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おいで、仲直りしよう

コロナですね。
わたしは語学学校が一ヶ月休みになって、ほかの仕事もほぼキャンセルになりました。
久々に時間がたっぷりあるので、最近のことを記そうと思います。
手帳をパラパラとめくりながら、ランダムに書きます。
みんなの近況も教えてね。


2月XX日

学校。
よーこさんがくれたハワイのクッキーを食べる。

授業が終わって、天気が良くて気分もよかったのでたまには外で宿題をしようと思う。

川沿いのカフェでスープを頼む。
自家製アイスティを飲みながら前置詞のプリントをこなす。
隣の母娘や老夫婦をつかまえてチェックしてもらう。
老夫婦の義理の娘は日本人で、ベルリンに住んでいると言っていた。
日本人はやっぱり真面目ね!と言われたのでスマホなどいじらず真面目に宿題をやるしかなくなった。

窓の外に目をやると警察官が馬に乗っていた。

家に帰ると小包が届いていた。
大好きなお姉さんからの誕生日プレゼントである。
去年に引き続きふるさと便を送ってくれて、お手紙に泣いてしまった。
小説を何冊か入れてくれて、全てに付箋でメモをつけてくれていた。
ありがたくて泣いた。
もう随分と長く仲良くしてくれて、わたしは幸せだなあと思った。

閉鎖口座の設定などをがんばり、NetflixでUnbelievableを観た。


2月XX日

仕事でオランダへ。
スキーをする。
20年ぶりだったけれど滑るだけならできた。
狙った場所で止まるとかは難しかった。

話を聞かないでできないと文句を言う子供達にイライラした。
口から出るのは、昔自分たちが言われて嫌だったような嫌味な言い方ばかりで、悲しくなった。
気に入った子には優しくできるのもまた悲しくて、夜までずっともやもやした。
寝る前にもっともっと悲しくなって、ラウフェンモスルモンさんに泣きながら電話した。
ご迷惑おかけしましたと思うと同時に、わたしは幸せだなあと思った。


2月XX日

学校。
先生の息子(19歳)の彼女がもう半年も家に住み着いているらしい。
ときどき彼女の旦那の靴下を履いていたりするくらい馴染んでいて、信じられない……と嘆いていた。面白かった。

お姉さんがくれた小説を読んだ。
サクッと読めるものだったので、仕事中にも読んでいたら半日で読み終わった。
良い小説であった。

お友達から荷物が届いた。
チャート式(数学の問題集みたいなの)と本、インスタント味噌汁などが入っていた。
ありがたい。
チャート式終わるまで日本に帰って来ちゃダメですよと書いてあった。

ラウフェンモスルモンさんに連絡をした。
手帳には「でもさ、私のこと、もう、嫌でしょ?次に会ったら、私に関わらないほうがいいよって言おうね。寂しいけど、傷つけたくない」と書いてある。
何があったのかよくわからない。
私にはそういうところがある。


2月XX日

学校。
ハイネの詩を読む。
まだまだ味わう余裕などはない。

帰りにデパートでLAMYなどをみる。
昼寝して宿題してインスタントのお味噌汁を飲んだ。
いろんな人からの贈り物である。嬉しいね。
子供の頃は味噌汁なんて大嫌いだったのに、いつの間にか割と好きになっている。
カナダのホームステイが嫌すぎて帰国後に飲んだ一杯が美味しかったのを思い出す。

大雪が降った。
仕事に向かう途中、お花屋さんに寄る。
日本にワーホリしに行く女の子に贈るためである。
みんなで写真を撮った。
元気でね。


2月XX日

仕事帰り、家の鍵がないことに気がつく。
知り合いに当たるも、私を泊められる状況にある女性は一人もいなかった。
というか、連絡先を知っていて、泊めてと頼めるような知り合いが片手で足りるほどしかいないことに気がついた。
友達を作ろうと決心した。

