なぜ日本には戦術があっても戦略が無いのか?

「日本には戦術があっても戦略が無い」
と思って、検索をかけてみたら、
幾つか引用できそうな文章が見つかったので、それらを引用しながら
「戦略が無い日本」を説明してみます。

先ずはいかに日本軍が戦術だけで戦略が無かったかという話。

『大東亜戦争の敗因から学ぶ、現代にも通じる6つのターニングポイント』

ガダルカナル島における作戦において、日米両軍の明暗を分けた日米両軍の学習過程の差「6つのポイント」その1から、

(1)「戦術」で勝って「戦略」で負ける

 第1次ソロモン海戦では、三川軍一中将の日本艦隊は米軍の艦隊に圧勝しますが、本来の作戦目的であった「敵輸送船団の殲滅」を果たすことなく帰還してしまいます。

 その結果、米海兵隊は大量の物資、大砲などの武器補給を受け、日本陸軍の上陸部隊が多大な犠牲を払いながらも最後まで勝つことができない遠因となりました。

 一方の米軍は島の飛行場を最初に奪取し、航空攻撃で日本側の輸送作戦をことごとく撃退するなど、「戦略的に優れた戦闘」を進めていきます。これは戦術では勝っても、戦略では負ける日本軍の戦い方をまさに象徴しているといえるでしょう。

 本来、最終的な勝利につながる戦い方を考えるのが「戦略」ですが、日本軍には戦略という発想より、各戦闘でいかに戦うかという「戦術」を優先する傾向がありました。

次に、
学生の読書感想
https://www.komazawa-u.ac.jp/~kashima/bookr/05ki/matsusima03c.html

この盛者必衰のごとき日本海軍の歴史。そう、日本という国はいつもこのパターンになってしまうのだ。世界で主役になってもすぐに転落して泥沼にはまり気付いたら底から抜け出せない状況になってしまうのである。それは今の日本を見てもわかるだろう。(略)私は潜在能力では日本が世界でナンバーワンだと思っているだけにそのことが悔しくてたまらない。結局は大局を描く能力、すなわち戦略家が日本にはいないのである。

ここから話は、
中山治[2003]『戦略思考ができない日本人』ちくま新書
を読んでの感想となります。

著者は日本の戦略を農業的性格、西欧の戦略を狩猟的性格と分析している。著者は戦争を例にして説明しているがこれが的に当たっていて面白い。西洋は狩猟民族である。狩りは不透明な要素が多く、そのため作戦が不可欠である。ましてや戦争は自分が狩られるか敵を狩るかの危険な狩りなのであるから高度な戦略が不可欠なのである。また西洋の歴史は侵略の歴史である。素性の全くわからない異国、異民族との戦争を沢山こなしていたのだから嫌でも高度な戦略を考えざるを得ないのだ。だが農業にはそのような戦略は不要である。米が人間に食べられるのが嫌で田んぼとともに逃げ出すなんてことはないからである。農業の方が狩猟よりずっと不透明な要素が少ないのである。また農業は毎年同じ作業の繰り返しなので、戦法は基本的に過去のやり方の反復になってくる。加えて日本は侵略されたことがほぼなかったので戦略を考える必要がなかったのである。と筆者の要点をまとめてみたのだが大分核心を突いているのではないだろうか。
実は日本が上手くいっている時は西洋人の戦略を生かしている場合なのである。
また日本が駄目な時は過去の戦略を馬鹿正直に繰り返している時だ。


『ハリルホジッチの解任は“戦略なき戦術”。広がり続ける、日本と世界の差』
https://www.legendsstadium.com/column/01/185/
より

元チェス世界王者で、ペップ・グアルディオラの友人としても知られるガルリ・カスパロフは、自著『決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ 生き方の秘訣』で次のように書いている。(略)
「チェスでは、よい戦略が悪い戦術のせいで失敗するケースも、その逆のケースもよく目にする。(略)
長期的に見てもっと危険なのは、悪い戦略がよい戦術やまったくの幸運のために成功するケースだ。
一度はうまくいくとしても、二度起きることはめったにない

太平洋戦争がこんな感じでしょうか。
第二次世界大戦開戦前に、総力戦研究所が、日米戦争を想定した総力戦机上演習(シミュレーション)において、
「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」
という「日本必敗」の結論を導き出していたのに、
それを無視して大丈夫とばかりに戦略を練り、
真珠湾の奇襲にこそ成功したものの、後はおかしくなっていく。

