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ウィル・スミス平手打ち事件考察⑶ ~"いじりジョーク"は信頼関係の上に初めて成り立つ~

こんにちは、シンガーソングライターのエミーです。

普段芸能人のゴシップとかは全く興味ないのですが、「ウィル・スミスさんのビンタ事件」はアメリカと日本の文化の違いだったり、対人コミュニケーションの在り方について非常に考えさせられるトピックだったので、取り上げて考察しています。【どちらが正しいか】を裁くための記事ではありません。

前回はウィル・スミスの人生背景に焦点を当てて、考察しました。


簡単にまとめると、純粋に奥様の尊厳を守る行為だったというよりも、以下の2つが考えられるのでは?というのが私の見解でした。

①不倫症の奥様の気を引きたいがゆえ"いい男"を演じた愛のパフォーマンス
②日頃のストレスが連鎖爆弾のように爆発して歯止めがきかなくなった?

今回は、クリス・ロック側に焦点を当てた考察です。

相手が傷ついてしまった時点で、、、


クリス・ロックを擁護する意見で一番多そうなのは、「彼はスタンダップ・コメディアンなんだから、ギリギリのブラックジョークを飛ばすのが仕事。彼はいつも通り仕事を全うしたまで。」というもの。

アメリカでクリス派が多いのは、アメリカの「スタンダップ・コメディーショー」が、どれほど皮肉でギリギリなラインを攻めたブラックジョークを繰り出すものであるかという、文化的な共通認識があるからなのだと思います。

対して、日本では、アイロニックな笑いというのは、あまり理解されないしウケないので、このクリス擁護派の意見を理解できない日本人は多いようです。実際、私も昔アメリカ人の知り合いや同僚と話していて、「笑えないな」「ついていけないな」と感じる会話は何度かありました^^;もちろんアメリカ人全員がブラックジョーク好きというわけでもありませんが。

なので、クリスがコメディアンとしての仕事を全うしたという主張は、アメリカ文化的な視点で考えると非常に納得できます。

しかし、本人を前にして恥をかかせ、傷つけてしまった時点で、もはやそれは"ジョーク"でなくなってしまう。コメディアンとしては"失格"と私は思っています。

大前提として、相手のことをいじるジョークは、お互いの信頼関係があって初めて成り立つものではないか、と私は考えるからです。

例えば、

まだ知り合って間もない、信頼関係のない相手から「お前ってほんと馬鹿だよな!」と言われるのと、

気の置けない数十年来の友達から「お前ってほんと馬鹿だよな!」と言われるのでは、

全く受け取り方が変わってきますよね。

また、本人が「馬鹿」であることを開き直っているか、コンプレックスを持って悩んでいるか、によっても言葉の受け取り方は変わります。「馬鹿」といじられることが「おいしい」と考える芸人気質の人もいれば、「屈辱だ」と考えるプライドをもった人もいるのです。

このように、ピンケットの信頼関係や、コンプレックスの度合いを見極められなかったクリスは、まだまだコメディアンとしての技量が足りていなかったといえるのではないでしょうか。

そもそも、人(特に女性)の外見についていじることは、非常にリスキーです。それでもネタにしたいと思うならば、もっとピンケットと日頃から信頼関係を築いておくべきでした。せめて、授賞式が始まる前に、彼女のヘアスタイルについて確認しておくべきだったのです。(まぁ、完全にアドリブで思いつき、咄嗟に出てきてしまったジョークだったのでしょうが…^^;)

逆に言えば、もしあのとき、ピンケット自分自身が丸刈り頭をネタにできるほど自分の病気を完全に受け入れ、さらにクリスに心を開いている状態であれば、彼女もいっしょにあのジョークに笑っていたかもしれません。その場合、同じ言葉でもジョークとして成立し、問題にはならなかったのです。

というように、相手の心の状態や信頼関係の中でジョークとして成立するか決まるので、あのジョークそのものを批難するのもまたナンセンスなのではないか、と私は感じています。

とはいえ、知らずに人を傷つけてしまうことはある

そうはいっても、私たちは、知らずに人を傷つけてしまうことがあります。クリスに批判的な人たちの中にだって、よかれと思って相手にかけた言葉や行動だったのに、逆に相手を傷つけ、怒らせてしまった経験が全く「0」だという人は、いないのではないでしょうか。

