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【退職エントリ / 名古屋グランパス】人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。

はじめまして。

私は、日本プロサッカーリーグ「明治安田生命J1リーグ」に所属する名古屋グランパスにおいて、クラブスタッフとして従事しております遠藤賢と申します。

2015年9月に、名古屋グランパスの運営企業「株式会社名古屋グランパスエイト」に中途入社し広報グループへ配属、その後2022年11月にマーケティング部へ異動し、2023年12月末をもって退職することになっております。

僭越ですが、8年間での印象的な出来事の振り返りと、名古屋グランパスに関わる皆さんとお世話になった皆さんへ感謝をお伝えさせていただきたく、こちらのnoteにて失礼させていただきたく思います。

よろしければ最後までお付き合いくださいますと嬉しいです。よろしくお願いいたします

広告会社から事業会社へ - そして、サポーターからクラブスタッフへ

グランパスに入社するきっかけは、2015年7月に公開された下記「NewsPicks」の記事でした。

当時、私は東京にて広告会社から広告会社への転職を経て、ネットメディア様の収益向上のお手伝いに従事しながら、同僚と2020東京オリンピックを見据え、スポーツ関連での新規事業開発を模索しておりました。

その事業開発は未だプロジェクトと言えるほどのものではなく、あるプロスポーツリーグと、あるプロスポーツリーグのマーケティング会社の2社へ、ヒアリングを重ねながら随時提案を行なっている段階でした。

提案を行う中で、「予算」と「実行する人材」の壁をどうしても突破できず、なかなか前に進むことができなかったので、業務時間外でのプロボノとしての活動も視野に入れ始めていたそんな時に、出会ったのが先の記事でした。

読了後、名古屋グランパスに興味が湧きサイトを訪れたところ、トップページにあった求人情報を目にしました。私なりにお手伝いできることがあるのではないかと感じたので、これまでの提案資料をサッカー用にまとめ直し、すぐに書類選考に応募しました。

書類選考通過後、プレゼン審査と一次面談と親睦会(漫画『宇宙兄弟』で登場するJAXA最終採用選考翌日の飲み会のイメージです)、そして最終面談を経て、採用のオファーを頂きました。

5年後のオリンピックに関わりたい、当時そう私は考えておりましたが、オリンピックは想像のつかない規模のイベント、2015年時点で既にスーパーな方々が仕事をされていましたし、今後も必然的に優秀な方々が集まるだろうと考えた時に、正直自分がどう貢献できるかを全く想像することができませんでした。

一方、名古屋グランパスに関しては、採用選考過程でまとめた短中長期での改善・実行施策を自らの手で行えること、そして別クラブのファンの立場から感じていたグランパスの印象を私なりに良い方に変えられるのではないかと思ったこと、加えて何より選考過程においてお会いしたスタッフの皆さんが魅力的な方々ばかりで、一緒に名古屋・愛知を元気にできるのではないか、そう思い名古屋グランパスでご一緒させていただくことに決めました。

そして、それまで応援していたクラブのグッズを処分し、赤黄に血を入れ替えました。

※名古屋グランパスのお仕事に興味ある方は、「採用 note」をぜひご覧ください!

未知なるプロフェッショナルな世界 - 百聞は一見にしかず

2015年9月に入社後、会社から短中期で求められたことは、

  1. SNSとオウンドメディア(ガラケーサイト)の整備と戦略的活用

  2. 公式サイトの2016シーズン中のリニューアル

  3. 各種発信プラットフォームの全体的整理

選考時に聞いていた顧客データベースを活用したCRMの推進については、半年前に入社していた私と同じ苗字のスタッフが担当するということでした。このスタッフの活躍ぶりをチームの活躍と同じくらい広報活動することになるとは、その時は未だ知る由もありませんでした。

上記のように、本当にクラブの宝とも言えるほど活躍が目覚ましく、私は常に「じゃない方」と呼ばれていました。

公式サイトのリニューアルについては、私より「シーズン中はリスクが高い」ことと「シンプルに制作スケジュールが厳しい」ことを伝え、一年後の2016シーズンオフのタイミングでの実施を掛け合いました。しかし、様々な要因により、当初の会社の方針である最短半年後リニューアルを目指すことになりました。

また、SNSと各種配信プラットフォームの整理は、既に導入していたツールの契約状況もあったため、短期的にテコ入れできることは順次進めながら、2016シーズンの開幕へ向けて集中的に実行することに決めました。

大枠の業務方針が整い2ヶ月目に入った頃、私のクラブスタッフ人生において影響をし続けることになるエポックメイキングな出来事が起きるのでした。

2015年10月3日、グランパスは、日立柏サッカー場において柏レイソルとの対戦を控えていました。
※2015明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第13節「柏レイソル vs 名古屋グランパス」

この時点で、残念ながらリーグタイトルの可能性は潰えてしまっていましたが、“俺らの誇り”楢﨑正剛選手の前人未到「J1 600試合出場」がかかった試合、多くのグランパスサポーターが日立台まで駆けつけてくれていました。

そして、後日報道されてしまいましたが、西野朗監督の進退がかかった試合でもありました。試合結果によって発信内容が大きく変わるため、あらゆる想定を行い準備をして試合に臨みましたが、コミュニケーションプランの計画から実行までのタイムラインの短さに、広告と広報の違いをまざまざと感じたことを覚えています。

