、辛いことはない。かよが7つの身で、炊事、洗濯と家の仕事を背負って、やっと切り抜けたのだ。

「かよ! 湯はわいたか。飲み水は、あるじゃろな。ふろもわかしとけ。 とうちゃんが、中島から帰るで」

しげ伯母が、ふすまを細くあけて、矢継ぎ早に言いつけた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?