自分にとっては全く気にしないようなことが、相手にとっては非常に深刻で傷つく、そしてそのまた逆も然り…という出来事は、たくさんあります。違う人間同士である私たちが生きていく中で、避けては通れないことです。

私には一卵性の双子の妹がいますが、その双子の妹でさえ、価値観の違いで喧嘩することがあります。ですから、誰一人として、自分と全く同じことに傷つき、怒り、コンプレックスを持つ人はいないのだと、痛感しています。

その"地雷"を事前に見つけて踏まないように気を配ったり、配慮することは大事ですが、完璧に防ぐことはできません。本人でも気づかないくらい心の奥深くに眠っている地雷だってありますからね。そのときの"心や体の状態"にだって、爆発スイッチは左右されます。

今回の場合、クリスがピンケットの病状のことを知っていながらいじったのか、そうでなかったのかわかりませんが…。

もしも彼女の病気のことを知らずにいじってしまったのなら、まぁ仕方がなかったかな、と思います。仮に知っていたとしたら…人として残念すぎますが^^;でも、もしかしたら、彼なりに冗談で笑わせて彼女を励まそうとしたのかもしれませんし、その真相はわかりません。

いずれにせよ、ただひとつ言えるのは、「アフターフォロー」が失敗だったのです。彼女の顔が曇った時点で、ジョークを止めるべきでした。せめて、ウィルに叩かれた時点で、事の大きさを理解し、謝るべきでした。ウィルのような大男に叩かれて内心混乱している中、正常な判断をするのは難しかったかもしれないけど。。。

身体的暴力は100%悪い?軽視されがちな"言葉の暴力"

前回の記事の冒頭で、私は「今回の件は、どちらかが100%悪かったといえるものではない」と言いました。

とはいえ、「身体的暴力をしてしまったら、それは100%悪い」という考えの人もいると思います。もちろん身体的暴力は、当然許される行為ではありませんし、法律やモラルに違反する行為です。倫理的に議論するまでもないだろう、という主張もわかります。身体的暴力を容認してしまったら、戦争の暴力行為も認めることになってしまうではないか!という懸念にも、大いにうなづけます。

しかし、かといって「言葉の暴力」も、軽視されてはいけないと、私は考えます。むしろ、目に見えて分かりやすい身体的暴力よりも、より丁寧に、深く、注意して言葉の暴力によって負った心傷の様態を見ようとするべきではないか、と思うのです。

言葉や態度の暴力による傷は、目に見えないので軽視されがちですが、もしもこの世界に「心の傷が見えるレントゲン」が存在するなら、複雑骨折している人、大量出血の人、今でも後遺症と闘っている人……身体的暴力と同じように、適切なケアと時間が必要な人は、たくさんいるのではないかと思います。

先述の通り、言葉や態度は、受け取り手の感覚や、相手との関係性によって、その傷の深さも変わってくるので、精神的被害の度合いを正当に評価、判断することが非常に難しいです。でも、だからこそ、軽視するのではなく、より言葉の暴力やそれによる心の傷によりウェイトを置いて見てあげる必要があるのではないかと思います。

誰もが見ても分かりやすい身体的暴力というもののほうが、明らかに悪いものに見えてしまうし、被害の度合いを図りやすいのです。

「正当防衛」というものが認められるのであれば、「言葉の暴力」から自分の大切な心を守るために、暴力で対抗したのだ、と言う主張があっておかしくないと思います。だから、「身体的暴力をしたら100%悪い」と言い切ってしまうことは、非常に安易なことだと思います。

というわけで、今回はクリスやジョークにまつわるトピックについて考察してみました。

全体を通して見ると、結果的にはクリスに対して批判的な内容になってしまったかもしれませんが、前回の記事で書いた黒人Youtuberの人も言っていたように、熱くなって暴力や暴言でやり返すこともなく、あの場をとにかくおさめて、冷静に式を進行した点については、クリスは立派だったかなと思います。

次は、たぶんシリーズ最終回かな。
今までの考察を踏まえて、まとめていきます!

◆stand.fmでもこのトピックについて語っています!◆

◆ウィル・スミス平手打ち事件考察シリーズバックナンバー◆

#1 アメリカと日本のリアクションの違い
#2 私が「どちら派でもない」理由
#3 "いじりジョーク"は信頼関係の上に初めて成り立つ
#4 もしピンケット本人がクリスにビンタしていたら?
#5 アメリカで身体的暴力が絶対悪な理由


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