外で凍えた。
仕方がないのでおじさんの知り合いに連絡をする。
飲み会終わったら来ていいよというので泊めてもらう。
ソファベッドを用意してくれてありがたかった。
部屋があったかくてこっそり泣いた。

にも関わらず、私は一人っ子の姫育ちなので
「なにかあったら一目散にとんできて、ドライヤーしてくれる、そんな人がいいな」
と日記に書いている。
贅沢ですか?
飲み会どころか仕事さえ何日もほっぽり出して飛んでくるような親のもとで育ったから仕方ないよね〜。うん。
それが息苦しかったはずなのに。


3月X日

ブリュッセルで仕事。
左足の親指をひどく捻挫する。
捻挫で済んでいるのかわからない。痛い。

ドイツに帰り、前日に仕込んでおいたおでんを食べる。
宿題をする。
数学と英文法のドリルをゴリゴリする。

数学なんて中学卒業以来やっていなかったけど、とても楽しい。
まだ楽しめる範囲だからかもしれないけれど、寝ても覚めても因数分解をしている。
思えば中学時代も体育館にいる以外の時間はずっと数学をやっていた。
12-15歳にあまり荒れなかったのは数学をしていたからなのかもしれない。

高校に行かず、大学受験に直面したとき色んな人が
「今から理系は厳しいよ」
と言ったので
「そういうモンなのかなあ」
と世界史を選んだけれど、結局全然やる気になれなくてずっと40点とかとってた。
あの頃数学を選んでいても、真面目に取り組めたかはわからない。
川原で水風船するのが楽しかったし。

いずれにせよ特に目的があるわけでもなく黙々と問題を解くのは楽しい。
いい趣味を見つけたなあと思う。
チャート式を送ってもらえることと、そんな時間のある生活がありがたいなあと思った。


3月X日

外国人局。
ビザの延長が受け付けられる。
心臓に悪い。

お友達から荷物が届く。
欲しいものをネットで買い、送りつけ、それを送ってもらったのである。
ラウフェンモスルモンさんの誕生日プレゼントも一緒に入れてもらった。
職人さん手作りのブックカバーである。
あげる側なのにルンルンした。
面倒なことを引き受けてくれてありがたいなあ、そんな友達がいてわたしは幸せだなあと思う。
プレゼントを用意する機会があるのは嬉しいなあと、魔女宅のおばあちゃんみたいなことを思う。

仕事のパートナーが半年も同じことで上司の文句を言う。
聞いていてだるいので「じゃあ直談判しよう」と言う。
これで3回目である。

翌日、その子と上司と、もう一人の同僚で話し合った。
彼女は言いたいことを一つもはっきりと言わないのでイライラした。
代わりにわたしが
「彼女の思っているのはこういうことです」
と発言するとボスに
「ちょっと黙ってて」と返された。
は?と思ったので途中退席した。

八方美人しやがってふざけんなよーーーとなったところで別の仕事へ。
みんな話を聞いて笑ってくれてありがたいなあと思った。


3月X日

仕事をして、別の仕事に向かう途中、ケルンに寄る。
美術館はガラガラだった。
コロナのせいだろうか。
ポテトチップスを食べる。

ブリュッセルに着いて、ビールを買う。
こうして出先でアルコールを買っては飲まずにいるのでどんどん溜まってゆく。
同僚とバーガーを食べる。
働き方、連絡をくれない恋人、旅行、などについて話す。
楽しかった。
宿に帰ると気持ち悪くなって吐いた。

翌日の仕事。
多くの人が本帰国になってしまい寂しい。
子どもたちからお菓子をもらう。元気でね。


3月X日

授業でDDRとBDRについて読む。
旧東ドイツは今の北朝鮮くらいやばかったって、そんな風に学校で習ったっけ。
中2の担任は冷戦が好きだったなあと思い出した。

梅雨に一度帰ろうと思っているのだけれど、コロナで再入国できなくなったらどうしよう。
びびってチケットを買えないでいる。

市役所に行く。
手紙が届いてからまた来いと言われる。

歯医者の予約まで時間があったのでチョコレートドリンクを飲みオペラを食べた。
虫歯の治療しに行くのに?!

