国民性を決定するのは、タイプの数なのか?文化なのか?

 先々日、先日、今日と、同じような話を続けています。
 本日は、連載3回目のような話です。

 エニアグラムのWebページを見ていると、日本がタイプ6の国だという説明のしかたが2通りあることに気が付きます。

 ひとつは、「文化としてタイプ6」だという説明、私もこういった考えで、今まで書いてきています。
 もうひとつは、「タイプ6の人が圧倒的に多いからだ」という説明。

 この話題は、『日本がエニアグラムのタイプ6社会なのは、遺伝子のせいなのか?環境のせいなのか?』という文章の中で紹介したものと関連します。

 あのときに紹介した、「日本人の97%が恐怖遺伝子を持っている」というのが本当であれば、日本の国民性がタイプ6なのは、「(恐怖遺伝子を持っていて、恐がりな性格である)タイプ6の人が圧倒的に多いからだ」ということになりそうです。
 タイプ6は恐がりですから、この遺伝子が発動してタイプ6社会を作り上げている可能性が出てきます。

 あのときに、もうひとつ紹介した稲作文化とタイプ6の関係のほうを重視するなら、そして同時に恐怖遺伝子の話を無視するなら、「文化としてタイプ6」という説明でもよさそうです。

 もしかすると両方が関わっている可能性もあります。稲作文化が恐怖遺伝子の発動をうながしている可能性もあります。そして、稲作文化の中で、より慎重で従順な恐怖遺伝子を持つ人が選別されていった可能性もあります。

 これはすぐに結論が出る話でも無いでしょう。

 また、前回紹介した『性格と遺伝子の影響(一卵性双生児の研究を通して考える)』に見るように、遺伝の影響が半分程度ということであれば、例え遺伝的な傾向が判明したとしても、ある程度の矯正はできるということになります。
 つまり、仮に、「判断が嫌いな」タイプ6的な遺伝子があって、それを多くの日本人が持っていたのが事実だったとしても、アクティブラーニングなどの教育で、今の時代に求められている「自ら考え判断する」方向へ教育を通じて変えていくことは可能だということです。

 ただ、私は、教育でそれを進めても、たぶん、文化がそれを止めに入るので、アクセルとブレーキを両方踏み込んだ形になり、子供は混乱すると予想していますが・・・、
これは、『日本のITは何故弱いか』の中でも書いていますが、「子供を教育しても、日本社会(や官僚組織)が打ち落とす」という状況が起きる可能性を考えているということです。

 では、これまでの話を、ざっとまとめたいと思います。

 性格タイプを形作るものの割合は、おおざっぱに言って、
性格タイプの遺伝子(仮にあったとして)50%、文化・環境30%、教育20%、
といったところで(だいたいこんな割合でしょう)、

 それでもって、今現在、
性格タイプの遺伝子が(仮にあったとして)、日本では圧倒的にタイプ6が多い可能性が残っている。

・・・ということになるのかな?

 そこから先は、「日本社会において、時代に合わせて、何かしようとすると "教育と文化の摩擦になっていく" 可能性が懸念される」ということになります。
 これからの日本の教育は、国内で異文化を育てようとしているんですよね。そりゃ育てるのも難しいし、社会に出てからも大変になると思いますよ。でも世界と時代を見るとそれが必要になっている、と。

 これは、すでに『農耕民族なタイプ6の性格が日本の高度成長期を支えました(そして、今は・・・)』で、似たようなことを書いています。

 この3日続いた一連の話は、ここで終えたいと思います。

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