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ひゃく・てん! ~その壱~

~百人一首の魔境に転移してなぜか和歌札を集めることになっちゃった件!~
【あらすじ】
川水和雲かわみわくは十七歳の悩み多き高校二年生。
ある日、頭に白羽の矢が刺さり、百人一首の魔鏡世界へと強制転移させられてしまった。(ただし日帰り感覚)
魔鏡と現世の境目の住人、大宅世継おおやけのよつぎ夏山繁樹なつやまのしげきによると、百人一首の和歌群が何らかの呪にかかってしまい、ふたたびその息吹を取り戻すためには和雲がキーとなる和歌の詠唱に立ち会い、それによって出現する和歌札を集めねばならないのだという。
納得がいかないながらも、このままでは現世にも影響があると知り、和雲は今日も(半強制的に)転移の旅に出る。


枕詞

てん・きん!

~転移した先の異境で金の稲穂に囲まれて今上天皇に迫られちゃった件!~



 朝、鏡を見る。
 ばしゃばしゃと音をたてて冷たい水で顔を洗う。
 もう一度鏡を見る。水に濡れた、なんの変哲もない目と、鼻と、口。いたって普通の顔。
 はっきり言って――つまらない顔だ。
和雲わく、となりいいか?」
 タオルで顔を拭いていると、兄の大和やまとがやってきた。少し詰めてスペースをあけると、大和は並んで洗顔を始めた。
 水も滴るいい男……とでもいうのだろうか。すらりと背の高い大和がてきぱきと身支度を整えるのを、和雲はこっそり目で追った。
「どうした?」
 視線に気づかれ、慌てて支度に戻る。ふっと、小さく噴き出す音が聞こえてきた。
「……なに?」
「寝グセ、ついてるぞ」
 ほらここ、といたずらに髪をつまみ上げられる。ふるふると頭を振って、和雲はその手から逃れた。
「いいから、済んだらとっとと行って。そろそろ出る時間でしょ」
「そうだな。実家ここから出勤するのも久しぶりだし」
 手早く整えた髪をチェックして、大和はくるりと踵を返す。
「お前も急げよ」
 そう言って、そよ風でも吹くように大和は颯爽と出ていった。
 残された和雲が寝グセと格闘していると、
「あら、お兄ちゃん。もう出るのね」
 玄関のほうから母の高い声が聞こえてきた。
「ああ、昨日はありがとう。母さん」
「もっと泊まっていけばいいのに……生活費の節約にもなるじゃない」
「もう独り立ちした身だから。肉じゃが、うまかったよ。ごちそうさま。また来るから」
「いつでもいらっしゃい。独身のうちに……」
 名残惜しそうな母の言葉。じゃあ、とあくまでも爽やかな兄の声。ばたん、とドアが閉まる音。
 いまだ櫛に絡む前髪に苦労している和雲のもとへ、思い出したように母の声が飛んできた。
「いつまでやってるの、和雲! 遅刻するわよ!」
 ほんとにのんびりしてるんだから、とおおげさなため息までおまけによこされ、和雲はげんなりと鏡を見る。ぐしゃぐしゃと前髪をかきまぜて、洗面所を後にした。

