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見られる仕事にしがみつく理由


#私の仕事

アイドルやモデルなど「人目に付く」「人様に見られる」仕事をして約5年

年齢も上がって私が知ってる子はどんどんいなくなるか、もっと有名になるかの2択で…私は置いてきぼりだなと感じながらもまだまだこの世界に足を突っ込んだまま抜け出せずにいる

一緒に肩を並べてたはずの子が雑誌の表紙になってたり、テレビで活躍していたり、ドラマや映画に出ていたり…はたまた自分で事業を起こして成功していたり、結婚して新たな人生を切り開いていたり

正直誰がどう見てももう私の時代は来ないし、あの頃みたいにステージで輝くことも沢山の方々に「やっぱりお前やな〜!」と言って貰えることも無い

重々承知だし、「こいついつまでこんな事やってんの?」「ほんま人気ないよな」と笑われてる事も全部知ってる

だけど私にはどうしても諦められない理由がある

それは高校生の頃に遡る、私が高校三年生だった時のこと

人生辞めたいなぁと病んではUVERworldに何度も助けられて「私も人を支えれる人間になりたい」なんて漠然と考えてた時期

「アイドルしませんか?」と声を掛けられて、「私も支えになれるチャンス?」なんて淡い期待を抱きながらも何となしにアイドルをはじめて、毎日のように配信等に明け暮れていた日々に出会ったヲタク

私がツイートする度にコメントくれて、配信する度に見に来てくれるヲタクで名前やアイコンを見ない日はなくて認知していたんだけど、会えるイベントに来てくれることはなく…顔は全く分からなかった

そんなある日急に会いに行くとコメントがきて、イベントに会いに来てくれたんだけど…びっくり

「耳の不自由な」方だった

何がびっくりって、毎日配信も見に来てくれてコメントもくれてたから全く気づかなかったの

当時障がいのある方のお手伝い等に行っていたし叶うことなら養護施設で勤務したいと思って、勉強もしていたから全く困らなかったけど私にはとても不思議だった

その時はアイドルばかりで、配信したりライブしたりで「音」や「声」メインで、視覚的に楽しませれるようなパフォーマンスが出来ている自信も、容姿が良い自信もなかったから「そんな私を何で応援する気になって下さったんだろう?」て

彼は「たまたまTwitterで写真を見かけて、見た目が好みだった。そのまま色々ツイートを遡ったら、目や耳の不自由な子供に勉強を教えているというツイートを見て障がいに全く偏見がない人だと分かってもっと興味が出た」と話し始めて(筆談や文字の打ち込みで会話しています)

「僕は音も声も全く聴こえないから、君がどんな声なのか分からないし、君と声で会話はできないし、君が歌っているのも聴こえない」

「それでも君が幸せそうに笑って輝いてるのを見るだけでとても幸せな気持ちになる」

「君の真面目だったり、不真面目だったりする色々な部分が見えるツイートが笑いをくれる」

「僕はこの障がいで引きこもりがちで、あまり外に出なかったけど、今日は君に会いたくて片道2時間かけて会いに来た。君が僕に動く力を与えてくれた、本当にありがとう」

「君に出会えてよかった」

と私に言ってとっても素敵な笑顔を見せて深く頭を下げてくれた

私はその時感情が昂りすぎて涙が出て上手く言葉が出なかったけど

「生きててよかった、アイドルをして良かった」と心底思った

私が辛かった時に支えてくれたアーティストみたいに、私も誰かの支えになりたい!とか誰かを笑顔にしたい!とか言いながらアイドルしてたけど、結局実感なくてなあなあになってる気がしてたのに…この時初めて「私も誰かの支えになれた」と思えた

それから私の中でどんなに辛いことがあっても、ただ1人でも私の活動で笑顔になってくれる人がいるから「見られる仕事」の幅をもっと増やしたいと思うし、その人にもう一度会った時「ありがとう」って最高の笑顔で言う為に、私はまだ活動を辞めない

私は音がなくても映像がなくても「どこかで感じて貰えて」支えになれるような人間になるよ

※もし不快に思われるような表現など御座いましたら御指摘頂ければ幸いです


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