結果は悔し過ぎる敗戦、直ぐに協議し直し、監督の契約満了に関するプレスリリースは翌日に発信することになりました。

選手の試合後の取材が終わりチームバスが出発した後、我々スタッフは各種業務を粛々と行なっておりました。こういった敗戦後であっても常日頃、久米一正社長が前向きな言葉をスタッフにかけて鼓舞してくださっていたのですが、さすがの久米さんもいつもの様子と違った印象でした。

その久米さんが席を立たれたので、お手洗いに行かれるのかなと思いました。ただ、その時何故か私は後を追ってしまいました。偶然を装い、生意気にもお手洗いで「これがプロの厳しさなんですね」と阿保なふりをして声をかけられたら、それによって久米さんが笑ってくれたら、そんな出過ぎた真似をしようと考えてしまっていたのでした。

久米さんはお手洗いではなくピッチへ向かわれました。そして日立台のスタジアムを見渡した後、ゆっくりセンターサークルへ歩を進められました。

久米さんと西野さんは、柏レイソルの前身である日立製作所で長年チームメイトでしたが、1986年に完成したこの日立台においては、その前年に久米さんが引退され会社員として日立へ復帰されていたので、選手としての共闘の機会はありませんでした。しかし、久米さんが日立からサッカーの現場へ戻るよう要請があり、Jリーグ出向を経て再びチーム(柏レイソル)に強化部長として復帰した後、1998年に監督として西野さんを招き入れてから2001年7月に久米さんが西野さんへ解任を伝えるまで3年半の間、二人はこの日立台で手を取り合い、闘ったのでした。
そして、2014年からグランパスでGMと監督の関係でタッグを組み、三度目の共闘をしていたのでした。

センターサークルに到達後、どれほど経ったでしょうか。私にはとても長い時間に感じられました。その時、既に西野監督へ満了を伝えられたのか、それとも明日以降に伝える予定なのか、久米さんから我々広報へ未だお話はありませんでした。

著書『人を束ねる』(幻冬舎新書)の中で、西野さんへ伝えた柏での監督解任を「断腸の思い」「筋を通したとは言い難い」「つらかった」と正直過ぎる言葉で表していた久米さん、思い出がたくさん詰まったこの日立台で、再び通達をしなければならなかったのは果たしてどんなお気持ちだったのでしょうか。照明が少し落とされたスタジアムの中央で、佇む久米さんに去来する想いを想像するには、入社2ヶ月目の私には余りがあり過ぎました。

翌日のリリースは同僚が担当することになり、また当時は公式サイトの更新とTweetを自動連携するツールを使用していたので、リリース当日の私の業務はありませんでした。

翌朝、日刊紙1紙とスポーツ紙1紙に西野監督退任のニュースを報じられてしまいました。種々調整が必要となったため、リリースは夕方以降に決まりました。

20時過ぎ、私のスマートフォンに、サイト更新の報とリリースメールが届きました。

名古屋グランパス公式サイト

真っ先に、前夜の久米さんの佇まいを思い出しました。そして、久米さんに去来したであろう想いがこんなにも短い文章で表現されてしまっていることに、違和感しかありませんでした。

しばらくこのリリースを眺めていた時、どこかで同じような文章を見たことがあるような既視感があり、スマートフォンの写真フォルダを遡りました。

前職時代の癖で、私は気になった画面があると直ぐにキャプチャに収めていました。そして探し出した画面が下記でした。

https://www.manutd.com/

2014年4月22日にマンチェスター・ユナイテッドが自サイトにおいて「Manchester United has announced that David Moyes has left the club.」とだけ報じた、デイヴィッド・モイーズ監督退任のリリースページです。

2013-14のユナイテッドは数々の不名誉な記録が更新されてしまうほど成績が低迷し、いつモイーズ監督が解任されてもおかしくない状況でした。なので、あまりにも簡素なこのリリースが流れた時に、そのシンプルさにクラブの姿勢が表現されているのではないか、と当時話題になりました。

しかし私は、ユナイテッドのリリースとグランパスのリリースとに決定的な違いを見つけてしまいます。

The Club would like to place on record its thanks for the hard work, honesty and integrity he brought to the role.
クラブは、彼がその職務にもたらした努力、誠実さ、高潔さに感謝の意を表したい。

https://www.manutd.com/

リリースの簡素さでモイーズ監督への意思表示をしたユナイテッドでしたが、この一文により最低限の礼節は保っていたのです。

それに引き換え、グランパスのリリースには血も涙も感じられず、恥ずかしさを感じてしまいました。

久米さんの著書には、ご自身が西野さんを解任した翌年、低迷する成績の責任をとって日立を辞める決断をした際のエピソードが記されています。

レイソルの事務所へ最後に行ったのは、年末になってからだ。必要な書類や荷物を持ち帰ろうと思い、出かけてみると、私の机はすでに別の場所に移されていた。もう“用なし!”ということなのだろう。20年も尽くしてきたのに、“ひどい仕打ちをするよなあ”と思い、寂しい気持ちになった。

私は残っていた書類を、黙々と段ボール箱に詰め込んだ。その様子を見に来た部下には、こう言った。

「よく見とけよ、オレの惨めな姿を。おまえらは、こうならないようにするんだぞ」

久米一正『人を束ねる』(幻冬舎新書)

この久米さんの言葉が、私には西野さんの言葉のように聞こえてしまいました。決して西野さんご本人はこのようなことを口にする方ではないと思いますが、西野さんがグランパスのリリースを目にし、

 ー“ひどい仕打ちをするよなあ”と思い、寂しい気持ちになった。

と感じなかったと誰が言えるでしょうか。

その翌週、日課である各スポーツクラブのSNS投稿をウォッチしていると、阪神タイガースが監督退任会見の様子を投稿されており、花束を手にする和田豊監督の写真が目に入りました。

