#16 定点観測する魂 -Emmaさんとの対話-
あまり眠れなかった。
昨夜、新企画「蒼馬の部屋-dialog-」の初回を無事に行うことができたのだが、久しぶりのツイキャスと、人と話す興奮のようなもので、頭がワアワア言って眠れなくなってしまったようだった。
それはともかく、昨夜のツイキャスはぼくとしてはとても楽しい夜になった。「創作論」などというものは、それぞれのやり方があるので、勝手にやればいいものだが、他のクリエイターたちがなにを考えて取り組んでいるのか、どういう距離感をもってやっているのかを聞くのはおもしろい。
そこには、個人的で、特殊な理由もあったり、強い意志があったり、野望や目標がある場合もあるし、日々の手慰みというスタンスもあったりする。それぞれの意志から生まれてくる作品を見るというのも興味深い。
当然、それが作品の評価とは全く別物ということにはなるが、一人の人が、なにを考えているのかはもっと知ってみたいと思っている。
そこで、昨夜は詩を書いておられるEmma/茉莉えまさん(以後Emmaさん)にお話をうかがった。
まずはいまぼくが感じている、コロナ自粛の影響で変わってしまった「現実」を、「詩」はどう描くべきなのかということについて、考えを聞いた。つまるところ、これまでの「日常」を描くと「嘘」になってしまう感覚があるかどうかということでもある。
岩手県にお住まいなので、岩手の状況からうかがうと、たしかにみんなマスクをしていたり、お店が閉まったりなどはするが、いまのところ感染者は0なので、あまり「当事者」意識はなく、創作への意識への変化は見られないとのことだった。
そして、これまでの「日常」が失われたいまだからこそこれまでの「日常」を描くことも大事なのではといったことや、「嘘」になってしまうことが嫌なのなら「本当」を書くしかないのではという話になった。
視聴者の方々もさまざまなコメントを寄せていただいて、「詩」はそもそも「嘘」ではいけないのか、「現実」との関係性がなければいけないのかといった問いも出てきた。
当然、そもそも作品は「フィクション」だから、本質的に「嘘」だし、ファンタジー小説のようなまったくの「非現実」を描くことも自由だ。そういうものを書こうとするならばそれでいいが、ぼくの個人的な趣向では、あくまでも「本当」を書いていたい。書いているときの「嘘」をついている感覚には違和感を覚えてしまう。
結論としては「本当」を書くしかない。ということなのだが、その「本当」がどんなものなのか、書いているときのザラリとした感触が、どう払拭できるのか、また実践を通じて考えてみたい。
そのほか、Emmaさんの活動へのスタンスなどをうかがっていった。Twitterやnoteの扱いや、「文芸思潮」に掲載された詩のことなど、興味深い話をたくさん聞くことができた。「文芸思潮」には、本来は掲載される賞ではなかったのだが、そのなかでも特にすぐれていたために特別に掲載されたという経緯があったそうで、そういうこともあるのかととても勉強になった。
そして、その掲載作品も朗読していただけてぼくも、視聴者の方々にとってもすばらしい時間になった。
あとは、拙いながら、ぼくがEmmaさんのnoteの詩を読んだ感想などもお話させていただいた。古い作品から順番に読んでいって、どういう変遷があるかということも見たかったが、読んでみるとどうも一貫したなにかがあるように感じた。
ぼくはそれを「魂の定点観測」と呼ばせてもらったが、いちばん最初の作品がわかりやすい。「停車場のスケッチ」という作品だ。
この詩のなかの「私」は停車場で「SL列車」に乗りこむ人々を見ている。しかし、この「私」は乗りこむこともせずに「ただ見てる」。ベンチに座ったまま「動けないまま」でいる。「動けない」「私」がいる。
この「動けない私」は、この作品だけでなく、他の作品でも一貫して現れる。同じ場所から、時間を、風景を、思い出を、季節を、空を、人を、鏡を、私を、見ている。
これはご本人も「心身二元論」的な考え方をするからという話であったが、際立ってこの「見ている」「動けない私」の存在が強い。そこに哀しみがあり、厭世感があるのだが、しかし、「動けない私」のなかで「動く」ものがある。それは、「魂」だ。
「浮遊する。」という作品では「魂」が「宙」から伝う「蜘蛛の糸」のようなものでひっぱりあげられていく。すると、「あたしの肉体」が見えてくる。そして「魂、は、こんなにも、自由だ」と「動かない私」の肉体を「動く魂」が見つめている。
ああ、なるほど定点観測していたのは「魂」なんだなと。そして、これまで「肉体」に囚われて動けなかった「魂」がこのとき、ようやく「動いた」ところが、なんだかぼくにはおもしろかった。しかし、それは「蜘蛛の糸」に吊られているのだが……。
とりとめのない話になってしまったが、そのような感想というのか、印象をお話させていただいた。そしてこれらが、一編20〜30分で書かれているというのだから驚きだ。ぜひ、機会があればみなさんも一通り読んでみていただきたい。また別のご感想や読みがあれば教えてくださるとありがたい。
そういうことで、初回の対話はたいへん充実したものになった。ぼくばかりが得してしまってはいけないのだが、引き続き、いろんなお話をうかがっていきたいと思う。
Emmaさん、貴重なお話をありがとうございました。
そこで、次回は詩人で「極微」という詩誌を運営されている佐野豊さん、そして、次次回では詩人でインド学研究をされている矢口れんとさんとお話させていただけることになりました。ご快諾くださって、たいへんありがたく思います。たくさん聞きたいことがあるので、聞き落としのないようにしていきたいと思います。ご興味のある方は、ぜひお越しください。
【蒼馬の部屋-dialog-】
#02 2020.05.03(SUN) 21:00〜
ゲスト:佐野豊さん
Twitter @mousukoshiikite
note https://note.com/myfoolishheart
詩集『スワン』(私家版)。詩誌「極微」同人。buoyの会。
#03 2020.05.06(WED) 21:00〜
ゲスト:矢口れんとさん
Twitter @a_y_town
note https://note.com/lentoy
詩集『青い風花』(幻冬社)。インド学・宗教研究。
ツイキャス https://twitcasting.tv/ssk_aoma
マガジン『部屋のなかの部屋』
在宅勤務でひとり部屋に引きこもった生活の様相を記録しています。そこから「言葉」がどう変容していくのか、アフターコロナにむけた「詩」の問題を考えています。今のところ二週間毎日更新しています。ぜひフォローしてください。
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