まさに
長期的に見て危険なのは、悪い戦略がよい戦術のために成功するケースだ。
一度はうまくいくとしても、二度起きることはめったにない
ではないですか。

始めは調子良くて、でも、その先が無くて、
・・・と、いつもの日本のパターンですね。
→ 『タイプ6国家・日本の困ったパターン

そして、これは、始めの引用
「「戦術」で勝って「戦略」で負ける」
ともつながっていく・・・。

今の日本も、良い品を作れるのに買いたたかれる・・・だとか、末端は頑張るのだけども、トップに(というか、国民性として)戦略が無いから、上手くいかない・・・。


戦略や戦術とは何でしょうか?
ネットで調べると、
戦略は、「目的」「勝つための計画」「勝つためのシナリオ」とあり、
戦術は、「手段」「方法」とあります。

ですが私は、戦術に関しては少し異なった見方をします。
私は、戦術は、「コピペ可能なもの」「真似できるもの」とします。
「方法として確立されたもの」は戦術とします。

パッケージになってコピペ可能になった時点で戦術です。

ドブ板選挙だって元は戦略だったわけです。でもそれが一般化した今日では、ひとつの戦術として見ることもできるのです。
つまり、考えて判断した結果が戦略なのに対し、頭を絞って考えずともコピペで使えるのが戦術ということになります。
戦術とは思考の負荷が少ないものを指します。これに対し、思いっ切り思考に負荷がかかる行為を戦略とします。戦略とは頭を使った上での判断でもあります。

それで、本題の『なぜ日本には戦術があっても戦略が無いのか?』になるのですが、
日本はエニアグラムにおいて、思考センターの否定点である判断停止・思考停止のタイプ6なので、判断が必要になる戦略が圧倒的にできないのです。
それで自分で考えずともコピペで対応できる戦術に頼るのです。

日本でも「グローバル戦略」なんて言葉が言われています。
「グローバル戦略」という言葉だけで、戦略気分ですが、そこはもうパッケージ化されてコピペ可能となった戦術を持ってきているだけです。
地方再生の「箱もの行政」も戦略っぽく見えはしますが、あれもパッケージ化されてコピペ可能となった戦術です。

ここまで来ると、先ほどの引用が意味を持ち始めます。

実は日本が上手くいっている時は西洋人の戦略を生かしている場合なのである。
また日本が駄目な時は過去の戦略を馬鹿正直に繰り返している時だ。

だからそれは戦略では無くて、戦術だったんですよ。なぜって、戦略とは自ら考えるものですが、日本は考えていませんから。


戦略・戦術は言葉の定義の問題になってくると、いかようにも言えて、この話にも異論が出るでしょうが、
言いたいことは、それが戦略という名であろうと、日本の戦略は全然考えていない。判断が無い。ということです。

著作権法でも、戦略としてあえて世界の反対を張って期間を短くすることもできると思うのです。
ミッキーマウスだってパロディをやっていたのですから。
ルパン三世だってフランスではルパンを名乗れないのですよね?
だから、日本だけでも著作権の期間を短くして、創作の活性化を図る手段もあると思うのです。
ですが、日本は、世界に合わせて著作権の期間を延ばしてしまいました。

日本は、いつも多数派にいたいので、その方が安心・安全・安定を感じれるため、世界の流れに合わせます。「これからは○○だ!」と世界についていきます。それで、これを戦略だと思っているフシがあります。
私から言わせればコピペ可能な時点でそれはひとつの戦術です。戦略もどきです。

今日見た『日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか』という記事に対する はてコメ のコメントの中に、
「 モルティブみたく,人数を絞って徹底的にお金を取る観光地は日本に全然ないよね.そういう戦略もあるべき」
というのを読んで、
「判断が必要である」「前例が無い」「周りを説得して、今ある安心・安全・安定の外に出なくてはならない」あたりで、タイプ6日本には無理な要求だな、と思ったので、この文章を書いてみる気になりました。
こういったモルティブ・モデルも、パッケージ化されれば戦術として、皆コピペし使い出すのでしょうけども。

今回は、
「(安心・安全・安定の外に出たくない)タイプ6日本は、戦略は描けないよね」
という話でした。


「センター」「否定点」などエニアグラムの基本用語はここにまとめています。

2019/05/28 太平洋戦争から始まる話を追加して書き加えました。


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