阪神タイガース DreamLinkプロジェクト  Facebookページ

リリースには、「和田監督からの辞任の申し出を球団が受け入れた」とあり、グランパスとは「シーズン中 - シーズン終了後」「会見の有無」の違いがあるので、単純比較するのは横暴かもしれません。ただそれを差し引いても、阪神の和田監督への敬意と、グランパスの西野監督への配慮の欠如の差は明らかでした。

では、クラブとしてどのように送り出すことが正解なのか。この時の感覚だけは忘れないようにしようと意を決しながら、より良い「選手・スタッフ退団時の発信」を試行錯誤する日々が、ここから始まったように思います。

「罵詈雑言なのか、叱咤激励なのか」問題 - 愛という憎悪を、どう受け止めるべきだったのか

日々の業務の中で大部分を占めたのが、プレスリリースや公式サイトの更新、SNSアカウントなどを通じての発信業務でした。

その中で、最後まで試行錯誤し形式を定めることができず、自分自身慣れることができなかったものは、前段で取り上げた「選手・スタッフ退団時の発信」と「敗戦時の発信」でした。

グランパス入社前に従事していた広告業では、プラスな考え方や行動を促すことを目的とした「ポジティブなメッセージ」を届けることがほとんどで、謝罪広告やリコール広告などの案件は非常に稀であり、実際にそういった謹告を担当した経験は私自身ありませんでした。

「名古屋と愛知を盛り上げるんだ」「皆さんに笑顔になってもらえるようなメッセージを届けたい」その想い一心で意気込んでいたグランパス入社当時。その笑顔にさせたいと願った人(=ファン・サポーターの皆さん)に、その人の気分を必ずや害してしまうであろうメッセージ(=敗戦の報や選手・スタッフの退団情報)を、それほど低いとは言えない頻度で届けなければならないこと、そしてそのことがどれだけ辛い業務かを、実際に携わるまで考えが及んでおりませんでした。

サッカーには必ず勝敗があり、同じメンバーで次のシーズンを戦うことは絶対にできないことは明白なことなのに(自分自身、サポーターとして経験してきたことなのに)、全くその心積りをしないまま、お花畑な状態で入社してしまいました。

入社二年目の2016シーズン、5月3日から9月10日にかけての4ヶ月に渡り、明治安田生命J1・ヤマザキナビスコカップ(当時)・天皇杯・サテライトリーグの全ての公式戦において、ファン・サポーターの皆さんに一度も勝利の報告を届けることができていませんでした。どう発信で雰囲気を作り上げていけばいいのか、分からず迷走し、完全に袋小路に陥ってしまっておりました。

何とか少しでも明るい投稿をして週末の試合まで盛り上がりを醸成できればと、練習中の選手たちの笑顔を投稿しても「ヘラヘラして練習するな」というリプライが来てしまう始末…。そのような言葉が刻印された誰も幸せにすることのないそのTweetは、削除する以外に選択がありませんでした。

※この期間の心の拠り所は、アカデミー選手たちの活躍でした。2024年元旦、菅原由勢選手と藤井陽也選手が同時にピッチに立つと、8年ぶりの日の丸での共闘となります!

夏のとある試合、敗戦を告げるホイッスルがスタジアムに鳴り響いた後も、なかなか試合結果をTwitterとFacebookへ投稿をすることができませんでした。

悔しいのはもちろん、自分の未熟さが故に湧き起こる様々な感情に苛まれ、冷静な判断を取ることができなかった私は、一旦発信をペンディングすることにしました。

その日はたくさんの家族連れの皆さんが足を運んでくださったクラブ肝煎りの試合、スタジアムのコンコースでお子さんを対象に「段ボール迷路」を実施したので、頭を冷やすためにその解体のお手伝いをさせてもらいました。

段ボールと格闘し解体作業を続けること数十分、幾分か落ち着きを取り戻すことができた私の頭に真っ先に浮かんだのは、“何より頂いた応援へ感謝をしよう”ということ。「熱いご声援を頂き、共に闘ってくださり、有難うございました」の一文と共に、試合結果を投稿しました。

その投稿後すぐに反応を頂き、目に飛び込んできた言葉は、

 ーこんなテンプレ文なんていらんから

言葉そのものは何てことのない表現なのですが、私は見えないところから頭にレンガが飛んできたように感じてしまいました。涙こそ出ませんでしたが、血の気が引くというか、身体中が脱力するというか…。しばらく座り込んでしまったような記憶があります。

Xを始めとしたクラブSNSアカウントからの発信へ頂く皆さんのリアクションは、誰もが目にできる形で、そのプラットフォームが存続する限り残り続けます。そのような可視化されるリアクションの他にも、LINEへの個別メッセージや試合結果メルマガへの返信というクローズドな形でもリアクションを頂きます。

全てのメッセージに目を通し、頭にレンガを投げつけられたような衝撃的な言葉があっても「頂いているのは“愛という憎悪”なんだ」と割り切るよう、その都度その都度努めていました。が、結局最後まで一度も慣れることはできませんでした。

豆腐かよと思われても仕方がありませんが、顔の見えない方からの言葉は、言葉そのもの以上に脳へ到達しがちで、時には心に侵食し、時には細胞レベルで蠢く感覚すらありました。

「よく読めば叱咤激励じゃん」「愛が仮初の形に豹変してしまっているだけ」、そのように読解しようと何度も試みました。ただ、身体の反応は正直なのか、体の節々が疼き、エネルギーが全身から枯渇していき、最後に残るのは胸の痛みだけでした。

