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公園の物乞いから学ぶ仕事の見つけ方

昨日はこんなご時世において、「仕事は自分で作るべき」というのはきれいごとで納得できないという話を書いた。でもこの話には実は続きがある。確かに(少なくともイタリアは)すべてがコロナでストップしている状態なのに、頑張ろうにもやりようがない。現在、仕事を失っている人たちに対して「やればできるんだ」的な励ましは全く無意味だ。
だからといって、何もしないのは、(私の場合)単なる見栄と甘えなのだというのも自覚している。

ミラノには教会の前、スーパーマーケットの出口、人通りの多い道の角、地下鉄・・・と、街中至る所に物乞いがいる。コロナ禍で、その数はますます増えた。そのほとんどは箱とか帽子とかをお金入れにし、めぐんでくれとお願いしているだけだ。中には「私は病気で働けません」とか「子供を3人抱えているが仕事がなくて養えません」などというプレートを掲げている人もいるが、それ以上のアピールはない。唯一アピールする物乞いと言えば、(ヨーロッパを訪れた方ならレストランに花売りが来るのを見たことがあると思うが)今はレストランが閉鎖中で、レストランを回れない花売りからしつこく花を買うかお金をくれと要求されるぐらいだ。

が、その一方で、うちの近所の公園にいる北アフリカからの移民と思われる物乞いは最近公園を掃除し始めた。そしてお金を入れるための箱の横に「地域の皆様のために、公園を掃除しています。箱にお金を入れてください」というメッセージを添えた。

人々は平気でゴミを捨てるし、散った花びらもいっぱいで、ミラノ市の掃除が来てもすぐに汚くなってしまう公園が、彼のおかげで確かにきれいになっている。となるとこちらも、頑張って掃除してくれているのだから、小銭ぐらい入れてあげようという気持ちにもなる。それはもちろん私だけでなく、近所の友達もみんな同じ意見だった。

なるほど。仕事を作るってこういうことなのだろうな。それでは、私には一体何ができるのだろう。もっと謙虚な気持ちになって、今一度考えてみたい。

(featurecompassさんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございます)

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