大人は子どもを操っている。


1週間が始まりましたね。今日は久々に全員出席の月曜日でした。私の朝のテンションは子どもたちの出席率に大きく影響を受けているようです。


そんな私の受け持つクラスの一人が書いた「言葉に操られている感覚」に書かれた作文を紹介します。私にとって大切な作文であり、自分自身の何かが変わるきっかけになった作文です。



書いてもらった作文の内容には、簡単に書くと以下の通りです。

「最高学年としてのリーダー論をよく先生たちの話から聞くようになった。」
先生たちの言葉に操られている感覚かある。・・・最初は頑張ろうと思ったけど、その言葉によって自信を失っていく自分に気づいた。」
「もう、あまり言葉に囚われすぎないようにする。」




私は、この作文のどんどん引き込まれ、ほっといてはいけない感覚になりました。


「これまで子どもたちに見せてきた担任としての自分の姿って、子どもたちにはどう見えていたのかな。」




この子の言う通り、私は子どもたちを操っていたのかな。言葉で意識させ、言葉で引っ張り上げ、言葉で背中を押してきた自覚があります。ここには子どもを操る感覚も。いかに子どもたちの気持ちを持っていくか、行事を成功させるため、担任が目指したい地点にまでを押し上げるために、時には圧になるような言葉もかけた。そこには期待も込めていた。


私の思い描く「高学年の担任」っていうのがこういうイメージでした。
高学年が多かったので,テンプレ化されていました。

そして、一方通行の見方でしかクラスを見ていない自分に気づかされました。


クラスも変われば子どもも変わるのに。これまでいつも通りやっていたこと、きっとやり続けていたら、このままではただただ圧をかけ続け、小さな光も消してしまう、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。私の言葉を信じて頑張っていたのに、それを受け止め、さらにその子の良さを伸ばせたかもしれない。


私の一方通行な関わりはその可能性を潰していたかもしれません。


この作文に感想コメントを書いていたら、作文用紙の裏が真っ赤になってしまったので、直接感想と謝罪の気持ちを伝えました。





子どもはどんどん変わっていく。成長していく。
大人は変わらない。一方通行。


この作文に出会えてよかったと思いました。

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