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27.上昇感(1)- iii (螺旋)
もう一度だけ、ティツィアーノ<聖母被昇天>祭壇画です。
この作品には、実はもう一つ、目に見える「上昇感」の工夫があります。
最後に、「螺旋形」についてお話いたします。
1.螺旋・渦巻き
螺旋形や渦巻き形というのは、放射状線同様、視線を中心へ引き込む力があります。 奥へ奥へ、あるいは上へ上へ、向こうへ向こうへ。
漫画やアニメでも、このような螺旋や渦巻きの「効果線」を見たことがあると思います。この効果線には「中心点へ向かって視線・意識・物体を一気に引きずり込んでいく」効果があります。
何かが引っ張り込まれてゆく、気やエネルギーの波動が伝わっていく、あるいは螺旋形に巻き込まれながらすべてのものが運ばれていく、などの表現で多く見かけます。
(次回、西洋美術史における螺旋の例は、主に天井画でお話いたします。)
放射状線は中心に向かって一気に視線を集めますが、螺旋・渦巻き形は「動性(ダイナミズム)」「動感」の表現、つまり「(何かが)動いている最中である」ことを強調します。
2.<聖母被昇天>の螺旋
再び、ティツィアーノ<聖母被昇天>です。
いったいどこに「螺旋」があるのでしょうか。
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真ん中です。
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密やかに仕掛けられた工夫であり、「効果線」のような判りやすさは全くありませんので、俄かには認識しがたいかもしれません。
上手く説明できるか自信がないのですが、以下、説明してみます。
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赤衣の使徒、聖母マリア、父なる神の三人は、視覚上、特別の関係性で結び付いています。まず三人は赤の色彩で結び付いています。さらにポーズの形でも結び付いています。
以前にお話した通り、赤衣の使徒と聖母マリアのポーズは、「表裏」の関係性にあるのですが、実は一番上の父なる神もまた、両手を左右に大きく広げ、マリアと同じようなポーズを繰り返しています(この「父なる神」に下半身はありません)。
(★、筆者による加工あり)
この三人のポーズは、その形状を繰り返しつつも、
裏側(背後を見せる)→表側(正面を見せる)→上側(頭を見せる)と、
こちらへ見せる方向を変えています。
それが、「螺旋」の形状と動きを作り出しているのです。
立体的に想像してみてもらえますでしょうか。
うまく言葉で説明できなくて申し訳ないのですが、
「裏返りながら螺旋を作るリボン」のようなイメージです。
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マリアの足元にいるプットは、身体は下向きですが首を大きく反らせて捻り、肩越しに上方へ振り向くようなポーズをしています(下の図の黄色四角形の中)。それは、まるで「ここが裏返りポイントですよ」と教えているような身振りに見えます。
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・・・「螺旋・渦巻き」の作り出す動勢を感じていただけましたでしょうか・・・。
ここでもう一度ドヴロニックの被昇天祭壇画と比較するならば、「フラーリ聖堂の本作品の方には、確かに ”螺旋” があるな!」と感じていただきやすいかもしれません。
3.取り外された<聖母被昇天>
ティツィアーノ<聖母被昇天>祭壇画は、ヴェネツィアのフラーリ聖堂の主祭壇に設置されています。今もオリジナルの場所に置かれています。
画家は、ここに置かれることを計算に入れたうえで、構図や構成を決めていました。この場所に設置されてこそ、その意味や魅力、工夫の効果が、十全に発揮されるタイプの作品であることが、理解されたことと思います。
ところが、この作品は、
完成から現在までずっと、この場所にあったわけではありません。
1797年にヴェネツィア共和国が終焉を迎えた後、フランス占領下、この作品は、接収されてあわやフランスに送られそうになったことがありました(もしそうなっていたら、今頃この作品はルーヴル美術館に飾られていたことでしょう。運搬困難な巨大な「板絵」(カンヴァス画のように巻けない)だったことも、フランス行きを免れた一因となったそうです)。
また、この作品は、オーストリア占領下時代には、この場所から外されて美術館に入れられていた時代もありました(主祭壇には、別の教会から持って来られた別の絵が飾られていました)。
さらに、二度の世界大戦中には、イタリア他都市への度重なる「疎開」も体験しました。
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(資料紹介)
(1)1822年のヴェネツィアのアカデミア美術館に展示されている<聖母被昇天>を記録した、ジュゼッペ・ボルサートの描いた絵画です。
写真のように見えますけれども、絵画です。一番奥の壁にティツィアーノ<聖母被昇天>が展示されていることをご確認ください。。
ティツィアーノは、この作品が、このように、まったく別の場所で、まったく異なる形で、見られる時代が来るとは、想像していなかったことでしょう。
(2)以下のサイトでは、ジュゼッペ・ポルタ、通称サルヴィアーティという16世紀の画家の聖母被昇天の絵画(白黒写真)を見ることが出来ます。フラーリ聖堂の主祭壇に、100年以上、ティツィアーノ<聖母被昇天>の代わりに置かれていた作品です。
これは元々はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂のための祭壇画だった作品なのですが、聖堂そのものが廃止されてしまって、フラーリに移されました。
ところがフラーリに元々あったティツィアーノ作品用枠組に対して寸法が足りないということで、アントニオ・フロリアンという画家・修復家が雇われ、下の方を2m分も無理やり加えさせることになりました。フロリアンが足したのは、下の方にある壊れた円柱や階段などのあたりです。
(サイトのページの下の方に、この作品の白黒写真があります。「L'«Assunta» di Giuseppe Porta, detto il Salviati・・・」で始まる説明文が付いた画像です。)
このサイトではさらに、ティツィアーノ<聖母被昇天>の7mの巨大な板絵が、「この作品を守りたい」という人々の熱意によってクレモナまで運ばれる第一次世界大戦中の疎開の様子の写真も、見ることが出来ます。
(3)第一次世界大戦中の、クレモナまでの川下りの様子は、さらに以下のサイトで写真を数枚見ることが出来ます。
(4)以下の本は、二度の世界大戦中の<聖母被昇天>の疎開の記録です。写真が多数掲載されており、上記の(2)「Giandri's …」のサイトも、 Elena Franchi 先生の御厚意で戦時中の写真を掲載しています。
Elena Franchi, I viaggi dell'Assunta. La protezione del patrimonio artistico veneziano durante i conflitti mondiali, Pisa University Press, Pisa, 2018.
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イタリアの終戦後の1945年8月13日、<聖母被昇天>祭壇画は、8月15日の聖母被昇天の祝日に間に合うように、フラーリ聖堂の元の場所に戻りました。今、わたしたちが、フラーリ聖堂の主祭壇に設置されているティツィアーノ<聖母被昇天>祭壇画を眺められることは、平和であることのしるしです。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
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