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絶望が死に至る病とはうまいこと言ったもんだな

キルケゴール、君は天才か?

いろんな人が中学受験について書いていて、私も書きたくなってしまった。
とは言っても別に本気で御三家目指して頑張りましたとかそういう普通の頑張った記録とかじゃなくて、ひねくれて歪んだ想いをそろそろ昇華させたいなとか、そういうもの、だと思う。
あとまだ体調万全じゃないから支離滅裂かも!許して多めに見てほしい〜

前もちょっと書いたけど、私は5歳〜9歳まで東京の隣の県に住んでいて、その間ほぼずっと大手進学塾のおチビコースに通っていた。
そこでまあまあ期待されていたとかそんなのはどうでも良くて、なぜって、その地域が成金地域と呼ばれるような、みんな教育とか受験とか習い事とかに力を入れるような風潮だったから無理やり塾に来させられてる子とかもまあまあいて、それでもその子達もなかなかな成績出してたし後に聞いた進学先も有名どころばっかりだったりして、だから特にそれくらいの年齢なら誰でも訓練すれば大体のことはできるようになると思っているから。
それとまあ、私は夏期講習中に飽きて机の上でブリッジしだすような児童だったから……。
(ここは笑うところです)

そうは思いつつも「私って勉強できるんじゃない?学校行く意味なんてなくない?行きたくないわー」なんてバカ生意気なことを小1の春にしてすでに口にしていた。
そんな感じで学校をなめまくってたから授業中にフラフラと勝手に教室を出たり、寝そべったりしていた。今だったら完全に「グレーな子」とか、むしろ診断がついたんじゃないかなと思う。
(ここも笑うところです)

まあそれは置いておいて、なんで小3で塾を辞めたかって、他の習い事に専念するためだった。
その冬、クラスが上がって、練習が毎日になって、親も流石に毎日毎日高速の運転なんてしたくなかったんだと思う。

引っ越した。

必然的に、塾やピアノなど、他の全ての習い事は辞めた。
引っ越した先でも私は「学校とか行く意味あるの?バカに付き合って教室で座ってるとかバカじゃん」くらいのバカ生意気なことを思っていたし、学年はそれはもうめちゃくちゃに荒れていて、やっぱり学校なんてバカ…って思っていた。

けどそこもまあまあの閑静な住宅街だったのでリッチな家の子たちがテニスして塾行ってバイオリン習って、みたいな生活を送っているのも目にした。

そのとき、事の重大さに気がついた、気がした。

大げさに聞こえるかもしれないけど、「勉強くらいできなきゃ」「勉強できるから奇行が許されてるんだ」とずっと信じていたので、他の習い事を優先させて塾に通うことを放棄した自分がとても愚かに感じられて、取り返しのつかないことになったぞ、とも感じた。
ほんとうに、戦慄した。

まあでも学校が終わって家でおせんべいを食べてバッグを持ち替えてそのまま習い事に向かって、帰るのは21時。なんて生活を続けていたら勉強がどうとか考える暇はあまりなかった。ときどき色んなことがどうしようもなく虚しくて机に伏して泣いたり、やっぱり教室を抜け出してフラフラしたり、相変わらずそういう奇行でいろんなことを誤魔化していた。
(ここも笑うところです)

小6になって、その危機感のようなものは、さらに大きくなった。
私が生活のほとんどを割いていた習い事のクラブは、みんなが同じ中高に通うという暗黙のルールのようなものがあった。
都内にあるほんとうのFラン私立で、勉強しなくても誰でも入れて、うちのクラブ出身の人が先生をやっているから全てが筒抜けで、意のまま。
そんな学校に、みんな通うことになっていた。

こわかった。
完全に勉強することを捨てて、人生を一つだけに賭けるなんて。
でも、公立の学校なんてもっと怖かったし、他の学校を受験しても受かるはずがないこともわかっていた。

塾に行く時間なんて30分もなかったし、だから私が行きたいと思えるような学校に受かるだけの学力を今更つけられるなんて、思ってなかった。わかってた。
だけど、それでも、どうしてもあの学校に行くことを受け入れられなくて、目を背けたくて、近所にあるまあまあ難しい女子校を受けたいと言った。

受かるはずがないと、親も私もわかっていた。
それでも、この先にその習い事しかない未来が広がっていることを認めたくなくて、目をそらしたくて、なんの対策もしてないのに、出願して、受験した。
問題は解けないし面接でも受け答えできないし、当たり前に落ちた。

一方、Fラン私立は当たり前に受かった。
落ちる人はいないから。
クラブからも事前に連絡が入ってるから。
それでも私はどうしてもその学校に行きたくなくて、面接で志望動機なんて聞かれても「志望してないから動機なんてないし…」とまたバカ生意気なことを脳内ぐるぐるさせ、スリッパをパタパタさせることしかできなくて、クラブに「下北沢さんっていう子、テストの点はよかったんですけど面接がちょっとね…この子大丈夫ですか?」って電話を入れられた。
(ここも笑うところです)

そんなことをするくらいなら、落としてくれればよかったのに。
こんな学校、通いたくなんてないんだよ。
そんな気持ちでいっぱいだった。
それなら辞めればよかったのにとも思うけど、それも怖くて、この習い事で足並み揃えられなかったらもう完全に人生終わりだ、くらいに感じて、思い詰めていたから。

入学しても案の定、スポーツしかしてない子か、小学校でいじめられたから地元の公立に通えない子か、ただ公立よりも近いからここにした、という子しかいなくて、うまくなじめなかった。
でも相変わらず、というか周りが勉強しない子たちになったから余計に成績は良くて、だからこそ授業態度とかは悪くて、先生には疎まれた。仲良くしてくれる先生もいたけどね。

まあでも、あれから10年以上生きてみて、どこにいてもあんまりうまくなじめないのは本当に本当にそうだから、結局は環境よりも私に問題がある気もするけど、もう少しくらいいきいきと過ごせる学校に通ってみたかった、と今でもたまに思ったりする。

体調はほぼ良くなったよ!
熱はまだまああるし喉も頭もまだちょっと痛いけど、肺と気管支あたりの死ぬほどゼーゼーする症状が消えたからnote書けるよ!塩素で死のうとしたときと同じくらい痛かったよ!って言っても共感してくれる人はなかなかいなさそうで悲しいよ!

夕方にリビング行ったらホストママに「だいぶ良さそうね!あっこれ食べる?」ってマックのチキンナゲット差し出されたよ!デブかよ!食べたけど!まる2日ぶりの固形食がチキンナゲットって!美味しかったけど!
とにかく今晩はもう吐いたりうなされたり徘徊したりしたくないよ!

おやすみなさい

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