30.螺旋(2)- i
引き続き、美術と螺旋がテーマです。
マルセル・デュシャンは一時期、螺旋・渦巻き・回転に魅了されました。
今回は、デュシャンの「ぐるぐる愛」をご紹介します。
1.マルセル・デュシャン
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、生没1887年 - 1968年)はフランス生まれでアメリカで活躍した芸術家です。誰もが知るあの現代芸術の父です。
一番有名なのは、便器を<泉>として展覧会に出品したという話です。
サインと年記が見えます。
Marcel Duchamp, 1917, Fountain, photograph by Alfred Stieglitz
それから、<彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも>(通称<大ガラス>)が有名です。大きなガラスの中に金属などが配置してある作品です。フィラデルフィア美術館に所蔵されますが、東京大学に複製があります。
(近現代過ぎて著作権的にアウトな事柄が多く、直接引用できません。リンク多めです。ご了承ください。)
2.映画『アネミック・シネマ』
デュシャンの「ぐるぐる愛」は、立体への錯視と結びついています。
デュシャンはローズ・セラヴィ名義(フランス語の聞き間違いをわざと誘発するエロチックな駄洒落になっている。女装した別人格としての名前)で、1926年、『アネミック・シネマ』(Anémic Cinéma) を制作しました。「アネミック・シネマ」という語も言葉遊びで作られており、「anémic」は「cinéma」(映画)を並べ替えたアナグラムの造語です。
「シネマ(映画)」と名乗るものの、現代から見れば、「実験動画!ぐるぐるやってみた」的な、7分ほどの稚拙な短い動画です。あの写真家マン・レイと実質上の共作となっています。youtube動画で自由に閲覧することが出来ます。
Marcel Duchamp, Anémic Cinéma : youtube
この動画では、「螺旋のある円盤」と「地口(じぐち、駄洒落や語呂合わせのような言葉遊びのこと)の文字を書いた円盤」が、交互にひとつずつゆっくり回転しながら映しだされます。
「螺旋の円盤」は、回転し始めると、ゆっくりうねる長い管の内側のように見えたり、うねりつつ漏斗型に狭まってゆく長いトンネルに見えたりします。あるいはお椀をひっくり返したような凸型がかすかに揺れているように見える時もあります。
ここで重要なのは、螺旋の描かれた円盤を回すと、奥行が生じたり、でっぱりが生じたりするということです。立体に見えるということです。
一方「地口の円盤」は特にそのような視覚体験は起こりません。
デュシャンは、すでに1920年代初頭あるいはそれ以前より、このように平面が立体に見える事象全般に興味があったようです。赤眼鏡と緑眼鏡での立体視の実験をしたり、自転車の車輪に螺旋模様の円盤を取り付けて回したり。
このような映画制作も、その「光学的実験」研究の一環だったように思えます。
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対数螺旋(等角螺旋、ベルヌーイ螺旋、幅が少しずつ増えながらグルグルしている螺旋形)や代数螺旋(アルキメデス螺旋、幅が同じでグルグルしている螺旋形)、その組み合わせのほか、螺旋ではなく単なる「円の集合」も、回転すると立体に見えます。例えば、上の動画で言うと4分20秒あたりで回転しているのは、下の写真の左下のような図柄の円盤です。
(frickr: photo by j-No)
ちなみに、写真の一番上の左にある金魚が泳いでいる緑色の円盤には、「Poisson Japonais」というタイトルが付いています。日本の魚、金魚のことです。これも、描かれている白線は、螺旋というよりは寸法の異なる円の集合ですが、回転させると以下のように見えます。
(File: Marcel Duchamp, Rotorelief No. 5 - Poisson Japonais, gif., from Wikimedia Commons)
まるで、緑色のバケツの中を上から覗いているような気持ちがします。一番小さい円がバケツの底になっていて、金魚が自由に泳げるだけの十分な「深さ」があるように感じられます。
3.ロトレリーフ
ただの平面の紙なのに、グルグル回転させるとそこに奥行きが見えたり、あるいはこちらへの飛び出しが見えたりする。そういう視覚体験の不思議に、デュシャンは猛烈な興味がありました。
デュシャンは、映画で使ったような円形の厚紙を「ロトレリーフ」(rotorelief)と呼びました。
「roto-」はもちろん、ローター、回転翼などの「rotor」と同じ語源です。「relief」とは、「レリーフ」つまり浮彫彫刻一般などを意味する単語ですが、元々は「突出部」「浮彫」を表すイタリア語「rilievo」に由来します。ですから、「ロトレリーフ」という特別の名称は、回転させたときの「立体造形感」にとくに着目した名付けだと(イタリア語教師業のアルバイトもやる私は)想像しています。
(回転する円盤ということだけならば、「ロトディスク」とか「ロトサークル」でも構わなかったわけですから。)
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デュシャンは、この「おもちゃ」を作って売り出すことを思い付きます。
1935年、デュシャンはパリで開催された発明見本市「レパイン・コンテスト」にブースを設け、こうしたデザイン6点を印刷した500セットの「ロトレリーフ」を販売しました。その後も追加で1000セットを印刷しました。
金銭的にはまったくの失敗だったようですが、科学者などから一定の評価を得たとされています。
以下の写真のようなセットです。
Marcel Duchamp, Rotorelief (frickr : phot by BXGD)
これは、回転させる機械です。レコードプレーヤーのような機械です。
Marcel Duchamp, Rotorelief (frickr : phot by BXGD)
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以下の「1089ブログ」は、東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」(2018年、東京国立博物館平成館)のための広報記事です。(「1089」は、東京国立博物館の通称「とーはく」を数字に置き換えた、これまた駄洒落です。)
