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作風とのギャップ萌え。(誰ももう萌えてくれないのは知っている)

Leyendo Radioで絶賛配信されまくりでございます。自分のチャンネルの編集溜めている場合じゃないよねぇとか思いつつ。

「vague.-言葉なく、言葉あり、それでもあなたは知る。-」     「shadow.-ずっと光は重ね合い、続くもの。-」

▶第8回 出演:石綿大夢・清水琴
アナログホスト:中山侑子

今回はまたいつもとちょっと違うわけですね、そりゃそうなりますよね。それはそれでまた変化していいわけでございますよ、そういうもんすよ。だってワシの書くものに「正解」はないもん。ワシの中に正解はあるけども、そこ強調することにはおもしろくもなんともない。読む役者さんがどう解釈するか、出すかにしか興味ない。そこからお客さんにどう届くか、でしかなく。これ賛否両論あるけれど、確定作らないんだよね。自分の公演でもずっとエモって?決めを作らずにやるんで稽古すればするほど役者陣はみんなして魔境になる。「演出」名乗らん理由は複数あり過ぎるけれど、何回か別の「演出」を入れようとしたことはあったんだが、まぁ無理でした(笑)これはワシがそもそも台本含めて美術・照明やらの空間確定してしまっているし、配役もアテガキ気味にしているし、その空間の中で確定事項を作ることは異物感発生と隙間がなくて、まぁ無理でした、あぁ無理でした。(リピした)

演じる・読み手で変化する幅っていうものがあるとしたら、ワシのは出るとは思う。前述の「正解」がないから。これ、言い換えると「戯曲読解不可能」にしているとも言う。ってか、役を作る上でそれは必要だと思うんだけども、されても真の意味ではわからないと思ってるんやけど。まぁミスるとお客さんが「わかんねー」とか「役者違う」とか発生多数するんだけど、まぁそれは現役時代だが。…この話書いてると長いから省略。

たださぁ、露骨に思い知るのはワシのキャラと作風のギャップがやはりえらいことになる現実、みたいなとこやね。が、んなんは大昔から言われとったからわかってる話でございます。大昔の現役時代っつうか、小学生くらいからずっと作るものとこの本人のギャップっつうか、ズレで「え?」とかされましたけれど、一部には納得されてたんだけども、沈黙からの復活で、やっぱりなんかよくわかんない差があるよなーと自問自答。ただそれは意図してるのはあるんやけど、性別的にどっちが書いているのかわからないというのが必須なのもあったしね。どっちがと言われてもいいモノみたいなところでさ、結局やっぱりワシは無性というか、中性というかなところでいたい。男女やらんなの関係なく、根底には共通しているはずの「機微」のとこです、ええ。そこ意識してるんで、ちょっとアホやとは今も昔も思うわけですよ。

胡散臭い見た目で、「乙女」とかほざいているし。最近、ゲス外道乙女って言うてるけど、それは歳を取ったからです、でも乙女はほざく。結果、スタッフらに塩対応される遊びがお気に入りなのがやはりアホです。

まぁ何にしても組み合わせいろいろで読んでいただいておるんで、分数短いし聞き比べて頂きたいところですわ。役者さんみなさまそれぞれ違うし、聴く側含めニュアンスの違いってのは受け取る側の感受性やらなので、ハイ。

聞く人の感受性を問う!ってとこやね。

好評でしたら、ワシはまた血迷って、短いの書きまくって、そのうちリーディング公演でもするんじゃねぇかしら。何故なら、ワシは早書きの異能なところに「やろうかなぁ」とか思うとさっさと動くんで、ええ。

果たして?(笑)


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