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バスキアは芸術か。

私とバスキアの出会いは、TSUTAYAの旧作コーナーだった。およそ10年ほど前、二十歳そこそこの私は「映画くらい観れるようになっておきたい」と謎の決意をし、TSUTAYAでひたすら映画を借りていた。

当時はビデオオンデマンドどころか宅配レンタルも浸透する前で、かつ当時の私は一切の交通機関を使わない(というか金銭的に使えない)生活を強いられていて、最寄りのTSUTAYAへ行くのにも歩いて1時間近くかかる始末だった。

手間をなるべく省きたくて、一度行ったら6泊7日で観れるだけの旧作(金銭的に)をカゴに詰め込んでは、ろくに観きれず返却に向かう。たしか2〜3回であえなく続行できなくなった(金銭的に)その習慣とも呼べない儀式の中で、総数10本そこそこという貴重な作品群の中で、ひときわ印象に残っている映画が、「バスキア」だ。

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はじめは、そのタイトルが人名であることすら分からなかった。不思議なタイトルだなと手に取りパッケージに目を通し、そんなかっこいい名前の人がいるのかとなんだか羨ましくなって、まあ旧作ならハズレてもダメージは最小限だし借りてみましょうか、とカゴに放った次第だった。

内容については、自分で語るよりよほどきれいにまとめているブログがあったので拝借。

フランス出身のバスキアはNYでアーティストとして成功しようと夢見る。公園にダンボールを置いてその中で眠り、なじみのカフェではソースをテーブルにぶちまけてスプーンや手を使って絵を描く。そこで出会ったジーナと恋人同士になるが、成功を手に入れていくにつれてジーナとの間に溝ができ(完全にバスキアが悪いんだけど)、自分の作品をめぐって人々が利権を争うようになり、信頼を寄せていたアンディー・ウォーホルが亡くなり、そして自分もオーバードースが原因で早死。

印象に残っているのは、カフェでテーブルにソースをぶちまけて絵を描く姿と、アンディー・ウォーホルと一緒になって小便でアートする姿と、めちゃくちゃ不器用で人間関係がうまくいかず薬に溺れていく姿だった。

奇妙で偏屈で素直でなくて、とても傷つきやすい、純粋な少年のような人だった。

映画を見た後で知ったことだが、何を隠そうバスキアはとんでもない人なのだ。

直近だけでも、untitledという絵が123億円で落札されたり、現在バスキア展という美術展が開催中であったりと話題に事欠かない。

つまりバスキアという男は、作品に123億円なんてとんでもない値がつく芸術家で、日本で展示が催される程度に知名度があって、ついでにマドンナと付き合っていたこともあるらしい。

ようするにすごい人だ。とんでもなくすごい人。そんなすごい人の描く絵だから、きっとバスキアの絵は芸術であり、バスキアは芸術家なのだろう。ロジックがおかしい気もするけれど、我々素人目線の芸術なんてそんなもんだ。作品そのものではなく、作品に付与された権威性がそれを芸術たらしめている。

ただ、バスキアのすごさをまだ知らない当時の私から見たバスキアは、そんな「すごい人」とは違っていた。正しくは、何も知らない状態で人間くさいところを見てしまったから「今さらすごい人と思えなかった」だろうか。

もちろん自伝映画が作品として成立するような人物だから、私生活からして一般人とはそりゃあいろいろと違うのだけど、映画の中でバスキアが見せる表情は私たちが知る「人間」となんら変わらなくて、どちらかというと友達になりたいと思った。

だからバスキアがもしも目の前にいて、もしも生活に困っていたら、飯くらい奢ってやりたいと思うし、酒代の足しになるなら絵を買いたいと思う。

きっと芸術家からしたらふざけんなという話だろうが、その人の生き様自体が芸術だと思えば、それに金を払うのはなんらおかしなことはないと思う。

つまり何が言いたいかというと、私にとってバスキアこそが芸術なのであって、バスキアの個々の作品はそのパーツでしかなく、彼がいない今、お金を払ってそれらを手元に置く理由はきっとないということだ。そもそもそんなお金もないのだけれど。

編集:アカ ヨシロウ

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