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「お好きにどうぞが死んだ日〝最年⻑住人の退村勧告〟」 vol.47

2018年当時、サイハテ村には60歳を超える最年⻑住人の大工の福ちゃんが住んでいました。


開村してすぐ住み始めた福ちゃんはお酒が大好きで、大抵は外に出稼ぎに出て、夕方にはサイハテ村の単身者コテージに戻り、独り晩酌しては19時か20時には酩酊している職人気質のおじいちゃん。


住んでいたコテージがサイハテ村の一番下にあるのと、ミーティングやイベント、宴があってもほとんど参加することもないので、新しく何かを生み出したり、サイハテ村の発展を考えるというより、 平和な一日を穏やかに過ごすご隠居のような存在でした。

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サイハテ村の〝お好きにどうぞ〟というコンセプトも気に入っていた福ちゃんは文字通り、自分の好きなように暮らしていたのです。


ただ、大工の腕を必要とする住人が声をかければ、見返りを求めずその腕を振るってくれる漢気も持ち合わせていて、年に数回は、みんなが集まっている宴などで泥酔しては若手を説教し、担ぎ運ばれるようなお茶目な一面もありました。


しかし、2018年末、そんなサイハテ村最年⻑住人の福ちゃんに退村勧告が出されることになります。

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今思うと、開村から1〜2年目はみんなが福ちゃんのように、それぞれが好きなように暮らしていたように思います。


しかし、サイハテ村は「お好きにどうぞ」という設定下にあっても、〝新しい社会モデルを作る〟とか〝創造的な村づくり〟という方向性が生まれ、たえず変化していきました。


順応できなかったり、方向性が違うと感じる人は自然とサイハテ村を離れて行く中で、福ちゃんに出された退村勧告は、古き良き時代の終わりを告げるようなサイハテ村にとっても大きな出来事でした。

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もちろん、退村勧告は会社でいうリストラのような一方的なものではなく、サイハテ村の方向性に対して一緒にやっていく意志やアクションを求めた上での事でしたが、「サイハテで隠居暮らし」という選択をしたふくちゃんを、まだ発展途上で未成熟のサイハテ村にとって受け入れられる余裕はなかったようでした。


住人たちにしても「ただサイハテ村に住みたい人より、サイハテ村の発展に向けて活動できる人が必要だと思う」「隠居暮らしがしたいならサイハテ村でなくても良いと思う」と言う意見が多く、退村に反対する主張はありませんでした。


僕自身この決定に反対することはありませんでしたし、住居に限りがある現状では仕方がないと思っていました。

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ただ、生産性を求める企業が窓際社員をリストラし、即戦力を求める構図と同じことが起こっている事に対して、仕方がないと受け入れようとしている自分にも、そしてサイハテの住人たちが今起こっていることを深く理解せずに「まぁしょうがないよねー」と安易に片付けてしまうことにも、危機感や喪失感を感じていました。


愛より力を求めることが悪いとかではなく、その選択の行き着く先にどんな未来が創り出されるのか、今僕らに起こっていることをもっと深く理解する必要があるのではないか、自分の選択は間違っているんじゃないか、そんなことを考えると、福ちゃんが泥酔した時に必ず言う言葉が思い浮かびます。


「お前は誰だ?」禅問答のような問いですが、福ちゃんは泥酔すると僕ら若者の目をじっと見据えて言うのです。その答えに「坂井勇貴です!」と答えると、「違うッ!お前は誰だ?」と返してくる。

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それではと、「サイハテ村を通して世界を変える男です!」と答えると、また「違うッ!!お前は誰だ??」と返してくる。そうやっていろんな人に絡んでは、みんな酔っ払いの相手はできない、と離れていくのですが、僕にはふくちゃんが知りたがっている答えは、言葉にすることができないものだと言うことが分かっていました。


きっと福ちゃんは分かっていたんだと思います。問いたいことは「どんな存在であるか?」と言いこと。生産性とか目に見える世界の話ではなく、もっと本質的な問いであり、僕らに伝えたかったメッセージだったんだと思います。


自由自在な僕らはどんな選択もありだし、体験すべきことを味わい尽くしながら進んでいくしかない、間違いも未熟さも抱えたまま行けばいい。でも自分という存在は、決して忘れてはならないのだ、ということを。


次回は、vol.48「モチベーション革命〝dead or alive〟」です。フォロー、スキ、シェアしてくれると励みにります!^ ^


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