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影響があったような、無いような?

コロナ禍で実際2年計画での前哨戦とガチ公演の計画をさっさと白紙っている。正確にはコロナ禍になるな?これは…という前に、全部止めた。2019年の年末から2020年の年明けの時点で、ばっさー!とさらばった。

でもそれで創作意欲と言うか、そういうのが消えたわけではなかった。どっちかというと大人数でどうこうという集団創作というのに興味失くしかけていたタイミングではややあったので、少人数で、もしくは単体で、一人で何が出来るかなぁの方に戻っただけ。

そんなこんなで「配信」というわけでもなく、もともとやってはいた映像でなんかするかなーでYouTubeでチャンネル作ったわけですよ。収益とかガン無視してるのでただひたすら書き続けては撮影しては録音している。

昔はインターネット上で活字で言葉(詩)を出すことはしてはいたんだけど、媒体のそれぞれで書き方を自分的に合わせたくはなかったし、読みづらいなぁと言う主観的なものがそもそもあったりはした。何故なら突き詰めたらフォント問題やらなんやらのこだわりがあるのであるのだ。

当初はいろんな人に出て、読んでもらうかなとしていたが、そろそろ集まる?とすると感染状況があかんわな…になって、気がつけば企画ユニットではあるけれども、珍しくお抱えにしたのでずっと彼ばっかだ。

本来ならば暗記させて撮影がベストではあるけれども、その時間ロスさえも惜しんで別撮りにしてるんだけど、その方が早いわけさ、何事も。

活字を読む人と自分の対面というのが一番理想な関係ではあるけれど、出演と声で朗読してくれるというのはそれはそれでおもしろいと感じる。そうじゃないよね、そういう読み方ではないという勘繰りもする人はいるけども。

割とダメ出しというか、テイクは重ねはするけど、そこにどんな曲をつけるかなというのでちょっと楽しいっちゃ楽しいんだよね。

「いつまでやるの?」と言われるが、まぁこの形態というのは次の何かを考えていくのと訓練にはなるからやはり続けるんだろうなぁと思う。

量産できるかが鍵なんだけども、たまに更新というか、編集サボったりして停滞するのはあくまでも自分の時間的問題さ。

いずれにせよ、シンプルに続けられることっていうのが一番いいんだろうなぁとは思うよ。



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