図書館でチャート式をやる。
気がついたら閉館時間。

洗濯してNetflixでDas Leben der Anderenを途中まで観る。
冷戦下の話である。
音声も字幕もドイツ語だと半分も理解できているか不安。


3月XX日

学校。
中国人の女の子が、家で子供(ドイツ人)に
「コロナの責任は中国にある!」と言われたらしい。泣いていた。
周りがいくら気にするなと言えど、風当たりが強いのである。
つらいものはつらい。

アジア差別はわたしもよく受ける。
オシャレして綺麗にメイクしておけば風当たりは弱まると気がついたので、最近はオシャレするようにしている。
クラスメイトに「今日とっても素敵ね!」と言われ
「今日だけじゃないでしょ」と返す日々。

非は差別する側に100%あるけれど、そこの教育には何十年もかかる。
こちらが自衛したらあちらはつけあがって、共存共栄までさらに時間がかかる気もする。
とはいえ傷つきたくはないので、自分の身を守るために其の場凌ぎでもわたしはオッシャレ〜!をする。

帰ってアボカドを食べる。
チップスとチョコレートばかりではいけないと、たまには気を遣うのだ。
宿題を済ませる。

バスに揺られる。
長く停留所に止まっていたので一時間ほど到着が遅れる。

知り合いに会い、バーガーキングでスプライトを飲む。
共通の知り合いに電話をする。
妊婦生活はつらそうである。
あれを「幸せ〜🤗」と心の底から思える人なんているのだろうか。
だとしたら羨ましい。
そうじゃなかったとしても、なんだかんだで幸せそうでいいなあとも思う。
自分の子なんて考えただけで吐き気しちゃうけど…え、つわり?

ラウフェンモスルモンさんの仕事が終わる。
年が明けて初めて会ったので緊張した。
ポメスなどをテイクアウトして帰った。
疲れていてすぐに寝てしまった。

翌日、シャワーを浴びてドライヤーしてもらった。
まだ緊張していた。
誕生日プレゼントを交換した。えへ

もののけ姫を観た。
人生初である。
Netflixのおかげでジブリ活が捗る。
「嬉しいな〜。一緒に観るの楽しみにしてたんだ〜」
と言ってもらえてとっても嬉しいなあと思った。
けれど自信がなさすぎて
「ほんとうに?」
などと返した。
やれやれ。
嬉しい言葉は全て録音しておきたいね。

もののけ姫を観て、世界は複雑だなあと思っていたらラウフェンモスルモンさんがもたれかかってきた。
安定の膝枕である。
完全に寝てしまった。
かわいいなあと思い、三島由紀夫の潮騒を読んだ。
安心して眠ってくれて嬉しいなあと思った。

そろそろお尻が痛いなというところでむくりと起き上がり、仕事にいかねばならないと言われた。
仕方がないのはわかっているけれど、なんだか悲しくなった。
え、もののけ姫の後でお散歩行こうって言ってたのに…寝ちゃって起きたらいなくなっちゃうの…って。
乙女か?

一人になって感情を書き出した。
さっきもらった可愛いノートを早速使った。

気を紛らわすために英文法のテキストをやった。
YUIを聴いた。
この冬はたくさんYUIを聴いた。
16-17歳くらいの頃の記憶が蘇る。
My Generationが今も昔も一番好きだ。

庭を散歩した。
散歩と言えるか言えないかギリギリの、つまりそこそこ広いお庭がついているのである。
Aikoの二時頃やロッドスチュワート、カーペンターズ、Kiroro、ELT、井上陽水などを聴いた。