 ◇

「“やまと歌は人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける”――これは古今和歌集の仮名序かなじょ……つまり、仮名文字で書かれた序文の冒頭部分です」
 午後イチ、古典の授業。
 お天道さまは雲のなかにその姿を宿し、ほかほかと温もりだけが残ったままの窓辺の席。若い女教師ののどかな声と白いブラウス。
 寝グセが残ったままの前髪をいじりながら、和雲はポケットから取り出したスマホで時刻を確認した。期待むなしく、終了のチャイムはまだまだ先だ。
 熱心に“仮名序”とやらの説明をしている女教師の様子をうかがいつつ、机の下で青い鳥マークのアイコンをタップ。“トラクター”という、ちまたで人気の独り言アプリだ。
『だるい~ランチのあとの授業ってついつい眠くなっちゃうしぃzzZ』
 もう一度、教壇を確認してみるが、こちらの動きに気づいた様子はない。和雲はたてつづけに、昨夜からの愚痴をぽろぽろとこぼしていく。
『マジやばいんだけど。好きな人が目の前で結婚式とか、寒い少女マンガみたいじゃん』
 ご立派な会社に就職して一人暮らしをしている大和が、昨日は実家に帰ってきていた。兄はもうすぐ結婚式を挙げる予定で、その打ち合わせのためだとかなんとか。
『どうせマンガならファンタジーがいいっての! 異世界転移とか、できるもんならやってみたいわ』
 優秀で人柄もよく、両親自慢の兄。いつもいつまでも、和雲にとっても大きな存在の、あの大和が。
『あーあ。異世界でお姫さまとか贅沢は言わないから、もうとにかくどこか遠いとこに家出したぁ~いっ!』
 昨夜の一家団欒の食卓を思い出し、勢いのままフリック入力。そしてすたーんっと“独り言トラック”した。
 やっと前を向くと、“仮名序”らしき古文を板書している女教師の背中が目に入る。
 その白いブラウスのあまりの眩しさに目を細めた時、すこんっと、何かが頭に当たった気がした。
 ――いまなにか、飛んできた……??
 スマホの自撮りモードを起動させ、くいくいと角度を変えながら確認してみる。と、視野に飛び込んできたのは見慣れぬ異物。
 頭に、一本の白羽の矢が刺さっていたのだ。
 比喩ではない。文字通り、まさに物理的に、ぶっすり、である。
 和雲はしぱしぱと幾度か瞬き、それから写し出された自分の姿を上から下まで眺めまわした。
 何度見直しても間違いない。右から左へ、ななめにまっすぐ突っ切る形で白羽根の矢がぶっささっている。落武者かと見紛うシュールな絵面である。
 ――白羽の矢が刺さる……? これってなにかの抜擢なの? それとも暗殺なの?
 混乱した頭でそんなことを思いながら、和雲がそろりと矢柄に手を伸ばしかけた。
 その時である。
 雲が、はたと切れた。
 校舎の三階、大きな窓枠から午後の陽光がぶわりと差し込む。それを受けて鏡が――正確には自撮りモードのディスプレイが――まばゆく光を照り返した。
 斬撃のような光線が目を襲い、和雲は両眼をぎゅっとかたく閉じる。
 途端、感じたのは全身を包む浮遊感。椅子の座面が抜けてすこーんっと勢いよく落とされる感覚に、「はぁっ!?」と間の抜けた声をあげた。
 いったい何が起こったのか――信じられないことに、あたりの景色は一変していた。
 一面、乳白色のもやのようなものに包まれた何もない空間。和雲の体はその謎空間のなかを確実に落下している。
 飛ぶでなく、浮かぶでもなく、あきらかに落ちている。風を切って下降する速さに、髪がめくれあがりオープンになった顔にびゅうびゅうと風が吹きつけてくる。なすすべもなく、どんどん直下へ墜落しているのだ。
 ――ちょっと待って、なにこれなにこれ、このままじゃブラジルまで行っちゃうーっ!?
 いやその前にたしかマントルやら核やらなんやらがあって、未来の世界の猫型ロボットみたいにかんたんに地球の反対側にコンニチハ出来るわけではないらしいとか理科の授業で習ったような気がする……との、真面目なんだかどうだか自分でもよくわからない考えごとをしていると、ふたたび目を焼くような光に包みこまれた。
 かと思えば、どすんっと派手な衝撃音とともに尻から着地して身体を投げ出される始末。
 アイテテ……と、和雲は尾てい骨をさすりながら身を起こそうとした。が、おもむろにその腕を掴まれ、ぐいーっと後ろへ引っ張られる。抵抗するまもなく、またしてもどーんっと背中から倒れ込んでしまった。
「えっ!? な……っ」
「――朕の上に許しもなく飛び乗ってきておいて、陳謝もなく立ち去ろうというのか、女よ」
「ちょ……! だ、だれーっ!?」
「誰、とは――」
 和雲を後ろから羽交い締めにしたまま、くつくつと笑う男の声。
「おかしな珍入者もあったもの。行幸の先立ちにある男車に忍び込んできた輩の言とも思えぬな」
「く、くるま! 忍び込むって、え、いや、あの……っ」
「かように情熱的な女子もまぁたまには良かろう。そちらのほうから積極的に迫り来るというなら愛でてやらんこともないぞ」
