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移住推進者注意:「生まれも育ちも〇〇(生粋の〇〇っ子)」の功罪。そして、移住推進=観光推進ではない。「毎日の素敵な生活」のための施策とは?

これまで、地方移住時注意点第四弾までお届けして参りました(マガジンをご覧ください)。今回は、移住する人が注意すること、というより、移住を推進する側に気をつけてほしいこと、です。

第三弾:地方移住時注意点 3 〜スタバを見て泣いてしまうかも+子供の教育(本屋・中受)

”「〇〇県初(進出)!」などと宣伝されているのを見ると、自分は文字通り「都落ち」したのかと悲しくなります。*こういった、東京を基準にした言い方は、地方に誇りを持っている地元の方が使うのはNG”

と書きました。


今回は、「地方に誇りを持っている地元の方が使うのはNG」な WORD 第二弾、「生まれも育ちも〇〇(生粋の〇〇っ子)」についてです。

地元にずっといて、地元の人を相手に生きてこられた方には、「何かいけないの?」でしょう。

そして、移住してきて(あるいは転勤などでちょっと、仕方なくであっても)住んでいて〇〇が大好きな人にとっても同じ感想で、生粋の〇〇は憧れの対象かもしれません。

しかし、住んでいる人=〇〇が大好きな人、ばかりではありません。

引っ越しの理由は人それぞれです。移住先を自分で選べる職業や家族関係の人は幸せでしょう。

仕事や婚姻の関係で、仕方なく住んでいる・なかなかそこから引っ越しができない人(かくいう私がそうです)も住民の中にはいて、そういう人も考慮しなくてはなりません。

そういう人が「生まれも育ちも〇〇」という言葉を聞き、そういう人々で集うのを見、そして「〇〇はいいところ、移住しておいで」などという言葉を聞くと、

「移住は誰のため?

〇〇にずっと住んでいる人が栄えるために

税金その他のお金を落としてくれる人を住まわせる(=利用する)ため?」と思ってしまいます。

「生粋の〇〇っ子」の人々の中だけでのみ使っているつもりでも、活字になったりネットに載ると、色々な人に伝わります。それを見た、〇〇が好きでないのに住んでいる人には、

「ダブルスタンダード」(二枚舌)

に見えてなりません。


そもそも、「生粋の〇〇っ子」はそんなに偉いことですか?そんなに〇〇はそんなに魅力があるところですか?

魅力がある、というなら、ではなぜ、〇〇からは人口が減り続けているのでしょうか?

「本当の魅力がわかっていない」というだけ、のことなら、そんなに昨今PRもしていて、コロナの追い風もあって、いい加減人口が減り「続ける」ということはないのではないでしょうか?

いつ増えるんですか?

「移住希望県の上位に入った」からと言って喜んでもいけません。「希望」であって「実際に移住した」わけではありません。

実際に移住者が増えたところ、それは、東京から特急券を使わずに1時間くらいで行けるところ、つまり、東京の魅力があくまで一番、であることには変わりないのです。

疎外感・壁を生むような言葉を使うのはやめ、自分たちに足りないところを真摯に受け止め、改善する努力が必要です。


「何が足りないのか」と考えると、たとえば、

〇〇フェス(マルシェ、等々)といったいわば一過性の、観光の延長のようなイベントに物心両方の資源を注ぐのではなく

店自体の外装・内装やウィンドー、ディスプレーといった、(半)恒久的なもの・ハード(とソフトの中間)に資源を集中させるべきです

(きっとソフト=商品力自体に魅力はあるのですから)。

イベントは毎日できません=毎日素敵な買い物の場(=素敵な生活の場)を提供してくれているわけではありません。でも、人は毎日住んでいる、のですよ。

もっと言えば、「海や山がある」と観光的PRをしたとことで、海や山で生活するための買い物はできないし、海や山で大学に受かるための勉強はできません。

イベントの時だけ人を満足させること(=いわば観光の延長)や、観光誘致・PRのような移住推進・PRをするではなく、

住んでいる・生活している人を満足させる

のが、移住推進者の取るべき道、ではないでしょうか?

もちろん、毎回イベントをやっただけで「自己満足」「仲間内での盛り上がり」で終わってしまい、「また明日を夢見る」のは論外です

(私は10年住んでみて、実はここで止まっているのではないか、と危惧はしていますが)。

街自体にしっかりとした魅力があれば、「うわべだけの観光誘致のようなPR」をしなくても人口は増える、のではないでしょうか?

「生まれも育ちも〇〇(生粋の〇〇っ子)」の〇〇が、東京や横浜、または軽井沢などを超えるくらいの魅力を持ちPRしなくても移住希望者が増える、ようになるといいですね。


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