タイプ6は心配事・不安に どう反応しているか、 精神レベルにより どう変化していくか

タイプ6・個人としての心配事・不安への対応

エニアグラムのタイプ6(日本の国民性とも言われている)は、安心・安全・安定が重要な性格タイプです。
また、タイプ6は、「知をもって関係性に生きる」性格タイプです。
知とは、「考え」「思惑」「可能性」などなどです。

タイプ6は、安心・安全・安定が重要な一方で、それが損なわれた状態の未知や混沌を嫌います。
精神レベルが高いと、未知や混沌に向き合い、それらと関係性を結び安心・安全・安定の領域を広げていきます。
これは、例えば、新しい事態が起こったときに、答えが無い中で、法律やルールや約束事を作るような動きです。そうやって、タイプ6は、未知や混沌と関係性を結んで行きます(もっと状態が良いと、統合の方向のタイプ9の面が出て、個々人の要望をくみ上げ、ルールに反映させます)。

その一方で、ストレスにより精神レベルが落ち始めると、タイプ6は、未知や混沌に向き合うことができなくなっていきます。こうなると、助力が必要となり依存が起き始めます。
これは、例えば、何か事態が起こったときに、勉強して既存の法律やルール、前例、教科書や学問の中に答えを求めたり、専門家に助言を請うような動きとして表われます。
未知や混沌と、より簡単に(手軽に)関係性を結ぼうとしているわけです。
また、安心・安全・安定が大切なタイプ6は、責任を嫌います。なので、既存の法律やルール、前例、教科書の中の答えに依存することで、自分の責任を回避し、安心・安全・安定であろうとします(「法律にそう書いてある。私に責任は無い」)。
この「自分に責任は無い」という態度(依存の一形態である)は、レベルがさらに下がると、他責(「あの人が悪い!」「あの人がやった。私は悪くない」 自分の“不作為の罪”は無視 )として表われてきます。

