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【教師残酷物語】第3話「過労死」(田中先生42歳/数学科)

「証拠はないですね。けど、みんな内心わかってますよ。ただ、認めたくないだけです。『過労死』と認めてしまうと、自分たちにも非があるんじゃないかって……。だから、『過労死』でなく、死因は『くも膜下出血』なんです。」

 蒲田晃司先生(38歳/高校数学科)は、亡くなった田中真司先生(42歳/高校数学科)の直属の部下に当たる先生だ。色白の小太りで、ネクタイがきつそうだ。冷淡なのか、そういう性格なのか、あまり感情が見えない。喜怒哀楽の表情がなく淡々と話す。表裏のない性格なのはすぐにわかる。愛想もなければ、不機嫌さも示さない。一定のリズムを刻み続けるメトロノームのような話し方をする。

「電話をとった先生が『田中先生、死んじゃいましたー。』って言ったんですよ。広い職員室に聞こえるように。最初はみんな『?』って感じだったんですが、要するに、そういうことで……。その瞬間は割と“普通”でした。なんか最初は普通の欠勤連絡くらいの感覚でしたね。」

 朝7:15。職員室には5名の先生しかいない。始業は8:30であるため、職員室にいる先生は全体の1割にも満たない。いるのは朝型人間の先生だけ。珍しく電話が鳴った。
 学校にかかってくる電話はまず事務室を経由する。職員室に直通することはない。事務室の始業は8:00。はじめに事務職員が要件を聞き、各方面に電話をつなげる。8:00前の電話は当直の警備員がとり、職員室に誰か来ていれば、出勤している先生につなげる。本来、時間外の業務は管理職が対応するのだが、管理職が出勤するのは7:30頃。だから、その前にかかってきた電話は、その場にいる先生がボランティア的に対応する。しかし、滅多にかかってくることはない。なぜなら、保護者も学校の電話対応は8:00からということを知っているからだ。だから、8:00前、ましてや7:30前にかかってくる電話は、いずれにせよ普通ではない。
 その日も「普通ではない」ことを何となく感じていた。職員室にいるのは5名。そのうちの1人に蒲田先生がいた。彼は完全な朝型人間で、滅多に残業をしない。理由は1歳と3歳の子どもがいるからだ。早く家に帰るため、残業分を朝にこなす。ほかの4名も大体似たようなタイプの教員だ。そのうちの1人である初老の先生が電話をとった。そして、静かに「……うん、うん。」と話を聞き、受話器を置いた。そして、言った。

「田中先生、死んじゃいましたー。」

 意味がわからない。一瞬、初老の先生がボケたのかと思った。4人が初老の先生の傍に寄ると、こう説明した。

「田中先生の奥さんからで、田中先生は昨夜、くも膜下出血で亡くなったそうだ。管理職が出勤したら、私が報告します。」

 体育科の男性教諭だけが、少し経って「マジかよ……」と言った。それだけで、あとは誰も何も話さない。各々自席に戻っただけだ。その後、管理職が出勤し事態を知る。その間、様々な先生が出勤していたが、事態を知る5名は特に他言をしなかった。そして8:00に職員は事務員も含め、放送で職員室に緊急招集される。ドアを締め切り、生徒を入れないようにして、校長が事態の説明をする。箝口令が敷かれ、同じ内容が8:30の朝の打ち合わせでも説明された。
 田中先生が担任をしていた1年3組には副担任が行った。1限目は自習となった。その1限目の時間に校長がクラスに入り、事情を説明した。その後、養護教諭(保健室の先生)とスクールカウンセラーからの話があり、その日の1年3組は下校となった。手の空いている先生は手分けして、1年3組の保護者に電話をかけた。全校生徒へは昼休みに放送で、事情が説明された。

「前の日も一緒に資料の仕分けと今後のスケジュールの確認をしてましたから……。だから、ビックリっちゃビックリですよね。田中先生は、学生時代、サッカーをやってて、私みたいに不健康人間ではありませんでしたから……。仕事のできる人でした。だから、死んだんだと思ってます。人の何倍も働いてましたから。私みたいにある程度“見切り”をつけるようなタイプではありませんでした。」

 蒲田先生は田中先生と同じ進路指導部だ。田中先生が部長で、蒲田先生はその直属の部下。あらかじめ「部長不在時・部長離脱時のマニュアル」を作成していたため、業務に支障はない。蒲田先生が代理部長・新部長となるよう指示が記載されていた。学校の先生と言えども、感染症や交通事故などで長期療養を要する場合がある。それを想定して日頃から作られていたマニュアルだ。が、しかし、まさか死亡することなどは想定していなかっただろう。

 田中先生は遺書も未練もなく死んだ。未練を残す暇もなく亡くなった。

「“良い先生”と言うより、“人格者”でしたね。だから、生徒から慕われるし、進学実績も出せた。今の学校の学習システム・進路指導システムは全部あの人が作ったものです。時間もエネルギーも、そして“情熱”も注いでいた。だから、周囲からの信頼は厚かったです。私も好きでしたし……。けど、逆に言うと、学校はあの人に“おんぶにだっこ”だったわけです……。」

 優秀な人間の“マンパワー”で組織が支えられるというのは、よくある話だ。珍しいことではない。だが「組織」である以上、そうであってはならない。「マンパワーで支えられる組織」という表現は語義矛盾だ。しかし、現実社会はそうなっていない。学校社会も「矛盾」に満ち溢れている。ただ、蒲田先生が指摘するのは、そこじゃない。

「奥さんもね、学校の先生やってた人なんですよ。だから、田中先生の働き方がよくわかる人でした。理解のある人なんでしょう……。田中先生は『くも膜下出血』で死んだ、ということに落ち着きました。『過労死』じゃないんです……。」

 先生たちはみな田中先生の美談を持ち寄った。それが死者への弔いだ。田中先生の死を美しい物語へと昇華させた。「消化」ではない。「昇華」だ。それが蒲田先生の心に引っかかる……。

「まぁ、気持ちはわかります。私も、なんだかんだ言って“そちら側”ですから。結局、みんなであの人に仕事を押し付けていたんです。決してそんなつもりはないですが、結果として、そうなってしまった……。その事実をみんな受け止めたくないんですよ。だって、そう考えたら、自分がダメな奴に思えるじゃないですか? だから、田中先生は美談として語られなきゃダメなんです……。」

 蒲田先生の表情は変わらない。感情はないのだろうか。冷静沈着な性格なのか、それにしても淡々と語り過ぎである。長年一緒に働いた関係だ。思うところはあるだろう。しかし、蒲田先生はあくまでも“事実”を語るに過ぎない。そんな口ぶりだ。“思いの丈を打ち明ける”そんな話し方はしない。しかし、だからこそ“深み”が見える。

「みんな、美しく“飾り”たいんでしょう。“本当”が見えなくなるくらいね。綺麗であれば、“本当”はどうであったとか、どうでもいいんです……。あと、そうしたほうが生徒のためでもあります。美しい物語のほうが前を向きやすいですから……。」

 田中先生は美談へ「昇華」される。学校に「消化」されたのではない。死因は「くも膜下出血」だ。「■■■」ではない。
 言葉が認識を生み、事実を規定する。だから話し方には気を付けなければならない。先生たちは今日も生徒にそう教育する。

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