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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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2023年10月の記事一覧

光田健輔論(1) 独善性

私は他者の人格や人間性を軽率に批判することは愚かしいと思っている。 その人物を論じるなら…

藤田孝志
1年前
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光田健輔論(7) 偏執と固執(4)

光田の最大の罪過は<断種・中絶>である。なぜ光田はハンセン病患者の未来を断絶する政策をと…

藤田孝志
1年前
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光田健輔論(6) 偏執と固執(3)

なぜ光田は<絶対隔離>政策を発想し、死ぬまでこだわり続けたのか。成田稔氏は次のように書い…

藤田孝志
1年前

光田健輔論(5) 偏執と固執(2)

光田健輔は、『愛生園日記』『回春病室』と題する2冊の自伝的回想録を書いている。『愛生園日…

藤田孝志
1年前
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光田健輔論(3) 善意の思い込み

成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』に、次のような一文がある。 そのとおりである。ハンセ…

藤田孝志
1年前
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光田健輔論(2) 正当化の欺瞞

敬愛する林力氏の『父からの手紙 再び「癩者」の息子として』の「はじめに」の最後は、次の言…

藤田孝志
1年前

「重監房」に学ぶ(7) 長島事件その後

今まで長島愛生園で起こった「長島事件」(1936年)について断片的ではあるが、その経緯と結果、影響と問題点などについて述べてきた。今回、光田健輔に関する私論を書くにあたり、関係書を読み直していて、「長島事件」の影響について、特に当時の世間が、それも関わりが深い人間がどのように思っていたかを伝えておくべきであると思うに至った。 「長島事件」が「重監房」設置の直接の要因と考えられるが、それに至る経緯についてまとめておきたい。 事件発生当初に、光田は新聞の取材に次のように語って