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どうしようもないことに使う時間は無駄か否か。理不尽や不条理との永遠の戦い。

世の中の動かしがたいもの

世の中には不条理で理不尽でいかんともしがたい物事であふれています。動かしがたいもので頭を痛めているあなた。その気持ちがよくわかります。

私も理不尽な出来事に沢山遭遇し、頭を悩ませて来ました。しかし、悩んでも憤ってもどうしようもないことが数知れずあるのです。

例えば法律なんかはそのいい例です。

法律は万人にとって100%よいものではありません。民主主義の場合は多くの人にとってよいものになるように設計されてますが、納得できないこともあります。完璧はありません。

例えば最愛の人を誰かに故意的に殺められ、加害者に下された判決の刑罰が生ぬるいものであった場合、遺族は到底納得できないでしょう。

こういうことが不条理で理不尽だと感じる事例の一つです。しかし、法律の定めに乗っ取って出された判決なので、動かしがたいものです。これは一つの理不尽な結果でしょう。

そして、理不尽なことが起こると納得のいかないものに時間を費やしていくことになるのです。

独裁政権

もう一つ例を出しましょう。私が住む国ミャンマーでは昨年二月に軍事クーデターが起こりました。武力を背景に国の裁量を軍が手中に収めたのです。

この出来事は多くのミャンマーの国民を理不尽な状態に陥らせ、今もまだなおその状態が続いています。しかし、武力を持つ軍を相手にして抵抗すると命の保証はありません。そして抵抗するものは多く命が奪われてしまいました。

抵抗による命の代償をつきつけられた多くの国民はこのクーデターに対してどうすることもできないままでいます。非常に理不尽な状態におかれているのです。誰だって死にたくありません。

このように世の中には理不尽なことがたくさんあります。様々なケースがあるのでケースバイケースではありますが、理不尽な状況下に置かれたときどうすればよいのでしょうか。ここからが今日の本題です。

個人の力で動かせるかどうか

理不尽な状態を個人の力で動かせる場合は理不尽な状態を解消するために動く意味があります。ただし、相手からのもらい事故のような場合はやはり自分のせいじゃないのになんでこんな無駄な時間を使わなければならないのだろう...という無念な気持ちを抱えながら時間が奪われていきます。

事件を解決するために裁判をおこし、たとえ裁判で勝ったとしてもその判決は感情をすべてカバーしてくれません。罪の過失の大きさで原則判断されています。結局は無念の感情は自分で解決するしかないのですね。

つまり金銭的なものの請求と、相手に対する刑罰は与えられますが、与えられた心の傷は自分で解決するしかありません。

法は社会的制裁を与えることはできますが感情までは癒してくれないのです。

個人の力ではどうしようもないケース

国が相手だったりする場合はどんなに許し難いことがあったとしても、個人的な力では太刀打ちすることは非常に難しく、そう簡単に解決することはできません。

クーデター

ミャンマーのクーデターの場合は法の支配までをも軍がコントロールするために、どんなに反対したくても国民は黙らせられてしまいます。法律的にも何も守られるものがありません。軍が都合の良いように法律を解釈し、刑を執行するからです。

この理不尽な状態を解消するには軍政を覆す以外には現在のところ打開策がありません。到底個人の力ではそうすることもできない状態ですね。

言ってみれば究極の理不尽状態とはこのことです

皇室問題

別のケースも考えてみましょう。昨年は眞子さんの結婚騒動でネット上では大炎上が起こりました。一般庶民に対して税金が注ぎ込まれるのはいかがなものか。と反対する国民たちは怒りをヤフコメやSNSなどでぶつけたのです。

このケースは理不尽だと思っている人もいますが国は動きません。国の立場としてはいくら一般庶民になったとしても歴史上代々受け継がれてきた皇室関係者を警護したり、皇室の運営に関わる経費を税金から賄っていくと言う考え方は至極当然だと考えるからでしょう。

つまり一般庶民に立場的にはなったが、皇室の血筋としての特別なステータスは消えることはないと言うことですね。

しかし、なぜここまで反対する人たちが怒ったのでしょうか。

問題の紐を解くと納税者という立場から他人の結婚でありながらも一円でも自分の納めた税金が使われているのであれば許せない。

という間接的な関わりがあるという認識からだと思われます。通常関わりがなければ他人の結婚に誰も口を出すことはないでしょう。

しかし、このケースも個人の力でどうすることもできないケースです。天皇制を変えるか、この国に見切りをつけて国外に出るかでもしなければ理不尽状態から脱却できないでしょう。

理不尽にどう対応していくか

様々なケースがある理不尽状態。私たちはどう対応していくのが良いのでしょうか。

まず理不尽な状態でも、その事件に関して自分が当事者であるかどうかを考えましょう。当事者である場合は、負の感情や受けた被害を解消するためになんらかの対応をしていかなければなりません。