 言いながらも、男の手は和雲の着物の帯を解きにかかっている。覆い被さるようにして耳元に降らせてくるささやきに、和雲は背筋をぶるりと粟立てた。
「ひっ……! ――――え……着物?」
 着ていたはずの制服はどこへやら。思わず動きを止め、がっしり抱えられたままの身体を和雲はまじまじと見降ろした。
 とりどりの華やかな色合いの着物を重ね着にした単衣装束。男が帯の結びを解いてしまったために、ゆるりとその合わせ目がはだけかけている。さらに衣装の上からまさぐりつつ、男が袴の帯紐にまで手をかけはじめて、我に返った和雲は「んぎゃっ!」と悲鳴をあげた。
「ええい、騒ぐでない。おとなしくしておれば乱暴にはいたさぬ」
「ひわっ! いやもう十分な暴挙だから! こんなのありえないセクハラだから! とにかくちょっと、は、離して……っ!」
「あ、こらっ」
 やっとの思いで男を突き離して飛びのく。不馴れな着物の裾を引きずりながら、狭い畳敷きの隅まで逃げ、襟元をかき合わせて謎の男と向かい合った。
「な、なんなの、これ……っ! マジでどーゆーこと!?」
「やかましい女子じゃ」
 はぁーっと、男がため息をついた。
 歳の頃なら三十代後半から四十代といったところか。
 唐紅の着物姿に黒の冠。和風というより中華風? あまり馴染みのない衣装である。光沢のある高価そうな布で仕立てられた着物なのに、あまりにも似つかわしくないちょいワル親父風の表情。
大王おおきみ、何かございましたか?」
 外から声がかけられ、和雲はハッと身を固くした。
 低い天井から垂れ下がっているカーテン状の布の向こう側から、のほほんとした牛の鳴き声がする。移動しているような感じはしないが、もしやこれは、牛車とかいうものではないだろうか。それも貴人向けのもの。その証拠に両サイドの内壁も、かかっている布も簾も、何から何までとても豪奢な印象だった。
「ああ、よい。子兎が一羽、迷い込んで来おったゆえ、愛でてやっておるだけじゃ」
「こ、子兎って……」
「なにをそんなに怯えておる。そなたの方から飛び込んできたのであろうが」
「ちょっ、待……っ! それは誤解でっ! こ、こっち来るな~!」
 叫んで逃げ回っても、二畳ほどの床の上ではまたすぐに追い詰められる。あげく、表着の裾を踏んで動きを阻まれてしまった。まるで手品のように手慣れた動きで、あれよあれよのうちに男に組み敷かれるかたちになった。
「ちょ、や、やめ! 話せばわかる……っ!」
「……『香具山は 畝傍うねびしと 耳成みみなしと 相争ひき』……」
「ひぃやめてーっ、なにそれそんなの知らないから、やめてーっ!」
 もがいているうちにも衣端からもぞもぞ忍び込んでくる男の手を、とにもかくにも防御する。必死の形相で手足をバタつかせ、近づいてくる手も顔も闇雲に押しのけ、どうにかこうにかあらがい続けた。
「んむ? そちは……」
 頬をぐいぐいと押し返されて口をひしゃげさせながら、男が和雲の顔をぐぐぐっと見た。
「な、なに……?」
「まさか……まだほんの童女なのではないか……?」
「何を言って……って、ぎゃーっ!?」
 セクハラ極まれり。あろうことか、男は和雲の胸もとをがばっと開き、身体をのぞきこんできたのだ。
「!?!?!?」
 いろいろと理解の追いつかない展開に和雲は目を白黒させるばかり。そんな和雲を横目に、男はあからさまな不満の声をあげた。
「なんだ、つるぺたではないか」
「つ、つる……っ?!?」
「はぁーっ。どたばたと喧しい女子じゃと思うたらガキんちょであったとは。――いや、だが待て。小童の分際で朕の寵愛を拒もうとは……なんとも身の程をわきまえぬ振る舞いだ。断じて許せぬな。どれ童女、見てみるがいい」
 そう言って男はやおら片膝をついて立ち上がる。腕を伸ばし、物見の窓をすらりと開けはなった。
 うながされるまま、和雲も身を起こして小窓をのぞいてみると。
 外には見渡す限り、金色の稲穂の海が広がっていた。
 豊かにふくらむ金の実り、その頭は一様に重たそうにしなって垂れている。地平線はなだらかに秋空へと吸い込まれるように、はるかに続く黄金色の凪の世界。
「きれい……」
 思わずこぼした和雲の背後から、力強い声が降りおりてくる。
「わかるか」
 男は満悦の表情でにかりと笑った。
「このいとも美しき景色。これが天の下の世、すなわち我が世だ。律令、戸籍、そして生きとし生ける万物の生を朕は整備する。――すべては、朕の意のままよ」
 見るがいい。この世界を。世は太平なり。金なり。
 瞳を細めて、男は風景を遥かに一望する。
 ふと、何事かを口もとでつぶやいて、男は車の外へ声を投げた。
「誰か。硯を持て」
 呼ぶ声にこたえ、すぐさま簾を上げて従者らしきものが姿を現す。筆と木の札らしきものなど、道具一式をうやうやしく男に差し出した。
 呆然と見守る和雲のとなり、男は木札に手早く文字を書き、朗々と和歌を詠みあげたのである。

