勉強が「かりそめの安心」という指摘に目から鱗が落ちた

『君たちはどう逃げるか』
を読んでの感想です。

今回、“目から鱗” の学びになった部分を引用します。

勉強の都合の良いところは、決断する必要がない、ことである。
そして、一時の安心をもたらす、ということでもある。
勉強をする、というのは一定の留保をもたらす、という話だ。
誤解してもらっては困るのだが、勉強することを否定しているわけではない。
勉強は人生を豊かにするし、やってマイナスであることはほとんどない。
しかし場合によっては、勉強という行為に、隠された逃避と留保のある時があって、かりそめの安心と引き換えに、現実を遠ざけることがある、ということは、覚えておいて欲しいのである。

日本は、エニアグラムのタイプ6社会だと言われています。
タイプ6は安心・安全・安定がとても大事な性格タイプで、
その安心・安全・安定の外に自ら出る必要のある「判断」や「決断」が苦手な性格タイプであったりもします。
このようなタイプ6日本人において、その「勤勉さ」や「勉強好き」も この引用文で説明ができる、と思いました。

どういうことかと言うと、
安心・安全・安定が好きなタイプ6日本人にとって、勉強は、
「隠された逃避と留保」
「かりそめの安心」
「現実を遠ざける」
という意味もあるということです。
タイプ6の苦手な「不安」や「混沌」からの逃避ということです。

するどい指摘だと思います。
私には、この視点は無かったので、目から鱗でした。

そういえば、知り合いのタイプ6が就職活動(転職活動)をしていて、「ずいぶんと資格をお持ちですね」と言われたという話も、合わせて思い出しました(資格内容は知りません)。
通常レベルのタイプ6は依存的とリソ&ハドソンは書いています。
その上で、資格を取るのも依存の一形態と解釈ができます。
自分に自信が無いので安心・安全・安定の為に資格を取ってそれに依存するということです。

ただ、勉強そのものに、決断(混沌と対面すること)からの逃避という意味合いがあることには気が付いていませんでした。
今回は勉強になりました。


タイプ6日本人論書いてます。

「レベル」などのエニアグラムの基本用語はここにまとめています。


2019/05/09追記
してみると、司法試験を何回も落ち続けても、勉強を止めないのも、これで説明できそうです。不安を見ないための勉強。これも思考停止のひとつの形なのだということです。

安心・安全・安定を得るための勤勉さと、
安心・安全・安定の外と関わることになる決断から逃れる方便(ほうべん)や言い訳としての勤勉さ、
同じ勤勉なのに、動機の根っ子も同じタイプ6的なものなのに、その意味するところは、全然違うという。


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