東京大学の<大ガラス>の写真のほか、ロトレリーフ展示コーナーの写真があります。
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参考文献を紹介いたします。
「アネミック・シネマ」「ロトレリーフ」に関して、日本語で読める論文は、主に以下の二点です。
宮内裕美、「マルセル・デュシャン《アネミック・シネマ》における身体性とセクシュアリティ-動く文字をめぐって」、お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション F-Gens ジャーナル、10:198-205 頁、2008-03。
田中綾子、「マルセル・デュシャン『アネミック・シネマ』再考─ 光学実験・螺旋・パタフィジック ─」、早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 (6)、271-284頁、2018-10-20。
ご興味のある方は、検索してみて下さい。どちらの論文も、誰でも自由にダウンロードして読むことが出来ます。
4.「北岡明佳の錯視のページ」
最後に、螺旋・渦巻き・回転つながりで、とっても面白い大学研究室のHPをご紹介いたします。「北岡明佳の錯視のページ」です。
立命館大学の北岡明佳先生の錯視研究のページでは、「単なる模様の平面なのに、うにょうにょ動いているように見える」「単なる模様の平面なのに、ゆっくり回転しているように見える」などの錯視の例が、ふんだんに掲載されています。
先生の手にかかれば、右回転も左回転も、自由自在です。
ふくらみもへこみも、波打ちも、自由自在です。
目も脳も騙されやすいことに圧倒されます。本当に不思議なことです。
デュシャンの「光学的実験」は、彼なりの、錯視や脳科学、認知科学の研究だったと思います。デュシャンが生きていたら、このHP、きっと大好きだったことでしょう。
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「どんぐるりん」をご紹介いたします。
デュシャンは、平面の厚紙を実際にぐるぐる回転させて立体感の錯視を作り出していたわけですが、北岡先生は、例えば以下の例のように、回さずとも、ただ平面を見せるだけで、回転感覚の錯覚を作り出します。
(北岡明佳先生作成の「どんぐるりん」リニューアル版:
どんぐりの環が回転して見える。)
Copyright A.Kitaoka 2003 (July 3, 2003)
引用元:「回転錯視の作品集2」
どんぐりのリングがゆっくり回転しているように見えるでしょうか。
少なくとも、決まった方向に蠢いているようには、見えるのではないでしょうか。(見え方には個人差があるそうです。)
どんぐりの輪郭は、半分が濃茶色で、もう半分が白色で、縁取られています。白縁のある方が進行方向です。
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私が、もう一つご紹介したいのは、「同心円が渦巻きに見える」パターンです。
以下の例は、「コロナ禍」ならぬ「コロナ渦」と名付けられた作品です。
(これも言葉遊びですね。「コロナ禍」という言葉が口の端に上り始めた頃、「禍」を「渦」と見間違うエピソードがネット上に散見されたことを想起させます。よくある無意識的で偶発的な目の間違いが着想源となって、意識的に意図的に目を間違わせる作品が生まれたのでしょう。ややこしいことに「渦」(うず)は「か」とも読みます。)
「コロナ」の字を実際に指でなぞってみるとよく判ると思いますが、渦巻きではなく、同心円です。
( 北岡明佳先生作成の「コロナ渦」:同心円が渦巻に見える )
Copyright Akiyoshi Kitaoka 2020 (October 1)
引用元: 「渦巻き錯視の作品集10」
「コロナ」の黒文字には白いハイライトが、「コロナ」の白文字には薄い黒影が施されており、僅かながら「厚み」のある文字として作られています。再び、ただの文字としてではなく、厚みのある物質性を感じながら眺めると、今度は、全体が「空間」として捉えられ、手前側から中心の奥へ奥へと向かってゆく立体的な渦巻きのようにも見えます。
「コロナ渦」は、同心円を螺旋のように見間違えさせ、さらにその「ニセ螺旋」は、観者の目を奥へ奥へと引っ張り込んでゆくのです。
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「どんぐるりん」「コロナ渦」のように、白と黒、明と暗が、点滅するように交互に入り組んで配列されているとき、いともたやすく人の目は「回転」を感じたり、同心円を「螺旋」として理解したり(さらにその結果、奥へ奥へと視線が導かれたり)、しがちになるようです。
振り返るならば、「28.螺旋(1)- i 」のコレッジョの天井画もまた、光の具合によっては、白い雲と黒い影が幾層にも重なりつつ、交互に入り混じるように見えていました。
これは一見螺旋のようにも見えます。しかしよく見れば、意外にも、はっきりと「螺旋」が確認できる場所は多くありません。
むしろこの天井画の全体は、以下のように、同心円の集合と見たほうが、しっくりくるようにも思えます。
おそらく、構図としては、外側から、
・黄色実線と黄色点線の間:一番外側の人物たちの列(現実空間内の八角形枠組みから仮象空間の円形への移行)
・黄色点線と青線の間:雲の列
・青線:内側の人物たちの列
・青線と赤線の間:基本的に雲。
そこに「觔斗雲集団(マリアの集団)」「鳴り物集団(奏楽天使の集団)」(二つの白色点線三角形)が、内側への繋ぎモチーフとして入り込む(「28.螺旋(1)- i 」参照)。
・赤線:天界の特別の光の環
という同心円の集合からなる構成をしています。
コレッジョのこの天井画にも、「どんぐるりん」や「コロナ渦」と同じような錯視を起こす工夫が、ある程度用いられているのかも知れません。
「回転の感覚」も「奥へ奥への感覚」も、この天井画が観者に与えるのにまさにうってつけの感覚であることは、間違いありません。
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最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
※立命館大学北岡明佳先生には、錯視作品の転載の御許可をご快諾頂きました。記して感謝申し上げます。どうもありがとうございました。