体はときに、心より脳みそより素直に反応する

最近、嫌な人のことを
断捨離しようと思って、自分から連絡することをやめた。

幸いにも相手からも連絡はなく、
無事にここ数日過ごしている。

私はどうやら、ひとつのことを思いだしたらしい。

「自分と同じ温度で、互いを大切にできない人といると体が疲れる」

もちろん、相手には自分のことを好きでいてほしい。大切に思って欲しい。

でも、それでも、
相手の言動が自分に上手く伝わってこないとき、どうやら私は頑張って理解しようとしてしまうらしい。

どうしてそんなことをするの?
どうしてそんなことを言うの?
どうしてそれをしないの?

なんで?


話しをして、納得して、相手を悪くとらえないようにしようとしてる。


でもわかった。
一旦距離を置いて、相手と言葉をかわさなくなると、「どうして?」「なんで?」はひたすら独り歩きする。

そして不安になる。
聞きたくなる。
悲しみになる。

そして、気づいた。

この気持ちや感情こそ、自分が本来相手からの言動に対して感じていた反応なのだ、と。


不安 悲しみ 混乱 嫉妬 孤独

いろいろと入り混じって、とてもしんどかったのだと。

そこに、「私が悪いのかな、もっと頑張ればいいかな」をいつも置いてきていた。

それで上手くいくこともあったし、安心できたこともある。


でも


根本的なところは結局、ネガティブな反応だったことに変わりはない。


相手を好きでいたかった

相手を信じたかった

相手を信頼したかった

大切にされていると、思いたかった……


 そんな独りよがりの願いを叶えるために、納得のいく会話をしようと試みていた。


「私、しんどかったな」

頭の中で渦巻く(なんで)に答えがない以上、素直な気持ちだけが湧き上がる。


無理してた。頑張ってた。
自分は、独り相撲をしてたんだ。
相手を悪く言いたくなかった。
相手を好きでいる自分を、好きで肯定していたかった。


でも本当は違うよね。

しんどくて、不安で、混乱してた。
よくわからなくて、諦めて、それでいいやって思いながらそれでも悲しくて。

悲しくて悲しくて、怒ってた。


今、相手のことを思うと肩が痛くなったり、目の奥がイタくなったりする。

体は素直に「いや、しんどいんですよ」って言う。


楽しかった思い出は嘘じゃないけど、
お互いが同じ温度で互いを尊重できない関係なら
それはめちゃくちゃしんどくなるんだな。

しんどかったんだな。
寂しかったし、悲しかったんだな。

相手の伝え方が下手くそなのをこちらがカバーする必要なんてなかったな。

相手の至らなさを、そこまでフォローするのに疲れたな。


 「疲れたな」


もう、いいんじゃないかな。

優しく消えてしまってもいいんじゃないかな、

私は私に、それを許してもいいんじゃないかな。


相手は大して傷つきもしない、きっと。


 痛む体をさすって、
ああ、心より脳みそより、
体は素直に出来てるんだなと感じた。

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