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新たな挑戦として学びの場を作りたいと思った理由①~教育は楽しい!~

これからの教育は何が必要?

教育関係の仕事に15年以上携わって、人生の転機を迎えた私が考える「教育の場」について、考えていることや実現したいことを述べていきます。

元々、通信制高校の職員をしていたこともあり、公教育の考えかたとは異なることも多いとは思いますが、一番に感じたことは、
”学び方”は本当に人それぞれ!
学校という”枠”や、大人の”暗黙の了解”によって、型が作られている
ということでした。

皆さんは生徒に、あるいはお子さんに以下の質問をされたときになんて答えますか?

「なんで学校って行かないといけないんですか?」
「今やっている勉強って将来何の役に立つんですか?」
「なんで授業中は飲み物を飲んではいけないんですか?(校則上)」

私が出会った中には、はっきりとこう答える先生もいました。
「学校に行くというという習慣を身に着ける練習をしておくことで、今後社会に出る時に必要になるんだ」
「学生の時代に勉強をしたという事実が将来の役に立つんだ」
「社会にはルールが必要で、そのルールを守るという意識を一人一人に持ってもらうんだ」

…わからないでもない。その考え方も一つではある。
でも本質には答えられていないし、子どもたちの純粋な質問を詭弁で返しているような気がしてならない。

私はずーっと違和感を持ちながら、ただ明確な言葉や考えで何か反論するということは出来ずに悶々としている状態も過ごしていました。

ただ私は巡り合った先輩の中で、本当に素晴らしい指導をされる方と出会い、明確な回答をだすわけではないですが、
「どう思う?」という”クエッション指導(一緒に問いかける、考える)”というやりかたで子どもたちと沢山考える機会を増やしていくことが出来ました。

※その際の子どもたちの発想や考えは、大人も目を見張るものがあります!
本当に子どもたちから多くの”学び”を得ることが日々の喜びでした。


目的の目的を考える”最上位”という考え方

当たり前を当たり前と思わず、有り難いと思うこと。
色々なものに対して、”ありがたい(有り難い)"と思えるからこそ、感謝なんですよね。

なぜこんな話を突然したのかというと、
”当たり前”を疑うことを、我々は日常の中でどれだけできているのだろうか?ということを改めて考えてみたいと思ったのです。

学校に行くこと…これ”当たり前”でしょうか?
私のいた通信制高校では、これは”当たり前”ではありません。何かしらの事情で、学校に通うことが出来なくなってしまった子どもがたくさんいます。私は、よく全体集会では
「皆さんが、今ここにいること。それは当たり前ではなく、数多くの偶然や出会い、そして経験が積み重なって、この場にこれだけの人数がそろっているという”有り難い”ことなのです。横にいる友人と、いまこの時間を共有出来ていることも、有り難いこと。だからこそ、日々の感謝を忘れずにいてほしい」
と偉そうなことを言っていました(笑)

改めて考えると、”学校”って、何のためにある場所なんでしょうか?
成長・人格形成・集団規律を学ぶ…いろいろな目的はあるでしょうね。
そこで、最近流行のChatにも聞いてみました。

学校には、知識力、集団行動力、コミュニケーション力を鍛える役割があります。また、学校は子どもたちが安心して過ごせる場所であることが求められています 
学校には、教科の基礎的な学力や自ら学ぼうとする力、人間関係を築く力などが求められています
新型コロナウィルスの影響が続く学校教育界は、今、「そもそも学校は何のためにあるのか?」とその存在意義を抜本的に問い直すことを余儀なくされています 
以上のように、学校には様々な役割があります。ご参考になれば幸いです。

Microsoft Bing Chatより

そうここでも「存在意義を抜本的に問い直す」ことを余儀なくされているとされているのです!

こうしたなかで私の中で一つの結論として、そして自分の人生のwell-beingのために考え付いたことは「新しい学びの場」の提供でした。

私の考え(かっこよく言えば教育理念)を少しずつ、言語化していきながら、ここでも伝えていければとは思います。

ただ一番いえることは「人生、一生勉強」なのです。
全てのものから学びを得ることは出来るし、アップデートを繰り返すことができる。これは子どもたちだけではなく、大人である我々も。

今、日常を繰り返していく中で、一瞬立ち止まって考える”内省”がどれだけできるかということが、企業人事の中でも求められているという話を伺うことが出来ました。

内省の本質は、「目的の目的」を考えるということです。
学校の目的とは?
教育の目的とは?
学習の目的とは?何のために学ぶのか?

私のなかでの一つの共通目的、そして最上位の考えになるのは、
・多様性の理解
・視点・視野・視座の拡大

あたりがキーワードになりそうかなと思っています。
まだまだ自分の言語能力が不足しているので、いいワードで言い切れたらいいなとは思います。


”学歴”という見えないしがらみ

ただ、”新しい教育の場”を提供するといっても、私の中では大きく2つ課題があります。

1つは事業をする場合の
継続性

もう1つは、教育機関としての私の考える教育の場では
抽象性が高い

ということが挙げられます。
”継続性”は、せっかく”新しい教育の場”が出来たとしても、そこが継続的に存在している場所でなければ意味がないということです。
友人から、既に自分の母校が統廃合で無くなってしまったという話や、思い出の地が消えてしまったという話を耳にします。
その時の表情は、全員さみしそうな顔をしています。
それは意味がない。
事業を継続する・教育の場であるならば、出来れば”一生関われる存在であらなければならない”というのが私の願いでもあります。もちろん自身がその場にいなければならない、運営に携わらなければならないということではなく、連綿と続いていく組織や場所になっていかなければならないということです。

事業の継続性…これについては、また考えていく必要があるのだと思います。

そしてもう一つの抽象性についてですが、これは教育の現場における一番の課題ともつながります。

簡単に言うと、この場所は結局何が出来る場所なの?

です。
こうした教育事業の場合、わかりやすい例だと、塾・予備校であれば、中学・高校・大学への合格率、成績向上率といったような目に見えやすい(数値化しやすい)ことを謳い文句にし、入塾者募集等を行っています。これはビジネスモデルとして決して間違いではないのですが、私の考えとはまたこれは異なります。
そして、現段階でもまだ日本の社会では、学歴に対する考えかたは一部変化がないとも言えます。
つまり、
良い大学に行くことがステータス
という考え方です。
多少の偏見はあるかもしれませんが、かなり是正されたとはいえ、いまだに学歴社会と呼ばれる現状は続いていると言えると思います。

これを逆算式に考えると、
良い大学・専門学校に行くために、良い中学・高校に入る
もっというと、大学・専門学校に入るために、高校の卒業という学歴が必要

これは、本質からずれていませんか?と思うわけです。

大学に行きたいために、高校の卒業が必要。
であれば、なぜこのシステムを使わないのだろう・・・?
と私は考えてしまうのが、「高卒認定試験」です。

このシステムを活用しながら、新たな教育の場を展開することが、
もしかしたら上述2つをクリアできるのでは…?
こうしたボヤッとした思いから、延々とここまで書き進めてきました。


当面の動き

まだまだ私のこの動きには、構想をより明確にしていくことが必要です。

・理念(なにをしたい?)

・理念に至るまでの想い・経験(なんでそう思った?)

・共感してもらえる仲間づくり(一緒に面白いことしましょう!)

・定期的な発信(これが一番大事!)

・人との出会いを大事に!

これから少しずつでも発信して、多くの人と面白いことをやっていけるようにしていきたいですね。

最後に、元教え子からこんなことを言われました。
「何かやるときは、必ず誘ってくださいね」

その言葉に応えられるよう、動きます!


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