『秋の田の かりほの庵の とまをあらみ
 我が衣手は 露にぬれつつ』
(刈り取られた稲の見張り小屋でこうしてただひとりでいると、葺いてある屋根の苫の編み目が粗いから、私の着物は夜露で濡れ続けているのだ)

「この和歌は……」
 和雲にも馴染みの深い、あまりにも著名な一首。
 ――あれ、でも……。
 ご満悦の男を、和雲はこっそり見上げた。
 ――なんか、いま……この人が考えたって感じじゃなかった……?
 もしも。もしもこれが今、この男の内から産まれ出でたものだというなら、この男は、まさか――。
 目を見開き、驚嘆して和雲が見つめ続けていると、従者があわてたような声を出した。
「恐れながら大王、お召し物のお袖が……」
 見ると、大王と呼ばれた男――おそらくは時の帝の袖に、墨すりの水に浸ったと思われる沁みができていた。
「かまうな」
 ふっと笑い、男は従者を悠々と制す。
「これは我が涙よ。かような年端もいかぬ小娘のつれなき態度に、朕が流した悲しみの涙」
 ただひたすらに困惑し続けている和雲を、男はこれ以上ないほどのドヤ顔で振り返った。
「趣があろう。この世を謳歌していながらも、なびかぬ女の仕打ちに涙で袖を濡らす。ふむ。恋歌としても、なかなかの出来映えではないか。どうだ、小娘。これでおとなしく朕に従う気になったか」
 ぽんっ!
 呆けて大王を見つめていた和雲の鼻先に、何かが飛び出してきた。
 反射的に、和雲は落下するそれをキャッチする。
 それは木でできた札だった。手のひらにすっぽり乗るくらいの大きさの、木札。古風な男の姿絵と、達筆な筆文字が書かれている。
「これ……」
 言いながら目線をあげる。――と、そこで。
 ひたと視界が停止した。
 大王も、従者も牛車も、すべてがぐずぐずと溶けて形をなくし、和雲はまた、乳白色の景色のなかを落ちていった。




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