勝った試合だけ情報発信してみてはどうか、とアドバイスを頂いたり、ニュースによっては公式サイトでの掲載のみにしてSNSでの発信は控えてみてはどうか、など広報チームで協議したこともありました。でも、それはお客様に不利益であるし、不誠実ではないかと。

もちろん至極シンプルに、広報業務を遂行するには私の実力が足りないだけだ、という考えは常に頭の片隅にありました。それでも、同じように頂く温かい言葉を心の支えに、精進に努めることができました。日々、感受性調整の連続でしたが、何とかこれまでやってこれました。感謝いたします。

ファン・サポーターの皆さんの言葉には、本当に「力」があります。頂く言葉のおかげで、自分のキャパでは到底生まれてこない勇気や力が湧いてきたことは、一度や二度ではございません。

だからと言って、耳当たりの良い言葉だけをクラブに届けて欲しい、ということをお伝えしたいのではございません。

特に敗戦時は、湧き上がる悔しさなどをクラブのSNSアカウントや発信プラットフォームにぶつけ、発散・処理せざるを得ない時があるかと思います。

お願いしたいことは、そういった敗戦時だけでなく、勝利時やみんなにとって喜ばしいニュース(※)の時もぜひ、皆さんが感じられたことを言葉に置き換え、選手やクラブに届けていただきたい、ということです。

そのような皆さんからの言葉を目にした選手やクラブスタッフ、パートナー企業様やホームタウンの皆さんなどグランパスに関わる人々の身体から、信じられないくらいの勇気と力が湧き上がってくるのです。

※ 例えば新たなパートナー様の契約締結は、新たなファミリーを迎え入れるという意味で、新加入選手と同じです。ぜひ皆さんで「welcome!」して行きましょう!

結果が出なければ意味はない - 3ヶ月通い合った末に残ったもの

2016年8月6日(土)、グランパスはエディオンスタジアム広島でサンフレッチェ広島と対戦し、敗戦を喫しました。
※2016明治安田生命J1リーグ 2ndステージ第7節「サンフレッチェ vs 名古屋グランパス」

2016シーズンの1stシーズン、グランパスは14位に低迷、この広島戦の敗戦で15試合連続で勝ち星から見放されておりました。再スタートを誓った2ndステージにおいては第2節から最下位が定位置となり、年間順位は16位とJ2降格圏内に沈んでしまっていました。

この日クラブハウスで試合の模様をTVで見届けた私は、残った業務を片付け帰宅の途に着きました。

翌休日の夜、私のスマートフォンが鳴りました。電話主は、アウェイ広島戦に帯同していたチーム付け広報スタッフ。「先ほど名駅着いたんですけど、飯食いませんか」

前日のトップチームの試合だけでなく、この日に広島県竹山市で行われたサテライトリーグの対応もして、2日間に渡る遠征でさぞ疲れているだろうと、労うため直ぐに家を出発しました。

グランパススタッフがよくお世話になっている焼き鳥屋さんに着いた時、電話をくれた広報スタッフの向かいには、同じく遠征に帯同していた試合運営担当スタッフがいました。

アウェイ遠征は当時この二人が基本的に対応してくれていて、気持ち悪いほど仲良しなのですが、この日はいつも以上にテンションが高く、私は到着するや否や、準備してくれていたビールを一息で頂くハメになりました。

二人から遠征の様子を聞きながら空きジョッキが増えてきた頃、運営担当にこう聞かれました。

 ー賢さん、本気で闘ってます?

私は、その1週間前に急遽開催したサポーター説明会でかなり厳しいお声を出席者の方々から直接頂いており、また日増しに高まるSNS上のリアクションの厳しさにも参ってしまいそうだったのが正直なところでしたが、「もちろん」と答えました。

 ーですよね?では、チームは?

私は答えました。「しっかり闘っているように見えたよ。」

 ーでは、サポーターは?

同じく私は答えました。「しっかり画面から声が聞こえたよ。」

 ーでは、なんで勝てないんですか?

私は答えることができませんでした。

二人の見立てはこうでした。

選手・スタッフも頑張っている。サポーターの後押しも心強い。我々事業スタッフも誰一人と手を抜いていない。でも勝てない。それは、それぞれが頑張っているだけで、同じ方向を目指せていないから。指針が無いからではないか。

常にチームとサポーターのそばにいる二人だからこそ、肌に感じることのできた感覚なのだと思いました。

確かにこのシーズンは、チームは小倉隆史新監督を迎え全方位でサポート、事業部もメンバーが増え新しい試みをいくつも生み出し、サポーターはクラブへGLAPを提案してくれ、それぞれが開幕からできることに邁進していた印象がありました。ただ、気づけば残り10試合、いつの間にか降格圏が定位置になってしまっていました。

 ー最終節までの残り3ヶ月、もう一度みんなで本気になりませんか?