タイプ6にとっての心配事・不安とは、安心・安全・安定が崩れる状況(もちろん未知や混沌を含みます)とその可能性です。他人や世間の思惑も気にします。

タイプ6は、精神レベルが下がるほど、心配事を直視できなくなっていきます(混沌や未知と関係性を結ぶことに疲れていきます)。
精神レベルがさらに下がると、対象の重要度の判断すら、未知や混沌に向き合うこととして避け始めます。こうなると、何が重要な問題で、何が軽い問題かすら見えなくなってきます。
このときの、タイプ6は、当然、依存度も増しています。
これは、例えば、何か事態が起こったときに、自分で解決に向けて動くことはせずに、丸まま誰かに頼る動きとなります。
丸まま誰かに頼るのは、問題解決の糸口を自分で探ることができなくなっているからです。どの本で勉強しなくてはならないかも分からないし、本が分かったとしても、その中のどこに重要なことが書かれているのかが分からなくなっています。手取り足取り教えてもらわないと対応できません。
この状態になっているタイプ6は、指定された答えをただただコピーしようとします。
指導者が丁寧に考え方を説明しても、それを聞くつもりはありません。自分で考え方を追おうとする意志は、もはや消え失せています。欲しいのは答えのみです(例えば、それが株価予想なら、「そんなこと言われてもわけ分かんない。で?売りなの?買いなの?」  渡辺博文 氏はこう話します。「業界新聞が主催の株式講演会で、500人くらいの個人投資家向けに1時間ほど話をしました。私はテーマに沿って真剣に話したのですが、来ている人たちは寝ているのか起きているのかわからないような雰囲気だったのです。ところが最後に『いま注目している銘柄は』と言ったとたん、眠そうにしていた人は目を大きく開け、実際に寝ていた人も目を覚まして、必死になってメモを取り始めたのです」「その銘柄がいいと思う理由、つまり買う理由がわからない(わからずに答えだけ聞いてメモを取っている)(略)だから売り時がわからない」「スキルとかそういったこと以前の問題で、完全に思考停止しているような人が大勢いますね」)。
このような理由から、答えの正当性は(重要度の違いすらも)自分で判断することができません。というか、始めから判断などしようともしません。そして、そのその答えが正しい理由は「~が言ったから」「~に書いてあるから」「それが常識だから」となります。他人に、その理由や背景を分かり易く説明することはできません(他文化の人や子供に教えられない状態、「ファインマン・テクニック」が使えていない状態)(例えば、野球のDeNA・パットン選手はこう語ります。「(略)大抵、『なぜ』と聞くと、『これが日本のスタイル』という答えが返ってくるだろう(略)これは、彼らが質問に完全に答える理由を持っていないことさえも意味する(略))。なぜなら、当人に自覚がなくとも実は、自分もよく分からないままコピーしているだけだからです。
内容を本当に理解していないまま使っているタイプ6は、その内容に疑問をはさまれたり、反論されたり否定されたりすると、イライラした態度を見せ、反発します。これは否定を受け入れると、今ある安心・安全・安定が崩れるからです。でもこれは本当の意味での安心・安全・安定では無くて、中身の無い安心・安全・安定 感といったものです。このような安心・安全・安定 感にレベルの落ちたタイプ6はすがるようになります。
安心・安全・安定 感にすがり、答えの正当性が(本当のところ)分からなくなっているタイプ6は、答えの否定を受け入れると、また心配事・不安に対しての対応をやり直さなくてはならなくなります。これは安心・安全・安定を求めるタイプ6にとってはストレスです。
これを避けるために一度信じた答えとするものに固執するタイプ6が表われたりするのも、この段階です。
この段階になる頃は、そういった答えに対する固執が一因となって党派性が強くなってきています。
また、今ある安心・安全・安定 感へ執着する態度から、変化への対応もできなくなります。この変化への対応は、精神レベルが落ちるにつれてできなくなっていきます。これは、「前例主義」「現状維持(変化嫌い)」「事なかれ主義」「継続性重視」を生む土壌となります。
こうなると、心配事・不安へ対応しなくてはならないのに、実はそれができない、できていない、という状況が作られはじめます。
この段階は、自分で判断ができない「指示待ち人間」が出る段階であり、同時に「指示待ち人間」を嫌う人間が出る段階でもあります。依存はしたいが、依存されたくはない、ということです。
ここまで落ちた場合、タイプ6は、人への指導が困難になります。なぜなら指導とは、ある程度の他人からの依存を受け入れる必要があるものだからです(「私に聞かないで!」「私を頼らないで!」 例えば、日本に長年住んでいて、Twitterにおいてフォロワーからの悩み相談を受けていた厚切りジェイソンさんは、日本人へのアドバイスをやめています。「僕の答えは何十回と答えたはずなのに、まったく同じ相談が延々と来つづけたんだよね…(以下理由が続く、要は、日本のタイプ6文化の中にいて果てない依存に疲れたということ)」)。

さらに精神レベルが落ちると、まるきり判断せずに、何も考えずに、周りの多数派の動きに合わせるようになります。
いわゆる「赤信号、みんなで渡れば怖くない(自動車の速度制限、みんなで破れば怖くない)」「みんなもやっているから」状態となります。

集団への依存

心配事・不安への対応において、
通常、依存心の強いタイプ6は、大抵なんらかの集団に所属することによって安心・安全・安定を確保しようとしています。

たとえ能力がある人物でも、自分で立つよりは、集団に所属することを選びます(一例として木村岳史さんのエピソードを紹介します。木村さんが米国に住む技術者(米国人ではなかったと思う)に、「超優秀な若者がグーグルなどの米国ベンダーに就職してしまうので、日本の将来が心配だ」といったところ、相手は「本当か。確かに日本はヤバイかもしれないぞ」と全面同意したそうです。だが、どうも話がかみ合わない。木村さんは、超優秀な若者が日本から離れるところを問題にしているのに、そこはスルーされる。そして次の一言でようやく何が噛み合わないのか理解できたのだとか。「日本の最も優秀な若者はなぜ、そんな退屈な大手ベンダーに就職するのか」そんなに優勝なら、なぜ自ら起業しないのか?一番優秀な若者でさえ、そんなに保守的なのか?)。
優秀な人物であっても、通常の精神レベルのタイプ6は集団に依存して生きていきます。このとき、できるだけ安心・安全・安定な集団を求めます。

タイプ6は、集団内では悪目立ちしないようにして、その集団の色に染まろうとしています。そのほうが安心・安全・安定だからです。集団内では、最前列や最後尾の位置に立つことを嫌います。最前列や最後尾は安心・安全・安定では無いからです。タイプ6は、集団内で無難な位置を確保しようとします。

