タイプ6国家・日本の困ったパターン

ふと思ったんですが、
「大日本帝国の軍拡戦略」と
「賦課方式の年金制度」って似てますよね。

最初はメリットを享受してイケイケムード、
でもひとたび躓くともう軌道修正なんてできなくて、出口戦略もなくて、
最後には若者に無茶苦茶な要求をして過労死させちゃう。

 これ、
ミサイルと銅像の夏休み 読者の皆様からのフィードバック(日経ビジネスオンライン)
からの引用です。

 これを言い出すと、いろいろと、細かいところでツッコミが入りそうですけど・・・、

 総じて言えば、エニアグラムのタイプ6の国民性である日本では、安心・安全・安定がとても重要です。そのために、新しいことを始めようとすると、安心・安全・安定が揺らぐので、抵抗されることになります。なので、日本においての新しいことの始まりは、安心・安全・安定だと思わせる中での始まりとなります。
 一方で、一度始まったことに対しては、修正や止めてしまうことは、安心・安全・安定が揺らぐととらえられて、そういうことはできません。問題点を考えることは、本当は安心・安全・安定では無いことを実感させるので、タイプ6日本人は、これを嫌い、見ないようにして、
結果として、物理の「慣性の法則」のごとく、動き始めたものは動き続け、始めたものを止めることはできなくなってしまいます。
 たとえ途中で問題点を認識したとしても、タイプ6にとって「判断」とは、今ある安心・安全・安定を一歩踏み出す行為なので、これを嫌って、そのまま時流に流されたりもします。

 先の戦争の始まりですが、こんな記述がありました。
戦時中の株価を比較すれば、日米の「圧倒的な差」が見えてくる(加谷珪一・現代ビジネス)』より

開戦と前後して、日本企業にはたくさんの受注が舞い込み、株式市場は大いに沸いた。
日本は1933年に国際連盟を脱退し、戦争に向かって突き進んだというのが教科書的な知識である。だが、こうした株価高騰からも分かるように、当時の日本人にそうした意識は薄かった。実際に戦争になる直前まで、米英からの不信感が極めて大きいことについて、多くの人があまり自覚していなかった。
1932年に喜劇王チャップリンが、34年には大リーガーのベーブルースが相次いで来日しているが、当時の日本人は熱狂的に彼らを迎え入れている(チャップリンはその後も何度か来日)。
空気が読めていなかったと言えばそれまでだが、当時はかなり楽観的ムードだったことが分かる。
第二次大戦の勃発は、後になってみれば、日本の壊滅につながる出来事だったわけだが、当時そのような認識はきわめて希薄だったようだ。

 楽観できたからこそ、始められたのでしょう。
 これは、"大丈夫フラグ"が立った状態での開戦だったのかも知れません。

※ 『フラグが立ったなと思うとき

 始めに紹介した『読者の皆様からのフィードバック』から、もう少し引用します。

終戦日の近辺で、このような議論が毎年盛んに行われるのは良いことだと思います。私が第2次世界大戦について、ずっと疑問に思っていたことは、日本はこの戦争はどのような状態になったら止めようと考えていたのか、またどうやって止めるのかを、考えていたのだろうかということです。真珠湾攻撃で開戦して、優勢な状況で戦争を止められれば、悲惨な状況にはならなかっただろうにと思うわけです。しかし、有利な状況のときには戦争は終わらず、徐々に劣勢になり、多少でも打開の作戦をということで、特攻を始めたのだと認識しています。無差別に爆弾が撃てるほど資源がない状況で、確実に標的に当てる方法として、人間が操作することが、その時代の唯一の方法だったのでしょう。現在のコンピュータ部品の代替として、人の生命が使われた訳です。筆者が特攻を美化するなという警鐘は、ここにあるのではないかと思っています。実際に従事していた方や、親戚縁者に亡くなられた方がいる人にとっては、少しでも世の為になったと思えなければ、辛いことは想像できます。しかし、客観的に見たときには、そんな状況になったら降伏を決定する勇気が必要だったのではないでしょうか?いつまでたっても諦めないことから、原爆の投下に踏み切った面もあると思っています。戦争を開始した時点で、どこで止めるかを徹底していたら(やる前から完勝は有り得ないことは解っていた筈)、こんなに悲惨な状況にはならなかったのではないかと思います。

 「日本はこの戦争はどのような状態になったら止めようと考えていたのか」と言っても、「降伏を決定する勇気が必要」と言っても、例えば、今の日本で、北朝鮮や韓国や中国が嫌いな人がいたとして、かつ、好戦的だったとして、そういう人に尋ねてみてください。
 今だって、出口戦略なんて、考えずに、楽観的ムードの中で、始めるだけ始めて、楽観的観測しか、しないですよ。

 上の投稿に対しては、別の人からの投稿があります。以下のようなものです。

>日本はこの戦争はどのような状態になったら止めようと考えていたのか、またどうやって止めるのかを、考えていたのだろうか

僭越ながらお答えします。
ドイツがソ連を倒し、返す刀でイギリスを倒したら、終戦です。孤立したアメリカはドイツと講和します、その講和条件にドイツ同盟国の日本が有利な項目をねじ込み、来るべき世界統一戦争のための戦略物資を自給自足するという「大和民族の為の自衛的生存圏」を確立して終戦です。

ソースは防衛省の図書館に行って機密戦争日誌その他諸々の歴史史料をあたるか、そういう史料にあたった研究者の書籍をお読み下さい。正しい情報は相応の労力を払うか労力に見合う対価が必要なのです。

 タイプ6は、恐がりな性格タイプと言われています。
 安心・安全・安定が崩れることを恐がります。
 なので、悪いニュース(不安にさせる考え)を嫌がって、聞こうとしない傾向があります。
 タイプ6日本人は、良いニュース(楽観させる考え)のほうを選びます。

 例えば、第二次世界大戦開戦前に、総力戦研究所が、日米戦争を想定した総力戦机上演習(シミュレーション)をして、

「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」

という「日本必敗」の結論を導き出していました。

 ですが、

この机上演習は総力戦研究所の評価を高めることにつながったが、
現実の政策決定に何らかの影響を与えたかどうかは定かではない。

というありさまです。

総力戦研究所(ウィキペディア)』より

 警告のたぐいは、今ある安心・安全・安定が、そうでは無いのだと言っているようなものです。このようなネガティブな話をタイプ6日本人は聞きたくありません。

 このように、
 事前にあった警告を、活かせないのは、タイプ6日本人のいつものパターンです。

 そうして、楽観の元に始めたことは、冒頭に紹介した投稿のように
「ひとたび躓く(つまづく)ともう軌道修正なんてできなくて、出口戦略もなくて」
となり、

 途中で問題点が分かってきても、もはや対応などできず、止めることができません。
 それ以上に、問題の真っ只中にあるときには、現実を見ようともしていません。

 そして、そのツケは若者や、次の世代や未来の日本人が払うことになります。

 つまり、
「最後には若者(もしくは未来の日本人)に無茶苦茶な要求をして」
につながっていくのです。

※ 『ネガティブ、ポジティブ、日米の違い

参考
なぜ日本には戦術があっても戦略が無いのか?

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