そう二人から言葉をもらいその場は解散しましたが、この日は明け方まで「では何ができるか」グループLINEでやり取りを続けました。

休みが明け、社内中に声をかけて、最終節11月3日(水・祝)まで残り3ヶ月、グランパスに関わる全員の指針を考えよう、とキックオフMTGを開催しました。

かっこいい横文字の提案もあれば、シンプルな熟語の提案もありました。その中で大切にしたことは、「如何にサポーターからの後押しをクラブ全体で享受していることをきちんと示すことできるか」「降格などネガティヴワードは使わない」ことでした。

大枠が固まったところで、サポーターの代表とホームタウンの代表にも定期的に足を運んでいただき、方針やできることを練り上げて行きました。

その中で、サポーターとホームタウンの皆さんからも一つが提案がありました。「私たちの声を選手たちに届けて欲しい」。コンセプトにぴったり合致するアイデアでした。ただ、その間もリーグで敗戦を重ねており、なかなかチームへ相談できる状況にありませんでした。

8月20日(土)、奇しくも前年と同じアウェイ 柏レイソル戦での敗戦により小倉監督の休養が決定、3日後の8月23日(火)にジュロヴスキー監督(以下ボスコ監督)就任を発表しました。

ボスコ監督就任のタイミングで、事業スタッフから残りの試合を闘うための方針/コピーを準備していること、そしてサポーターからの応援ビデオを受けって欲しいと要請があることを伝え、ボスコ監督から了承を頂きました。

FC東京戦の前日8月26日(金)、田中マルクス闘莉王選手の復帰内定を発表。2週間後に行われる9月10日(土)のアウェイ新潟戦から出場可能になったということで、我々も新潟戦をプロジェクト実行スタートのターゲットに設定しました。

翌8月27日(土)ホーム FC東京戦、野田隆之介選手の先制ゴールで90分までリードを奪い、私も勝利Tweetを下書きし勝利の瞬間に備えていました。しかし、90+1分、中島翔哉選手のシュートが楢﨑正剛選手の伸ばした手をすり抜け、グランパスの18試合振りの勝利は幻に終わりました。

この時点で、年間16位、残り2ヶ月で7試合と、いよいよ見ないように意識していた「降格」の二文字が視界にちらつくようになりました。

この時期、営業部がプロジェクトに新たに加わってくれ、新潟へのバスツアーを企画してくれました。ただ試合は直ぐそこに迫っており、販売スケジュールがネックになる中で、営業部から出た提案は、9月10日にかけて料金を「910円」とするものでした。

名古屋グランパス 公式サイト

今考えても常軌を逸する料金設定、どう社内外を調整したのか分かりませんが、試合一週間前の9月3日(土)にリリースすると、サポーターの皆さんへのインパクトは絶大で即完売、メディアの皆さんも取り上げてくださり、方針/コピー発表を前に、新潟戦へのうねりが生まれる手応えを掴むことができました。

サポーター皆さんからの映像の編集が進む中、チームへビデオを観せるのは新潟へ出発する前日9月8日(金)に決定、そして翌9日(土)に方針/コピーをサポーターの皆さんに発表することに決めました。

ある定期MTGが終わった後、瑞穂通商店街の方から話しかけられました。「選手に観せるだけでは一方通行だ。どう選手が受け取ったか、私たちも観たい」。至極もっともなご提案で、なぜこれまで気づかなかったのか恥ずかしくなりました。

新潟戦に備える選手の様子を新潟戦後にサポーターの皆さんへ届けても無意味なので、新潟戦前にサポーターの皆さんに届けるとなると即日で映像編集する必要がありました。

コロナ禍以降の今こそ映像編集が身近になりましたが、2016年は未だその体制が整備できておらず、直ぐにお世話になっている数社に声がけし、無事1社から対応可能の返事を頂きました。

9月8日(金)にサポーターの皆さんからの「想い」を選手に届けた後、いよいよ9月9日(土)にコピー「想いがチカラになる」を発表、選手の映像と共に皆さんへ発信しました。

名古屋グランパス 公式X

皆さんからの温かくも熱いリアクションが多く届き、ものすごいチカラを頂いてクラブ全員で新潟戦へ臨む準備を整えることができました。

そして迎えた9月10日(土)アウェイ アルビレックス新潟戦、皆さんから頂いた「想い」を「チカラ」に、川又堅碁選手の先制点を、復帰初戦の闘莉王選手を中心としたディフェンス陣が守り切り、見事「1-0」で終了!実に19試合ぶりの勝利を掴みました。

その新潟戦以降も継続して「想いがチカラになる」を軸に展開、ミサンガ配布やチャント集の展開などを通じて、サポーターの皆さんとの一体感がどんどん高まり、以降の2試合を1勝1敗で切り抜けます。

10月1日(土)ホーム アビスパ福岡戦、「5-0」でこのシーズン初の連勝を飾り、残り3試合の時点で年間15位に浮上、2ndステージ第1節以来の降格圏からの脱出を果たし 、最高の形で2週間のインターナショナルブレイクに突入することができました。

正直、2週間の中断の間でせっかく掴んだ勢いが窄んでしまうのではないか、という懸念がありました。ただ、2018 FIFAワールドカップ ロシア アジア3次予選の臨んだ日本代表は、ホームで山口蛍選手の劇的なアディショナルタイムのゴールでイラク代表を下し、続く難敵オーストラリアのアウェイ戦は引き分け日本中が熱狂、その2連戦で高まった代表の盛り上がりが国内サッカーにも波及し、その恩恵に我々グランパスも預かり、メディアの皆さんの露出も途切れなく確保いただけました。

そのおかげもあり、中断明けの10月22 日(土)ホーム ジュビロ磐田戦は、2016シーズンを通じて唯一の3万人を超えるファン・サポーターの皆さんに足を運んでいただき、2週間のインターナショナルブレイクの影響を感じないほど素晴らしい雰囲気で、試合に臨むことができました。

しかし、試合は「1-1」の引き分けに終わってしまい、たくさんのファン・サポーターの皆さんが作り上げてくださった雰囲気に報いることができませんでした。個人的な印象をお許しいただければ、ラスト15分のスタジアムの皆さんからの応援は、2016シーズンで一番心強いものでありました。それだけに、とても悔しい勝ち点1に終わってしまいました。

