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その天秤を上手くかわしながら生きてきたつもりだった

バリキャリになりたいと誓った少女

いつか日本以外の国で働きたい、と思い始めたのはいつのことだろう。小学校からのアナウンサーへの夢が変わり始めたのは、高校の吹奏楽部のOBOG活動に、参加していた東京の総合商社に務める女性の先輩の影響だったと思う。海外出張をバリバリとこなし、趣味の吹奏楽も続けている、太陽のように弾ける笑顔の先輩は、いつしか私の中の夢の一部になっていた。

改めて思い返すと、私は”女だから”という言葉に然程触れないままに育ててもらった。母は、躾こそしっかりと身につけさせられたものの、勉強したい、海外に行きたいという私の背を何も言わずに押し、中高大と3回の受験をサポートしてくれた。私立中学に通っていた私を、お金をかけてオーストラリアのホームステイプログラムにも送り出してくれた。

小学校時代に自ら受験したにも関わらず、私立の中学から大学までエスカレータ式に進学することに閉塞感を感じた私は、公立の高校を受験し直し、大阪府立の進学校へ進路変更をする。この高校で出会った友人は皆凄まじく優秀で、文系理系ともに、いずれも未来を切り開くような人の集まりであった。そして、その時も、勉学や進路の面で、そこに男性だから女性だから選択が出来ないといった差は、自身の選択においては然程感じなかった。(薬学部や看護学部は女性に人気ではあったが)

どこまでも、貪欲に。よくばりなキャリア観

そういった恵まれた環境に置かれた私自身が、初めに自身の性と将来を意識して紐付け始めたのは、就職活動を始めた時だった。所謂バリキャリになりたい、海外駐在もしたい。一方で、若くで結婚もして子供も欲しい、そんな欲張りなキャリア感で揺らぐ。事実、勉学を共にした同期の女性はここで大きく二手に分かれた。一般職として転勤のない地域限定職となるか、総合職として転勤や海外勤務を受け入れるか。
ドイツ留学を経て海外で働きたいという思いが強かった私は、国内転勤が少ない、しかし海外駐在の多い業界の総合職として就職活動を終えた。東京本社、もしくは海外駐在という稀有な業界・企業に巡り会えたことは、運が良かったとしか言いようがない。ちなみに同期は4割が女性であり、比較的若手新卒については性別に関わない採用が進んでいる方だと思う。

女性の登用を唄う企業、そして駐在の現実

強運はさらに続き、26歳という早い段階で海外駐在の機会に恵まれた。これが30歳前後の内示だったら果たしてオファーを受けただろうかと今でも考える。というのも、女性の駐在員は増えている一方で、Webサイトで必死に検索しても、周りを見渡しても、女性の場合は、独身もしくは子供を授かる前の若手の単身赴任が圧倒的に多い。長らく、駐在員=男性で、家でフォローする妻という構図で成り立ってきたので、例えば、駐在中に本人が出産するとか子育てするという前例が無く、よってこれをフォローアップする体制もおおよそ無い。30代で一度駐在をして、40代後半〜50代でマネジメントとして戻ってくるような人材も育ちづらい。グローバル企業化する日本の大企業において、この問題は遅かれ早かれ向き合うタイミングが来るはずだ。

二人だけで育児は無理、という国家戦略

私が現在住んでいるシンガポールでは、生活コストが高いこともあり、共働きは一般的になっている。そして、二人だけで育児は無理、という意識も根付いており、政府がそれをサポートしている。例えば、200~400円程度で安価にご飯を食べられるホーカーセンター(野外フードコート)で朝昼晩3食を家族で外食をしたり、フィリピンなどから来る住み込みお手伝いさんを雇ったり、保育園も“待機児童”が無く預けやすくなっている。一方で育休産休は前後3~4ヶ月と短く保育園も高額、配偶者控除も少なく、キャリアを中断せずにバリバリ働くことを推進する設計になっている。人口の少ないシンガポールの経済成長には、国民全体で働こうという政府の方針が現れている。

日本でも女性の総合職を増やそうという企業が増えてきたが、女性が務める企業だけでなく、パートナーが務める企業側でも“二人で育児は無理”という下地が無いと、どこかで上手く回らなくなってしまう。個人的には、昨年流行ったナギサさんのようなヘルパーさんがもっと普及して欲しいし、少子高齢化における移民についても前向きに検討されてもいいのではと思う。(シンガポールのヘルパーは低賃金すぎるという批判もあり、簡単な話では決してないのだが。)

その天秤、私にはかけられるの?

27歳となり、周囲の女性には結婚する人がだいぶ増えてきた。そして、パートナーの転勤に伴って退職し、専業主婦になる人も出てきた。好きな会社に新卒入社したものの、パートナーとの生活圏との兼ね合いで退職した友人の話を聞きながら、仕事と家族を天秤にかけて決断した彼女の苦悩と強さに、何とも明日は我が身のような気持ちでギュッと心を締め付けられる。私はその天秤を上手くかわしながら生きてきたことを、自分自身が一番よく知っているし、それに向き合う勇気が今の所ない。

それぞれの人生、それぞれの選択を、スマホでスクロールしながら今日も追う。

今を必死に生きることしか出来ないという諦めのような気持ち半分、きっと選択肢はどんどん増えているという希望半分で、本日3月8日の国際女性デーのタグを追っている。

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