ラウフェンモスルモンさんが帰ってきた。
うまく喋れなくて、怒ってるのと聞かれると余計に話せなくて、困って、困らせているのもわかったから余計に困った。
泣いて洗面所に逃げてしまった。
怒っているつもりはないのだけれど、と思いつつ、泣くことしかできなかった。
悲しみと怒りと虚しさと、そういうのの区別がつかなくて困るなあと思った。
部屋に戻るとKindleで読書をしていて、えらいぞ!と思った。なんて偉そうなエンデ。

依然として喋れなくて、やっとの思いでノートに
「しゃべれない、ごめんねもうねる」と綴る。
ベッドの用意をしてくれたけど、そこへきて喋れる気がした。

「どうしたの」みたいなことを方言で言われたので
「標準語じゃないとわかんない…」と生意気なことを返した。

それからまたリビングに戻り、なんとかお話をした。
思っていることをほぼ全て言えて、わたしはすごく偉かったし、それを聞いてくれたのも、言おうという気にさせてくれたのも、嬉しいなあすごいなあと思った。
ラウフェンモスルモンさんは、わたしが泣いて黙っても怒らないし怒鳴らなくてすごいなあと思った。

泣いていると話せないのは、不要なことを言って相手を困らせるor怒らせるかもしれないという恐怖からきているのかもしれないなあと気がついた。
その頃にやっと緊張が解けた。緊張が長い。

もう夜も遅かったけれどパスタを作ってくれて、ナウシカを観た。
これも人生初である。
「ナウシカはわたしみたいなことを言う子だね」ときゃっきゃした。
パスタは美味しいし、全部があったかくて、幸せだなあと思った。

歯磨きして、ソファで寝そうになっているラウフェンモスルモンさんを起こした。
片付けをして、秒で寝た。

お昼に起きて、和風ラーメンを作ってもらい、美味しくてびっくりした。

目の前の公園をお散歩した。
電動キックボード試したいねと言い、鳥に挨拶をし、プリンを食べ、食べきれない分を差し出し、えへへと笑った。
一人っ子、そういうところがある。

桜の木を見つけた。

シーシャデビューしたいなと言うと「こないだ友達としたよ」と言われた。
去年から「シーシャしよう」って言ってたのに…一緒にデビューしたかったのに……となった。(言えなかった)
そもそもなんでわたしにはシーシャ誘ってくれるお友達がいないのですか?!

もうICE(新幹線)の時間だった。
寂しいなあと思った。
なんだかんだまた会いに来てしまうのだろう。
ふわふわしたまま帰路についた。
車内は空いていた。

乗り換え時に、ウルトラライトダウンを忘れたことに気がついた。
ポケットにはパスポートなどが入っている。
エンデ、旅券の不携帯にドキドキしてしまうくらいには真面目なのである。

ギョエーーーとパニックになりラウさんに電話をする。
近日中に取りに戻ることになった。

家に着くと、日付が変わるまで寝てしまった。


夢うつつでぼんやり考えたこと。
わたしがこんなにふらふらしているのは血的に仕方がないのだ。

母方の叔母やそのイトコたちはアブノーマルに強い人生を歩んでいるし、父も父でわたしと同じかそれ以上に好き放題やり、留年し、外資でバイトしてたら管理職になり、でも喧嘩して辞め、ふらふら法律の勉強でもするか〜とわたしの送り迎えするマシンになったところを今の会社に拾われたのである。父方祖父はパチンコしたすぎてガンと戦い生き延びた。

諸々を鑑みると、わたしの人生こうなるようになってたんだなァ〜となったり、いやでもツラィ〜〜となったりする。
自分でこの感じを認められるようにはなりつつあるけれど、今までみんなもっと許してくれてもよかったのに…という気持ちがある。

こうして振り返るとわたしはだいたい色んな人に優しくしてもらえて、嬉しいなあ幸せだなあってニコニコしている。
なのに定期的に絶望するのはなんなの…?趣味?特技?
「趣味は絶望です!特技は人に助けてもらうことです!必ずや御社の力になります!」

暇だしベルリンでも行ってこようかなと思ったけど美術館など閉まってるのかな。
あと白い目で見られそうだし躊躇している。

おわり

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