年間順位を再び降格圏の16位に落として臨んだ翌節10月29日(土)アウェイ ヴィッセル 神戸戦、再びバスツアーを実施したくさんの現地での後押しをいただきましたが、「0-3」と手痛い敗戦を喫してしまいました。

順位は変わらず年間16位に留まり、最終節を迎えた時点で自力でのJ1残留の可能性が潰えてしまいましたが、それでもファン・サポーターの皆さんの「想い」は選手・クラブへ届き続け、最終節 湘南ベルマーレ戦は2016シーズン初のチケット完売となり、更にはNHK名古屋での地上波放送も急遽決定しました。

8月7日(日)名駅の焼き鳥屋さんから始まったチーム・サポーター・クラブが本気になって取り組んだ「想いがチカラになる」プロジェクトによって、満員のパロマ瑞穂スタジアムという最高の舞台が整い、11月3日(水・祝)を迎えたのでした。

筆者撮影

試合終了のホイッスルが鳴った際、自分がどこでその音を聞いたのか思い出すことができません。セレモニーでのスタジアム全体から発せられた久米さんへの大ブーイングだけが耳に残り、セレモニー終了後どのようにサポーターの皆さんへ挨拶をしたのか、監督会見でボスコ監督が何をお話しされたのか、いつ選手の取材対応が終わったのか、どのように帰宅したのか、全く記憶がないのです。

試合結果のツイートを見返すと、試合終了から一時間後に投稿されておりました。その間に何をしていたのか、やはり全く思い出せません。

3ヶ月に渡り本気で取り組み、皆さんと通じ合うことができた「想いがチカラになる」プロジェクト、ファン・サポーターの皆さんから頂いた「想い」は確実に「チカラ」になりましたが、結実することなく終了しました。

 ー結果が出なければ何も意味が無い

当時はそのようにしか考えられませんでした。そうとしか思えないくらい、何も残らず、そして様々なことが起こり過ぎたオフシーズンでした。

しかし、3ヶ月に渡る「想いがチカラになる」プロジェクトは、決して無価値ではなく、確実にサポーターの皆さんとクラブの血肉となり、翌2017シーズンの「J1へ名古屋の風を起こそう」プロジェクトの礎になったのです。

コミュニケーションクロニクル - 想いは果たして届いたのか

思いの外、シリアスな文章が続いてしまいました…。
ここでは、担当してきた仕事をの一部を紹介させていただきたく思います。もちろん仲間たちと一緒に作り上げたものばかりですが、一人称での表現による私の自己顕示欲&承認欲求マシマシの、言わば私自身の「#PR」記事の様相を呈してしまっております。つきましては、「これがいわゆるアレオレ詐欺ってやつね」とナナメに構えてご覧いただけますと幸いです。

Welcomeバナー

名古屋グランパス 公式サイト

2016年11月、佐藤寿人選手の移籍加入に合わせて、グランパスとして初めて「Welcome」バナーを制作しました。
デザイナーの方に非常にかっこいいデザイン仕上げていただいたのですが、BOSSの第一声は「サンフレッチェ広島は未だ天皇杯の試合が残っているから、広島の皆さんを刺激してしまうかも」。ごもっともと思い、リリースページ内のみでの掲載とし、Tweetでは使わずにいました。

しかし、広島サポーターの方に見つけられてしまい、さらには掲示板に転載されプチ炎上…。決して刺激するつもりは全くなく、私たちとしては広島のヒーローに最大限の敬意を表してバナーを制作したのです…。当時の広島の皆さん、大変申し訳ございませんでした。

契約更新リリース

2016年オフ、11月から12月にかけて、選手のINとOUTのリリースがとても多く、ファン・サポーターの皆さんにかなりご心配をおかけしてしまっておりました。その中で、例年新体制発表会でオープンにしていたチームスカッドを契約が済んだ段階で順次発信をしたい、とチームへ掛け合いました。チームも各契約状況がありながらも勘案してくれて、その第一号として楢﨑正剛選手に心強いコメントを発信いただきました。

LINEでも展開し、ファン・サポーターの皆さんに非常に喜んでいただき、とても嬉しかったことを覚えています。

大晦日メッセージ → 感謝動画

2016年の大晦日、怒涛のオフシーズン対応をしていた広報チームは、ようやく一息をつくことができていました。ほっとして一年を振り返った時に、頭に浮かんだのは、何よりファン・サポーターの皆さんへの感謝でした。それでTweetさせていただいたのが下記です。

何気なしにTweetしたのですが、とても温かいメッセージばかりを頂き、不覚にも涙してしまったことを覚えています。この時の感動が、翌年からの感謝動画の制作に繋がりました。当時温かいリプライをくださった皆さん、本当にありがとうございました。

デジっち スピンオフ

初めてJ2で過ごすことになった2017シーズン、年が明けてから「今年はデジっちが無いのか…」というTweetをいくつか目にしました。
そこで少しでも皆さん喜んでいただけたらと、テレビ朝日さんに名前とロゴの使用と、グランパスのSNSアカウントで展開してよいか、をご相談しました。配信ということで、著作権の都合上ジングルはご提供いただけませんでしたが、OKを頂き、スピンオフ版を配信させていただきました。

当時「やべっちFC」放送直後にTweetしたのですが、深夜にもかかわらず多くの皆さんに観ていただき喜んでくださったこと、とても嬉しかったです。

12.3 TOYOTA STADIUM 最後の決戦へ

プレーオフ決勝は絶対に煽り動画を制作しようと、広報チームで決めていました。とは言え、制作期間が短かったので、「静止画での展開」そして「ストーリーもシンプルな時系列」と工程をミニマムにし、WONDERS.incさんにお願いし、最高の動画を制作いただきました。

そして、当時「モチベーション動画は3日前に流すと一番効果的」という九州大の論文を目にし、その通りに試合3日前の11月30日に流すことを決め、時間も定時を避けテレビのミニ枠の時間帯に発信することにしました。

狙い通り、とても多くの方に触れていただき、嬉しいリプライもたくさん頂きました。

また、プレーオフが終了して数日後、当時の大森征之GMから「選手のモチベーションアップに役立った」との言葉を頂き、J1復帰に少しでも貢献できたのかもしれない、ととても嬉しかったことを覚えています。

グランパスくん、マスコット王に!

