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私が、なぜ気功師になったのか。


愛知県名古屋市で女性のうつ・パニック障害の気功師×気功カウンセラーをしております。
望月ひろこです。

今日は、私がなぜ、気功師になったのか。
そんなお話ができたらと思っています。

私は30代の頃から、体調を崩し病院にいきまくっていました。

私の不調は、女性ホルモンのエストロゲンがほぼゼロ値に近い卵巣機能低下症という病でした。若年更年期と言われるものです。


こうやって書くと、ふーんと思うでしょうが、この病名がわかるまで、様々な病院を転々としました。

どこに行っても原因がわからない。
私の中で、病院と言うのは、治してくれないところなんだと思うようになったのです。

ある時、家族から産婦人科に行ってみたら?
と言われ、産婦人科で検査をしたら、
エストロゲンの数値が低いとわかったのです。

ただ、産婦人科に行ってエストロゲンの数値が戻っても、具合が悪いのは治らず。。
結局、しんどいまま、過ごしていました。

43歳で最初のパニック発作が起きた時、パニックだとわからず、近所の内科を受診しました。

その時、抗不安剤を出され、あまりにも楽になるので飲み続けてしまい、断薬するのにとても苦労しました。

パニック発作が、あまりにも苦しくて薬を飲んでしまったけど、私は、もともと薬を飲みたくありませんでした。

私の父が、老人性うつで、何年も投薬されていたけど、改善が見られなかったから。


その後、たまたま入った自律神経専門の治療院が、実は、気功治療院で、数回通ったところ、うつ症状が軽くなるのがわかりました。

うつは、感情を麻痺させるのですが、それまで笑えなかった私が、自然に笑えるようになったのです。

それまでのモヤとしていたものが、鮮明になるというか、はっきり違いがわかりました。

気功ってすごい。と思いました。
その後、半年くらいで、うつ症状が出なくなりました。


パニック障害は、思考の強さが邪魔をして、なかなか改善まで行きませんでしたが、

その後、カウンセラー養成スクールに行き、心のことを学ぶことで、自分と向き合い、徐々に改善していきました。

気功師になろうと思ったのは、父を治したかったから。結局、それは叶わず、気功師になる前に父は他界しました。


気功師になった時、師匠からは、
どこに行っても改善しない人が来るから力になってあげてください。と言われ、、

その時は、ふーんと聞いていたのですが、、
やってみたら、本当にそうで。笑

しかも、パニック障害のクライアントさんは、私と一緒で思考がめちゃくちゃ強い。笑

そこで、気功を使ってカウンセリングしたところ楽になる人がいて、現在は、気功カウンセラーとして活動しています。

実は、私、気功師にはなりたかったけど、カウンセラーになるとは思っていませんでした。

カウンセラーになったのは、
気功やカウンセリングを学ぶ前、
初めて会った人に人生相談をされたから。笑
それも、一人じゃないです。

初めて会った人に、
なかなか込み入った話はできなくないですか。^^;
きっと、切羽詰まっていたのかもしれせん。

その時、もしかして、私はカウンセラーが向いてるのかもしれない。そう思ったんです。

この活動も8年目。

気功カウンセラーになって良かったと思ったのは、私自身が、生きづらさを随分手放せたこと。

クライアントさんを救う前に、
自分が救われたように思っています。



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望月ひろこ

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