精神レベルが高いと、タイプ6は、集団内の人に安心・安全・安定を提供しようとします。

精神レベルが落ちると、タイプ6は党派制が強くなってきます。
党派制の強くなったタイプ6は考えのフルセットにこだわりだします(例えば中国人作家・劉燕子さんは、こういう目にあっています。「いたるところで踏み絵を踏まされるんです。リベラルなら、安倍政権や原発や安保に反対するか。右翼や保守派なら、南京大虐殺や慰安婦問題を否定するか。いわばムラの理屈にフルパッケージで従わないと、ものを言わせてもらえないんです」)。考えのフルセットに安心・安全・安定 感を見いだします。
こうなると、集団から多様性が失われます。

その集団の構成員がタイプ6的かどうかを調べるには、その人物がどれだけ集団からはみ出ているかを見れば分ります。
タイプ6的であるほどに、その人物は集団からはみ出ることはありません。

集団の構成員がタイプ6的な場合(日本のようなタイプ6文化に染まっている場合)、その精神レベルを調べるには、集団の維持管理の質を見れば分ります。
レベルが高いと、自発的に問題点を指摘し、所属する集団の健全度を上げようとします。
レベルが低いと、たとえ不満があったとしても自ら改善に動くことはありません。誰かに頼るか、何かに頼るか、見ていないふりをするか、「そういうものだ」と開き直るか、逃げ出すか、依存先を変えるか、
どのような態度であれ、自分から未知や混沌に向かうことはありません。

レベルが落ちているタイプ6は、集団の維持を、ルールや前例に依存して運営していくことも多いです。そうすれば、自分が攻撃されず、責任を取る必要が無く安心・安全・安定だからです。
このため、タイプ6は、集団内で、融通を効かせることなく、ルールによる運用を強めていきます。同時にルールの数も増やしていきます。

精神レベルが落ちるほどに、集団の維持そのものが最優先となっていきます。どんなに不健全であっても、その集団があれば良いという態度です。
ときに、暴力を使って崩れかけた集団の維持・管理・統制を行なうこともあります。

減点主義と楽観主義

精神レベルが落ちたタイプ6は、
安心・安全・安定がちょっとだけ崩れるのにも抵抗を示すようになます。つまり、減点主義が強くなります。その一方で、安心・安全・安定が崩れる状況を想像したくもないので、それを無視する「大丈夫」や「楽観」が強くなります。
減点主義で対応しようとして、事が動かないと、混沌状態が長く続くことになりストレスなので、急に楽観主義となり、問題から目をそらすこともあります。
また、当然ですが、このようなタイプ6は「悲観」を受け入れられなくなっています。

このようにして、タイプ6は、各々の精神レベルにおいて、心配事・不安への対応をしようとします。

総じて言えば、精神レベルの高いタイプ6が、能動的に未知や混沌に対峙し、安心・安全・安定の領域を広げていくのに対し、精神レベルの低いタイプ6は、そのレベルが落ちるにつれ、自らことに関わるのことができなくなり、これを避け、外部に依存する割合が高くなっていきます。
また精神レベルが低くなるほど、実際には、求めていた安心・安全・安定を得られなくなり(そこから遠のき)、また得られていない(得られそうに無い)事実から目をそらそうとします。

タイプ6を簡単に説明すると・・・

長々と書いてきましたが、タイプ6を簡単に説明すると、以下のようになります。

その者の精神レベルが高い、能力がある、余裕がある、そのいずれかであれば、
周りに安心・安全・安定をもたらします。
安心・安全・安定が崩れていれば、積極的に動き修復します。
このときのタイプ6は、『安心・安全・安定をもたらす者』です。

その者の精神レベルが低い、能力がない、余裕がない、そのいずれかであれば、
周りに安心・安全・安定を求めます。
安心・安全・安定が崩れていれば、他者に頼り、
それでもダメなら、目をそらし、楽観し、無視します。
このときのタイプ6は、『安心・安全・安定を求める者』です。


参考
通常のタイプ6(これで近頃の日本を説明する)
健全なタイプ6
タイプ6日本人の「健全な状態」の、たぶん実例
タイプ6、タイプ3、余裕が無いとき、あるとき
日本とアメリカ(タイプ6とタイプ3)・目覚めの注意信号

※ 「センター」「否定点」「ウィング」「統合と分裂」「レベル」「ホーナイの三つ組み」「本能のサブタイプ」などエニアグラムの基本用語はここにまとめています。


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