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いわゆる国際政治学者たちの「リアリズム」

小檜山青氏のこの論稿を読んで、ここ数年TwitterやSNSなども含む日本語圏インターネットの海(特にアカデミシャン周り)を泳ぎ続ける中で、自分が抱えてきた違和感を全て洗いざらい氏が代弁してくれたような気がした。無断リンクでご本人には申し訳ないが「天晴れ」という言葉とともに共有する。

日本史を中心とした歴史学界だけでなく、私が長らく観察してきた政治学界、それも国際政治が絡んでくると「リアリズム」「中立」の名の下に特定の集団ばかり叩く人々の声が途端に大きく聞こえてくる。やれ戦後日本の民主主義や平和を尊重する教育のせいで原子力発電や国防や集団的自衛権や安全保障だのが「戦争」「核利用」などのネガティブなイメージを植え付けられてタブー視*1されてきただの、日本人は国にとって都合が悪いはずの左翼勢力や外国人を公的に保護して自国民をおざなりにするようになっただの。
*1 特に「タブー」関係については既に別の拙稿で書いたが、「地政学」という言葉が出てきたら赤信号だと思ってもよい。

社会学や心理学や「人文系」「文系」学問一般や、はては古文漢文や三角関数やら、ついでに言えばベンガル語やイスラム研究が役に立たないと言うくらいなら、この地政学やら金融やら、それに卑近なもので言えばこれからの日本の義務教育における英語やプログラミングの方が(実際の現場や生徒の親たち、それに現場の教員の上に立つ教委などの対応を予想すると)役に立つか疑わしいくらいである。否、むしろ地政学に関しては「脳科学」「恋愛工学」と同じくらい疑っても構わないくらいであろう。

こんな人たちを思い出してみてほしい。
「日本には北朝鮮のスリーパーセルがいて、大阪が特にヤバい」とテレビカメラの目の前で言ってのけ、「井戸に毒を入れた」のような在日韓国・朝鮮人への迫害の懸念があるといざ批判されても謝罪せず、こともあろうかしみったれた反論をしてきたあのお方。
先先代の宰相の談話を支持する中で「誠意を見せろ、謝罪しろというのは土人の悪習」とFacebookで言い放ち、そのワードにセンシティブにならざるを得ないアイヌ研究者を含め諸方面から非難されるや否や、すぐさま「土人」発言に対する言い訳をつらつらと並べ立てたあのお方。
藁人形にごっすんごっすん五寸釘を打つかのように「平和主義」「戦後教育」「リベサヨ」を日がなTwitterで叩くことに明け暮れるだけに止まらず、自著でも第二次世界大戦後日本史はイデオロギッシュな束縛を受け続けてきたと曰い、全方面で「戦後レジーム」を否定し続けるあのお方。
その他戦後教育やら「リベサヨ」やら、人文系アカデミア*2やら、それに「ノイジー」なマイノリティへの批判とも言えない悪口を吐き捨てておけばTwitterなりSNSなりで大量に「さすがセンセイ おれたちが言えないことを平然と言ってのける そこにシビれるあこがれるゥ!」*3と反応してくれるB層から大量のいいねがもらえると気づき、「現実主義」「中立」「右も左もあるものか、僕らの目指すところは常に上」と自称しながらも、承認欲求の充足とフォロワー獲得のために繰り返し党派性剥き出しのdisを続ける面々。
そこに鉄板の「国際政治学者」「地政学者」「脳科学者」のような「◯◯学者」の肩書きに加え「大学教授」「ワイドショーのコメンテーター」の属性が加わることで、小檜山氏の言及するところのハロー効果が生まれる。そしてそれを無批判に「識者」の言動として議論の本質を吟味することなくB層的に支持する人のなんとまあ大勢いること。
*2 特に「オープンレター」や「学術会議」といったワードに過剰反応している場合は要警戒。
*3 これは「タブー破り」の点で言えばネトウヨやそこから派生した往時の「行動保守」にも言えるかも…否、それ以上いけない。w

しかし。
上記の彼らの言動は、ややもするとこれも一部ロスジェネ勝ち組の生存者バイアスによるシバキ兼被害者仕草*4なのかだろうか。アカデミアに限定すると、下記の隠岐さや香氏のご意見が当てはまりそうな気がする。

*4 シバキについては自己責任論やマイノリティ・弱者・左派・自然派・公務員・ヤンキー(元いじめっ子、「DQN」)などへの攻撃だけでなく、あの2000年代に猖獗を極めたゆとり世代バッシング(事あるごとに「これだからゆとりは」という懐かしのアレ)も含まれる。一方、被害者仕草は常に親の団塊世代や先輩にあたる狭間世代〜バブル世代の既得権益者(ただしアンチ左派的なネオリベ、タカ派政治家や排外主義者などは除く)に対する攻撃として行われる。

もしくは、2000年代から(否、もしかするとさらに遥か昔、1990年代初頭はパソコン通信時代のPC-VANにおけるSIG-LADY騒動の頃からか)ネット論壇とアカデミアに跨る、後藤和智氏が下記論稿で言及している、リベラリズムへの冷笑や弱者バッシングを是とするホモソーシャリティによるものなのだろうか。

取り止めのない悪文になってしまったが、結論。
アカデミアの一部で「リアリズム」(「現実主義」)「中立」「党派性に縛られない」などと言いながら、常日頃から特定の集団を叩き、剰え(どちらかと言えば)現政権ないし先先代の宰相に阿るような輩に違和感どころか危険を感じる。そんな方が(夜郎自大な感想で申し訳ないが)自分のほかにもいることがわかり少し安心している。そういう方がもっといらっしゃったら、日本の言論の自由が完全に消滅する前に筆者の指に止まってほしい。

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