2017のオフシーズン、それまで3年間に渡りグランパスくんのマネージャーを務めていた通称マネちゃんがクラブを離れることになり、BOSSに急遽グランパスくんの御番をするよう命じられました。

マスコット王を戴冠できたのは何よりファン・サポーターの皆さんのおかげでした🙇‍♂️ グランパスくんも、結果発表の翌日から翌々日にかけて、ツイ廃の如く、応援してくださった皆さんに丁寧にリプライをしていました。

そんな健気なグランパスくんを、これからも精一杯応援していきます!

INSIDE GRAMPUS / インサイド・グランパス

INSIDE GRAMPUSを立ち上げるきっかけとなったのは、2016年のオフシーズンの悔しい思いからでした。

J2降格が決まってしまってから、普段お付き合いのない一般週刊誌などからの取材もあり、各媒体で真偽の定かでない情報を報道されることが多くなってしまっていました。また、クラブから離れる選手についても、情報が独り歩きする状況が多く、とても難儀していました。

その中で、選手の声をしっかり届けるメディアを自社で持つべきでは、と思い、メディア出演の経験が豊富な当時の風間八宏監督にアドバイスを頂きながら、一年間かけて2018年2月にローンチしたのがINSIDE GRAMPUSです。

おかげさまで2024年にオープン7年目に入ります。引き続きのご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

菅原由勢選手

菅原由勢選手は、U15時代から飛び抜けた能力と人懐っこさが印象的でした。

2018年2月、当時高校2年生ながら飛び級で参加した沖縄キャンプの朝食の席で、「楢﨑正剛-佐藤寿人-小林裕紀」のテーブルへいきなり突撃しそのまま居座り、その2週間後にはJ1リーグ開幕スタメンを飾っていた時は、その階段の駆け上がり具合にど肝を抜かれました…。そして、その翌年のU20W杯での活躍によりオランダへ…。あっという間に海外へ飛び立ちました。

とても寂しかったですが、精一杯のTweetで送り出しました。SAMURAI BLUEでも引き続き頑張って欲しいと思います!

#マルと共に

こちらのTweetの経緯をお話しさせてください。

2021年5月4日の川崎フロンターレ戦、アウェイでの1-2位対決において、丸山祐市選手はオウンゴールを献上してしまい、試合もグランパスが敗戦を喫してしまいました。

当日、私はクラブハウスで画面を通じて応援しておりました。試合後、INSIDE GRAMPUSなどの更新が終わったのが20:45分頃、帰宅の途につこうとした時、丸山選手が下記インスタグラムを投稿されました。

時間的に丸山選手が川崎から帰名し自宅に着いた頃、疲れているはずなのに、恐らく帰宅後すぐにメッセージを発信してくれたのだと思います。さすがキャプテン、と感嘆しました。そして、いてもたってもいられず、先のTweetをしてしまいました。

「丸山選手が悪役になってしまうのでは」というご意見も頂いたのも事実です。ただ、対戦相手の川崎フロンターレの皆さんを含め、温かいメッセージがたくさん集まり、丸山選手に届いたのではないかなと思います。丸山選手の次なる道に幸あらんことを。

758発信

2017シーズンに開始した「758発信」について、一点だけ失礼します。

上記 2021 YBC ルヴァンカップ 決勝当日のTweet、チャント「輝く星を」の音声入りだったのです…。静止画と思われた方が多いようで、当時全然話題にしていただけなかったので…、こちらで種明かしさせていただきました…。

GRAMPUS SOCIO PROJECT

12月10日に一旦の区切りを果たした「GRAMPUS SOCIO PROJECT」、こちらに私は参画しておりませんが、外からプロジェクトメンバーそれぞれが全力を尽くしていた姿を見ておりました。特にこのプロジェクトをリーダーとしてまとめ上げた同僚を本当に誇らしく思います。

グランパスに関わる各々の想いと力が噛み合い、正にうねりを生み出し、新エンブレムへと昇華させた、理想と表現しても良いプロジェクトであったと思います。加えて、グランパス以外のJクラブのファン・サポーターの皆さんからも好意的な評価を頂き、正にJリーグ界にも一石を投じた発信だったのではないかと思います。

やはり、中心がしっかりした駒は周り続け、上昇気流を巻き起こすのだと、決してコアを外してはいけないのだと、非常に勉強させられた事例でした。

何より、プロジェクトに参加してくださったファミリーの皆さんや外部ブレーンの皆さんから、大きな大きな勇気と元気を頂きました。ますます名古屋グランパスを好きになりました。