一方、当事者でない場合は感情的になることは得策ではありません。第三者が感情的になることはその事件を複雑化してしまうからです。

感情は計り知れない

事故をもらった当事者の場合、怒りや悲しみの感情が当たり前に生まれますが、法律やルールは事故の過失の割合を判定することはできても感情は一定以上は汲み取られないと考えるべきです。もちろん考慮はされますが、一定の基準に合わせた形での考慮となるでしょう。

感情は個人によって大きな差があり、計測することが難しいものであるからです。

個人的にはその怒りや悲しみを無視することはできませんが司法判断ではそこまでをカバーできないと言う事実だけを知っておいた方が良いと思います。

いつまで理不尽にとらわれるのか

理不尽なことによって怒りや悲しみを死ぬまで持ち続ける人もいます。相当に辛いことでしょう。しかしその感情は自分で処理する以外にはどうしようもないことなのです。

法の裁きは万人に公平である必要があります。つまりは加害者にも公平な判決であるということですが、被害者からすれば本当に無情です。

「一生心の傷が残る」という表現はこのようなときに使われます。

どんなに周りがもう忘れた方がいいよとか、もう諦めようという言葉を投げかけたとしても納得できないものは一生引きずってしまうのです。

やはり無情ですが自分自身で解決するしかありません。

当事者でない場合

次に当事者ではない場合。

当事者の気持ちに立ち感情を表に出していくことは事件当事者にとっては共感や同情をシェアしてくれることにありがたみを感じるでしょう。しかしながら第三者であることには変わりありません。

事件の過失割合が100%悪くない場合でも、第三者として当事者に変わって感情をむき出しにすることはその事件を複雑化させます。つまり事件の良し悪しが第三者意見によって真実がねじ曲げられてしまうことすらあるのです。

池袋の交通事故死を引き起こした"上級国民"で話題となったあの事件も、最大刑期7年のところが、ネットの誹謗中傷などによって刑期が5年しか出なかったと言う話もあります。

非常に痛ましい事件ではありますが、当事者でない場合は、司法に任せたほうがよく。感情をむき出しにすることはあまり良い結果を生まないと言うこともあるでしょう。

今の時代第三者がネットを通じて好きに感情を表現することができます。その気持ちはよくわかりますが、行き過ぎた感情による誹謗中傷への発展や、匿名による社会的制裁という名の言葉の暴力になることもあるます。

特にネットでの発言は注意し、感情的にならず発言をするにしても冷静によく言葉を選ぶ必要があります。

どうしようもないことに使う時間

無駄かそうでないかは人それぞれ違います。その人が一生かけて理不尽な状態に向き合い、戦い続けるケースは第三者が無駄だなど言っても本人の反感を買うだけでしょう。

それが人間が持つ感情というものです。

そして覚えておきたいことは、世の中には理不尽がたくさん存在し、いつ何時誰もがその状態になりうるということです。

そうなった時、ケースバイケースで対応しましょう。場合によっては、考えることすら時間の無駄な時もありますし、どうしても譲ることができないケースもあります。

ただし第三者の場合は、そこに口出しすることは当事者にとっても事件の蒸し返しになったり苦みを助長することにもつながります。

事件の良し悪しをしっかりと判断し、白黒つけるもよし、曖昧なままに処理するという答えもありますので、全ての人の時間が無駄にならぬよう賢く、対応することがデジタルコミュニケーション時代のリテラシーとなるでしょう。

私個人的にはもし貰い事故があった場合、もちろん当事者としては解決に動きますが、どうしもうもないことは忘れるようにします。ただし、物事が大きすぎる場合はきっと忘れることも諦めることもできないでしょう。それは私も人間だからです。

時には諦めなければならない時もありますが、一つ例をあげると、北朝鮮の拉致被害者の家族などのケースは死んでも諦められないものでしょう。

私が第三者的な立場で社会的な理不尽や他人の理不尽状態に遭遇した時はもちろん意見することもありますし、感情が沸き起こることもはありますが、強制することはしないようにしています。なぜなら当事者ではないからです。

第三者が決めることではなく結局は当事者だけが判断し解決するしかないことなのです。

リテラシーを身につけてしっかりと物事を判断することがデジタル時代にはよりいっそう問われているのです。

ちょっと難しい話題でしたが、人生楽しく生きるためにはいかに理不尽状態にならないようにするか。これが大切ですね。極力回避できるものは事前に回避し、渦中に巻き込まれないようにすることです。

とは言っても、ミャンマーの理不尽状態は回避することや予測することは難しかったので、これからしばらくは理不尽と戦い続けていくことになるでしょう。

理不尽は突然やってきます。

ではまた次回の記事でお会いしましょう。
東南アジアよりえむさんでした。


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