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ぶっちゃけ諸葛亮

ある日のある夢。

なんか知らないけど諸葛亮孔明にインタビューしていた。

その日の記録ー。

「諸葛亮さん。本日は色々聞かせてください。よろしくおねがいします。」

「そんなに畏まらないで下さい。字の孔明でフランクに呼んで頂いて構いませんよ。」

「そ、そんな畏れ多い。でもありがとうございます。折角の機会なのでそうさせて頂きますね。孔明さんって劉備さんに会う前何したてのですか?」

「・・・俗に言うニートです。晴耕雨読で自分の食い扶持だけ賄っている生活でした。何か文句ありますか。」

「す、すいません。リサーチ不足でした・・・。」

「要するに楚の荘王と同じ鳴かず飛ばずの時期です。雌伏の時です。確かに誰も自分の凄さを知らなかったようです。でも周りの友人、特に徐庶はものすごく評価してくれていました。」

「そうなんですね。では何故劉備さんと接点が生まれたのですか?」

「これは徐庶のお陰です。徐庶は当時劉表殿の下に流れていた劉備殿に仕えていたのです。ただ、母のことを鑑みてその職を辞さざるをえなかったのです。そこで今で言うリファラルですね。白羽の矢がたちました。」

「なるほど。ではその後劉備さんにお仕えしたんですね。」

「すぐにではないです。彼の資質を問いたくて何度もお家に来てもらいました。俗に言う三顧の礼です。こんな不躾な態度を取った私に彼は何も不満を言わず愚直だなと思い、この人の為ならと思いました。」

「水魚の交わりですね。正に。羨ましい。僕もそんな上司に出逢いたい。」

「ははは。まぁそれで劉備殿に仕えることになったのですが、大問題が一つ。晴耕雨読のニートと漢王室復興を成し遂げたいのに領地を持たないニート。いっそマイナスとマイナスの掛け算だしプラスになるかなと思い、
ぶっちゃけ確証はありませんでしたが、天下三分の計を伝え、何か感動してくれたのでそのまま実行することになりました。で、そのために呉へ向かい。赤壁は勝った時爽快感ヤバかったなぁ。流石に。」

「し、知らなかった。まさか天下三分の計ってノリで言ってたなんて・・」

「まぁ人生その場その場必死に生きて、どこかのタイミングで検算すると実は合理的、整合性の取れた判断してたんだなぁって思います。それをまたどこか次のタイミングで思い出して、自分の中に無い知見と足し合わせて、よりよい未来へと進むのです。」

「仰る通りです。人生一度きりですもんね。」

「本当ですよ。ノリで言った天下三分の計も最終的には劉備殿が建国した蜀が漢王室を再興する為に魏を討つ。までがシナリオでした。寿命がもう少しあればイケてましたね。たぶん。知らんけど。」

「あれは司馬懿さんのテロメアが優秀だったのでしょう。」

「でしょうね。」

「本日はありがとうございました。僕も今を必死に生きて、振り返ったらたくさん語れるようなエピソード持てる人になりたいと思いました。それでは。」

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年表作れる人いたら是非「珍竹林(ちんちくりん)」な
オラに力を分けてくれ・・!!
友達と二人で妄想歴史作成中なのです。
あたかもあったかもしれない世界
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