そのような過程を経て生まれた新たなエンブレムを胸に、グランパスの選手たちが2024シーズン「風」を巻き起こすと思うと、今から楽しみしかありません。

最後に - クラブスタッフからサポーターへ復帰するにあたっての宣誓

先日12月2日に開催されたJ1昇格プレーオフ「東京ヴェルディ vs 清水エスパルス」、グランパスの最終節の前日ではありましたが、国立競技場へと足を運びました。

グランパスで共に闘った清水所属の吉田豊選手と東京V所属の宮原和也選手、どちらか一方のみがJ1昇格を手にする運命の一戦、胸が張り裂けそうな90分の戦いの後、J1昇格を手中にしたのは宮原選手が所属する東京Vでした。

試合後、肩を落とす清水の選手とスタッフの皆さん、最後の最後までチームを支えていたサポーターの皆さんを眺めていた時、どうしても前回大会での、グランパスが戦った2017 J1 昇格プレーオフ「名古屋グランパス vs アビスパ福岡」での、ある光景を思い出さざるをえませんでした。

6年前の12月3日、試合終了のホイッスルが豊田スタジアムに鳴り響き、同時に大歓声が轟いたその時、私はサイト更新と発信業務を行いながら、セレモニーの運営業務でアウェイ側のピッチサイドに陣取るメディアの皆さんの誘導に取り掛かりました。

ピッチ中央でセレモニーの設営が行われている最中、福岡の選手・スタッフの皆さんはゴール裏のサポーターの皆さんへの挨拶を終え、こちらへ向かってくるところでした。

ミックスゾーンへの導線を確保しようとしたその時、井原正巳監督が選手たちに声を掛けると、スーツ姿のメンバー外選手を含めたチーム全員がピッチ上でその歩みを止めました。

J1昇格プレーオフはYBCルヴァンカップの決勝や天皇杯の決勝とは異なり、敗戦チームの表彰はありません。また、その日の試合後の取材は一連のセレモニーが終わった後に予定されていたため、福岡の選手・スタッフの皆さんが直ぐにでもロッカールームへ戻ることには、何ら問題はありませんでした。

当時の記録を見返すと、その日の豊田スタジアムの気温は「13.7度」。とは言え、90分を戦い抜いた選手たちがじっとしているには寒冷な気候だったように記憶しています。

ある選手は感情を飲み込みグランパスへ拍手を送ってくれ、またある選手は目の前の光景を目に焼けるように視線を微動だにしませんでした。

ピッチ中央で繰り広げられている宴とはおよそ似つかわしくない漢たちのその姿は、誤解を招きかねませんが「異様」としか表現できませんでした。

あれから6年、プレーオフ翌月に冨安健洋選手がベルギーシント=トロイデンVVへ移籍、その後イタリア セリエA ボローニャFCを経てイングランドプレミアリーグ アーセナルFCへと活躍の場を移し2022 FIFAワールドカップ カタールへ出場、仲川輝人選手は横浜F・マリノスでJ1優勝を果たしMVPと得点王を獲得、元グランパスの松田力選手は愛媛FCをJ2復帰に導きJ3 MVPを受賞、井原正巳監督は柏レイソルを天皇杯決勝に導かれ、城後寿選手は福岡を4度目のJ1に復帰させただけでなく、クラブに初のタイトルをもたらしていました。

あの時「異様」と感じてしまったアビスパ福岡の選手たちのプレーオフ以降の6年間の変遷に、僭越極まりないですが私自身のスタッフ生活をつい重ねてしまいました。果たして自分は全力でクラブのために闘い続けてきたのか。眼前の東京Vの皆さんが16年ぶりのJ1復帰を喜ぶ姿を見ながら、省みずにはいられませんでした。

クラブを離れるタイミングで、そんな自分に禊を済ませたく、この退職エントリを書かせていただいた次第です。

2015年9月、グランパスの広報に任命された時、グランパスとJリーグのために全力を尽くすことを誓いました。結果、思うように貢献を果たせず、力不足と後悔ばかりが頭によぎるのが正直なところです。

それでも、年が明ければ、私は一人のサポーターに戻ります。8年前の誓いは変わらずに、これからも名古屋グランパスとJリーグをサポートして行きたいと思います。

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〈2024シーズン 準備リスト〉

・ファンクラブ - ゴールド継続
・DAZN - au 5G ALL STARパック継続
・INSIDE GRAMPUS - 新規契約
・シーズンチケット - 熟慮中
・2024ユニフォーム - 発売初日購入予定
・その他 - グランパスポンタLINEスタンプ購入済
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8年間、夢のような時間でした。末筆ではございますが、名古屋グランパスに関わる皆さん、Jリーグを愛する皆さん、全ての方々に感謝をお伝えさせてください。ありがとうございました。

P.S.

もう一つだけ、追記をご容赦ください。

本文内「コミュニケーションクロニクル」において、INSIDE GRAMPUSを立ち上げるに至った経緯を記しました。このエントリを校正している最中に伊集院静さんの文章を再読する機会があり、そのINSIDEを作るきっかけとなった「選手の声は伝えられる」という考えが、実は不遜なものであったのではないか、と感じてしまいました。

もちろん、INSIDE GRAMPUSの存在意義が揺らぐわけではないですが、これまで試行錯誤してきた「選手・スタッフ退団時の発信」に通ずるところがあるのではと思いましたので、その伊集院さんの文章を引用させていただき、この退職エントリの締めとさせていただければと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

「いろいろ事情があるんだろうよ……」
大人はそういう言い方をする。
なぜか?

人間一人が、この世を生き抜いていこうとすると、他人には話せぬ(とても人には言えないという表現でもいいが)事情をかかえるものだ。他人のかかえる事情は、当人以外の人には想像がつかぬものがあると私は考えている。

(中略)

人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。

伊集院静(2011)『大人の流儀』講談社




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