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私はいつでも

悲しいことが起こらないかなと期待している。

なぜって、自分が「かわいそう」でいられるから。
かわいそうなら、話を聞いてもらえて、大変だったねって言ってもらえるから。
優しくしてもらえるから。
同情してもらえるから。
泣いても許されるから。

だから、悲しいことが、誰がどう見ても客観的にとっても悲しいことが起こり続ければいいと思ってる。

友達が死んだって連絡を受けたとき、ああ悲しいってもちろん思った。
けど、その次の瞬間には、ああじゃあ今日は、当分は、悲しんでてもいいんだなって安心した。
何かができなくても、仕事サボったり、人に会う約束を断ったりしてもいいし、
逆にわざわざ誰かに会って、辛そうな顔しても許されるんだ、
なんならいっぱい泣いたって抱きしめてもらえる。

そうやって、もちろん無意識にだけど、かわいそうでいられる状況にとても心躍った。
そしてその通り、職場で泣いて、友達に会って泣いて、優しくしてくれるのが目に見えている人に抱きついた。ごめんねまいちゃん、わたしは君の死を利用した。優しくされたいから。がんばらなくてもいいんだよって言ってもらいたくて、言ってもらえないからせめて泣いても怒られないでいられるシチュエーションが欲しかった。なんなら抱きしめてももらえるかもしれないんだよ、人が死んだら。そりゃ「友達が死んでかわいそうな子」になりたくなっちゃうよ。

時々想像する。
友達とか、親とか、もしいなくなっちゃったら私が当たり前に泣くって誰しもが想像できるような、そんな人がいなくなっちゃう明日を。
それか、急に超やばい不治の病になって、ずーーーーーーっと病院にいなくちゃいけなくて、けど不治の病って言っても超がんばって超お金積んで超時間かけたら治る可能性が2%くらいはあるからがんばって治そうねって周りの人みーんなが心配してくれるような明日を。

そうなったらわたしは今よりは頑張らなくてよくなるし、それなのにがんばってて偉いねって言ってもらえるし、泣いても許してもらえるし、死にたいって言ってもそりゃそうだよね辛いよねって同情してもらえるもん。どこに向かえばいいのかわからないまま闇雲に何かをしなきゃって焦ってる気持ちとか、自分の無能さに嘆いたりとか、そういうのから少しは離れられるもん。

時々って言うのは嘘で、割と頻繁に。最近は毎日のように。
わたしはわたしが世界で一番かわいそうだから。

何にもなくても抱きしめてもらえて、大丈夫だよ、好きだよ、よくがんばってるね、すごい、って言ってもらえる世界、どこですか。

ないならなんで生きてるの?

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