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自分の年表が作りたい。。

日記を何度も書いたことがあるけど、全て捨ててしまった

過去の日記を本棚に並べてある老人とか、すごいと思う。書いたこともすごいけど、それを捨てなかったことが。

あと、最近は手帳にいろいろ書き込んで、それを思い出として取っておくとかしてる人もいるけど、私は捨ててしまう

理由は後から読むと自分が恥ずかしいのと、誰かに読まれるとまずいことが書いてあるから。昔は、私小説的に赤裸々に書くべきだと思っていたのか、激しい感情をぶつけていたから、死にたい死にたいって何十回も書いたり(確かに煮詰まっていた時期だし、それを書いて救われたけど)、当時好きだった人のことを情熱的に書いたり。(後から読んで、書いた日の自分の馬鹿さが呪わしくなる)

何度も手帳や大学ノートに日記的なものを書いては捨ててきた結果、過去の思い出が、何がいつ頃の出来事なのかだいたいで、人名や店や物の名前も忘れてるのが多い、人生の記憶が穴だらけ。

親や親戚から聞いた話も、私が既にうろ覚えだし、このままでは確実に子供たちには伝えられない聞きたがってもいないけど

先祖の話とかに価値を感じるのは、自分の人生の終わりを意識し始めてから、と相場が決まっている。親が言いたい時には、子供は聞かず、子供が聞けば良かったと反省する時期には、親はもう居ないか、忘れてる。そんなものだ。

自分の過去の出来事を、何年にどこそこで、、と具体的に説明する高齢者をテレビでよく見る気がするけど、いざ自分が思い出そうとしても、何年の話だったのかとっさには出てこないので、自分の年表を書き始めた。

まだ、産まれた日と、年表を書き始めた日しか記録されてないけど。

自分史作りが進まないのは、残念ながら、輝かしい実績とか、思い出して誇らしくなる素敵な時期があまり無くて、後悔する記憶ばかりだからかもしれない。それでも、自分に都合の良い事実だけ並べて、読み返すたびに自己肯定感が爆上がりするような自分史に仕上げていきたいともくろんでます。

遺品として遺せる、誰に読まれても問題のない、客観的事実で固めた内容にすることも大事なポイント。

それから、残りの人生は、SNSのアカウントも、消さずに継続させることを心掛けて行こう。

それだけで、私の記録が、私にとっても満足で、読まされた人にとっては、多すぎる分量残すことが出来るだろう。

このnoteも、消すことなく、後世にまでも遺せるものを目指して。。。


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疲れる毎日を誰かの文章で癒されたい。そして、私も誰かを癒したいです。いつかできたらいいな。